下心が帰属されるとき
モテたい。そう思って、「男 モテたい どうする」と調べてみる。よく出てくる回答として、「女性は共感する生き物。共感してくれる男性は好印象です。話を聞いており、相槌や身振りで共感していることを示しましょう」のようなアドバイスをよく見かける。
そのアドバイスを信頼して、今度は傾聴や共感をするために何をすれば良いか、みたいなことを調べる。どうやら「なるほど」「そうなんだ」「そうなの!?」のようないろんな種類の相槌を使ったり、「先輩がまじで意地悪でしんどかったんだよね」「それはしんどいね」と、感情にまつわる言葉をおうむ返ししたりすると、あなたの話を聞いています、私はあなたに共感しています、ということを伝えられるらしい。
しかしそんな器用なものではなくて、相槌を打とうとして、「そうなんだ」を不自然に繰り返してしまったり、あるいは、
のように、繰り返しをしすぎて不自然な会話になってしまうこともある。仮に女性が「通俗的な恋愛指南書では、女に共感しろ!のようなアドバイスが書かれている」と知っていたら、彼女は彼が自分のことを狙っている、と考えるかもしれない。男女関係は難しい。
こういった会話の不自然さの他に、不自然な親切なんてものも考えられる。渋谷でデートしたとして、僕が埼玉に住んでいるのに、横浜に住んでいるまだ付き合っていない女性を、「帰り道危ないから送っていくよ」と、女性の家まで送ろうとする「親切」を見せたとしたら、彼女は確実に「こいつ家上がってヤリたいだけだろ」と思うに違いない。
このように、一見真心からなされているような行為が、わざとらしく、さらには下心を伴って見えるようなことがある。こういう状況を、「男が女によって下心が帰属される」と表現したい。
一見親切に見える行動も、下心を感じ取ると全てがキモくなる。話を聞き共感してくれる男がいたとして、そいつがスーパー遊び人間だということが後からわかれば、自分にしてくれる親切も全て「こいつやってんな」と感じられる。
下心とは、端的に言えば、「性的/恋愛対象として女性を見る」、もっと極端に言えば、「ワンチャン狙ってる」ということであろう。すなわち、このような態度が男に帰属されるとき、いろんな行為がキモく見える。
いろんな行為と言ったが、話を簡単にするために「共感」に焦点を置きたい。そうすると、真心からなされる共感と、下心からなされる共感を区別できる。
真心:話を聞いて、自分の心から相手の気持ちに同調している
下心:女との仲を深めるという目的のもと、気持ちの同調を示している
僕の疑問は以下である。すなわち、
決定的な違いとして、普通の共感には目的がないが、下心からの共感には「ワンチャンヤるため」という露骨な目的設定がある。つまり、下心からの共感は、上記の目的を達成するための意図的な行為だと言える。
そうすると、「下心があるのはヤりたい意図がある時だ!その意図が見えた時、共感も親切な行為もキモくなる!」と言いたくなるが、これは議論を進展させるものにはならなさそうである。なぜなら、「意図が見える」なんてことはないからである。確かに、諸々の行動から「ヤりたい意図が予測される」ことはあるだろうが、意図という概念を直接みることはできない。
したがって、こう言い換えるのが妥当である。
この言い方で何が変わったかというと、そこに意図があるかを問うのではなく、女という解釈者が、男という解釈対象について、合理的に予測した際に、意図を帰属できる状況はどのようなものか、という、経験的に実証可能なレベルに意図を落とし込んだことである。こうすれば、目に見えない意図概念を扱う必要はない。
さらにこの見方では、異なる女性によって下心が帰属される度合いが異なることも説明できる。たとえば、鈍感なD子さんはチャラ男のC男くんに下心を感じなかったが、同じ合コンにいる繊細S子さんは、C男の言動の節々に下心を感じる、ということがありえるだろう。このような事例を、上のような問題設定では扱うことができると思われる。
疲れた。昨日今日で考えたことはこれくらい。次回以降では、下心が帰属される具体的な状況や、D子さんとS子さんの違い、なんかを考えてみたい。
よろしければぜひ