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『故郷の秋』(創作小説)

誰にだって思い出の故郷があると思う。私にとってそれは祖父母の家でした。祖父母の家は埼玉県の南西にあり、都心から電車で2時間、車で3時間くらいのところにありました。都会ではなく、かといって田舎でもなく、少し歩けば雑木林や畑にたどり着くような場所で、自然の心地の良い風が流れていました。特に豪勢でもない普通の一軒家でしたが、私にとってはどんな家より価値のある家でした。

ある夏休みのことです。祖父母の家に泊まりに行くことになり、当時小学生だった私はわくわくしながら自分の鞄に着替えの洋服とニンテンドーDSを入れ、虫取り網と虫取り籠を手に持ち、父が運転する車に乗り込んでいきました。祖父母の家に到着すると急いで玄関のドアを開け、テレビと大きなソファが置かれたリビングに荷物を放り投げ、固定電話から近くに住んでいるいとこに電話をかけました。祖父母の家に遊びに行く時は、私と私の弟といとこの3人で遊ぶのがいつものことでした。祖母はそんな私を見ながら、「大きくなったねえ」と決まって言うのでした。3人が揃ったら、近くの大きな池のある公園へザリガニを釣りに行きました。コンビニでイカのスルメを買い、公園に落ちている枝とタコ糸を組み合わせ、即席の釣り竿を作り、ザリガニを釣るのです。8月の暑い夏なのでみんな汗だくになりながら遊んでいました。そんな私たちを祖父は後ろからニコニコと優しく見守ってくれるのでした。
夜になると、近くの雑木林に虫取りに行きました。私が住んでいた地域は住宅街だったのでカブトムシやクワガタがいる雑木林はまさに宝箱でした。日が沈み、それでもむせかえるような熱気を感じながら、私たちは雑木林に入っていきました。電灯の光だけが頼りの真っ暗な林を、土と植物の芳醇な香りを胸いっぱいに吸い込みながら進んでいきました。やがて、カブトムシとクワガタが群がる木を見つけても、子供ながらに生命に対する道徳や環境保護の知識があったのか、結局大きめの個体を数匹持ち帰るに留めるのでした。

家に帰ると、私の両親といとこの両親がリビングに揃っていて、親戚同志の歓談が行われていました。大人たちはソファかテーブルで寛ぎ、子供たちは床に寝転がりながらゲームをし、思い思いに時を過ごしていました。そうしていると決まって、祖母が食べ切れないほどのお菓子と果物を出してくれるので、私は子供ながらに期待に応えないといけないと思い、なるべく多く食べようとするのでした。その後は体力の有り余る子供ですから、祖父と相撲を取ったり、子供同士で疲れるまではしゃぎまわって満足して眠りにつくのでした。

祖父母の家での思い出が幼い私に無条件の愛と絆を教えてくれたといっても過言ではありません。それほど私にとって祖父母の家の思い出は重大でした。

10年ほど後の秋、大学生だった私はある気まぐれで自宅から祖父母の家まで歩いて行き、祖父母に会うことにしました。長く辛い道のりではありましたが、祖父母との思い出とあの懐かしの故郷に帰れるという思いを胸にひたすら歩き、やっとの思いで家にたどり着いた時には感無量の思いだったのですが、祖母に案内され家に入り、祖父母と話し、食事を取っている内に私はだんだん憂鬱を感じ、しまいにはすっかり落ち込んでしまいました。当時、家族の団らんの場であった一階のリビングには階段を登ることが出来なくなった祖父と祖母のベットが並んでいて、残ったスペースに置いてあるテーブルには洗濯物が山積みになっていました。皆が寛いでいたソファの行方はわかりません。心なしか部屋も薄暗く、老いた体に秋風は厳しいようで、締め切られた部屋の空気から何かが腐ったような臭いが感じられました。元気だった祖父は病気を患い、手術を重ね、昔よりもはるかに痩せて弱っていました。杖が無いと歩くこともままならず、家ではほとんど寝たきりの様でした。祖母の明るく朗らかな性格は変わらず、これが唯一の救いでありましたが、髪を染めるのをやめたようで、髪が真っ白になっていました。今見る祖父母の家は私の思い出とは全く別物で、すっかり老いと病魔の影に蝕まれていました。私の心が荒んでしまったのかもしれません。私は夕食の後、逃げるように二階の寝室で眠りにつきました。

翌日、この滞った空気を変えたいと思い、祖父と祖母を連れ、外にステーキを食べに行くことにしました。私は車の運転ができないので、近くに住んでいる伯父に車を出すように無理にお願いをしました。いとこも呼びました。祖父は家から出るために着替えねばならなかったのですが、ほとんど寝たきりの生活なので、着替えるのも苦労するようでした。私は自分のエゴで祖父に無理強いをしている自分がだんだん情けなくなって、もどかしさと罪悪感でその場から逃げ出してしまいたくなりました。いよいよ伯父が車で迎えに来てくれた時には恥ずかしさと申し訳の無さで一杯でした。それでも途中で投げ出す訳にもいかず、祖父と祖母を車に乗せ、ステーキを食べに向かいました。店の席に座り、せめて豪華な料理を振舞い、楽しく会話をすることでどうにかこの陰鬱の空気を変えたいと思い、皆にメニューを注文させようとしたのですが、私のそんな心も知らず、祖父が弱々しい声で「もうそんなに食べられない」と言うのですから、私はいよいよやりきれなくなって、心の底からしょげてしまいました。


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