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変化と思想信条についての個人的考察(まとめ)

アメリカの政治について学んだことで、自分自身の政治的スタンスを(なんとなく)把握できたので、改めてノーランチャートで確認してみました。

  • 経済的自由について:新しい技術の開発や導入など変革に積極的であり、既存のルール見直し(規制緩和)を望む立場であるが、それによって生じる格差については是正が必要と考える。

  • 個人の自由について:基本的には自由を最大限に尊重したいが、安定した社会や組織を維持するには秩序が必要であり、そのために一定の制約を設けることには賛成である。

・・・ ということで、「リバタリアン(自由至上主義者)寄りの中道左派」あたりかと思っていましたが、ちょっとアクセルを踏み込めば「やや左派寄りのリバタリアン」ということにもなりそうです。

アメリカや日本では、ある程度の「経済的自由」「個人の自由」は保証されています。(共産主義や社会主義は現実的な選択肢になく、独裁体制による恐怖政治でもありません。)資本主義、民主主義であることを前提に、個々の政策を「具体的に議論できる」状況になっています。
この政治的「安定」が無関心につながり、政治活動の主体が党派間の権力闘争に向けられています。相手陣営を攻撃するパフォーマンスにばかり注目が集まり、建設的な議論を行う実務家タイプの政治家は埋没しています。

イチ有権者としても、是々非々での賛否は「浮動票」扱いです。本来であれば選挙結果は浮動票の流れに左右されますが、投票率の低さからその影響力は下がり続けています。中間層が権利を行使しなかったために、自ら権利の低下を招いてしまいました。(このあたりは、アメリカの「精神的左派:スピリチュアルレフト」が置かれている状況とも重なります。)

理屈の上では、中間層が主体性を持つことで「相手を攻撃して、足を引っ張り合う政治」から「相手を受け入れ、協調し合う政治」に変えることができます。国家レベルでは想像しにくいかもしれませんが、人口の少ない地方自治体レベルであれば、可能性は十分に考えられます。
まして、自身が所属する組織や職場の問題(社内政治や業務上の調整)であれば、(限られた関係者の)努力次第ではないかと思っています。

リベラルと保守は、対立する概念ではない?

そして、もうひとつ自分にとって新たな発見がありました。対抗勢力だと思い込んでいた「保守」について学んでみたところ、ぼくには(なんと!)保守思想にも当てはまるところがありました。

保守主義本来の正しい定義が「固執的な反動主義ではなく、急進的な革命主義でもなく、歴史に基づいた平衡感覚を持つ、漸進的な改革に取り組む政治姿勢」ならば、ぼくには全く違和感がありません。。

ポイントは、漸進的(急進的でなく、順を追って少しずつ進歩する)という姿勢で、たぶん現場主義の技術職であれば、誰しも持ち得る感覚ではないでしょうか?(そして、どういうわけか?この点についてもアメリカの「精神的左派:スピリチュアルレフト」の特長と一致していました。。)

現実的な話になれば、多様な意見を受け止める「寛容さ(=リベラルさ)」なしに、大勢の人が関わる現場をまとめることはできません。「リベラルと保守は、対立する概念ではない」という「リベラル保守/保守リベラル」の主張に、改めて説得力を感じました。

こうして考えると、ぼく自身は変化に対して前向きでありながら、幅広い範囲をカバーできる政治的スタンスだったことになりそうです。(これは「現場のマネジメントに強い」とされてきた裏付けになるかもしれません。)

組織の改革と政治的なスタンス

さて、こうした政治的スタンスを確認したことで、ぼく自身が「仕事の中で闘ってきたジレンマ」の正体に気がつくことができました。

リバタリアニズム(自由至上主義)の基本原則には「 " 他者の権利その他を侵害しない限り " 個人の自由は尊重されるべき」とあります。この観点から個人的な体験を振り返ると、「うまくいっていない現場やプロジェクト」と「決裁権、人事権の濫用」には多くの相関が見受けられた気がします。

ぼくが「ちょっと左寄り」であったことと、現場の改革で成果を出してきたことは、客観的にも無関係ではなかったように感じます。同時に、ぼくにとっての「対立軸」は、いわゆる「現場の抵抗勢力」ではなく、本来は思想的に同じ属性である(急進的な)リバタリアンだったように思います。

ぼくのような専門職出身のマネージャーが、現場に「身内」感覚を抱くのは自然な成り行きです。現場から異論反論が上がっても、その技術的・物理的な理由について意見交換するだけなので、感情的なトラブルに発展することは滅多にありません。(そういった経験、訓練を積んでいます。)

しかし、権限を用いて「制圧」するタイプのマネージャーには、異論反論に過敏に反応する方もいます。そんな局面で、真っ先に矢面に立たざるを得なくなるのは、自分のような立場でした。

足りなかったのは、ほんの少しの「対話」でした。相手のあることなので、一筋縄にはいかないと思いますが・・・ぼく自身に新たな観点が身についたことで、今後の展開が変わることに期待しています。

◆しかし・・・ぼくの場合はノーランチャートで納得できましたが、これも絶対的な評価軸ではないし、論者によって言葉の定義も変われば、相対的に右とか左とか論じるうちに軸がブレたり、政治的な問題の難しさを痛感させられます。また違う本に出会ったら見直すことになりそう。。

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