見出し画像

働く場所の最新形? 「はたらく街」としての下北沢を、労働法の先生と考える

下北沢という街は長らく、ビジネスパーソンにとって「働く場所」ではないというイメージが一般的だった。

しかし、近年は企業のサテライトオフィスが作られたり、法人向けのシェアオフィスも充実してくるなど、下北沢は「働く場所」としても魅力的な街だと見られ始めている。以前、本メディアで取り上げたコクヨの「n.5(エヌテンゴ)」は、その好例だろう。

下北沢だけに限らず、オフィス街ではない土地に企業が拠点を構える動きがいま、都内にじわじわと広がっている。なぜ、そうした変化は起こっているのか。「働く場所」の未来はどうなっていくのか。

労働法研究を専門に、働き方改革実現会議のメンバーも務めた東京大学教授の水町勇一郎先生にお話をうかがった。

「働く場所」の変遷

――水町先生は労働法をご専門とする観点から、「働く場所」の歴史研究などもされてきました。下北沢のような、いわゆるビジネス街ではない土地に企業がサテライトオフィスを開設するような今の流れを、どうご覧になっていますか。

水町:少し長くなりますが、「働く場所」をめぐる歴史を振り返っていきましょう。

ずっと昔、「生活の場所」と「働く場所」は基本的に一緒でした。狩猟社会から農耕社会に変わっても、家、もしくは家の近くで働くことが当たり前だったのです。この“当たり前”は人類の歴史において非常に長い間続きました。「生活の場所」と「働く場所」が離れていったのは、いわゆる工業社会になってからのことです。

まず、産業革命によって大工場が作られました。多くの労働力が必要になり、農村から労働者が工場で働きに出てくるようになると、今度は工場の周辺に労働者が暮らす街もできました。工場ができたら、流通の拠点も作らなければなりません。生産と流通をつなぐ取引の拠点も必要になります。

さらに産業が発展していくと、情報は一カ所に集めたほうが効率がよい、ということになり、会社という器ができてきます。その会社同士も集まって取引したほうが便利だから、都会というものができ、人々はその周辺に住んで会社に通勤するようになった。

こうして「生活の場所」と「働く場所」は離れていきました。その結果、都市部では家から働く場所へと向かう通勤ラッシュが社会問題にもなりました。

しかし、第四次産業革命によるデジタル化の流れが、この状況を大きく変えました。世界中どこからでも情報にアクセスできるようになったので、会社に毎日行く理由が失われていったのです。

――仕事するために不可欠な情報が「会社」に集まっていたから、かつてはみんな都市部まで通勤していたけど、それがデジタル化によって変わった、というわけですね。

水町:リモートワークなんて典型的です。日本は海外に比べてデジタル化が遅れていると言われていましたが、それもコロナ禍によってかなり進みました。特にいわゆるホワイトカラーの労働者は、どこにいても十分に仕事ができるようになっています。さらに9時~17時の勤務時間のように、特定の時間に集まって働く必要もなくなってきています。今や建設会社や工場の一部にさえも、リモートワークは浸透しています。

もちろん、自宅でも働けるようになったからといって、農耕社会の時代のように、みんなが家の近所で働く時代に戻るわけではありません。デジタル化が労働者にもたらした変化の本質は、「働くために一カ所に集まる必要がない」ということなのです。

だから、例えば下北沢のような街にも小さなワークスペースさえあれば、それで仕事ができるようになった。大企業がサテライトオフィスを開設するようになった一つの理由は、そういう点にあるでしょう。

しかし、それだけが理由ではないと思います。仕事をする上で、必ずしも一カ所に集まる必要がなくなった一方、同僚と集まる意味もまた、デジタル化によって見直されているからです。

それでも集まることに意味はある

――どういうことでしょう?

水町:たしかにデジタル化の進行によって、誰もが瞬時に世界中の情報にアクセスできるようになりました。ChatGPTのようなAIも進化し続けています。個人的な話ですが、以前はフランス語の論文を書くのに何週間もかかるのが当たり前だったのに、今はAIを活用してフランス語に翻訳し、それを手直しするといった方法で進めれば、数日で終わってしまう。それだけの恩恵があります。こうした流れは今後も間違いなく加速していくでしょう。

だからこそ、「人間はロボットやAIにはできないことをやらなければいけない」のです。

それはどういった仕事か。ひらめきが求められるクリエイティブな分野であったり、感情労働のようなコミュニケーションがカギを握る分野であったりするわけです。あとは価値判断ですね。責任を持って最終的に決定する。そういった「人間的な労働」の価値が、デジタル化によって高まっています。

そういう時代に重要なのが、「人と接する」ということです。

コロナ前のように「毎日オフィスに来なさい」というわけじゃなくても、「週に1、2回は来てください」という会社が増えているのは、コミュニケーションスキルやインスピレーションといった人間的な能力を鍛えるには、他人から刺激を受けるということが大切だからです。そして創造的、創作的な活動は、家とかカフェとかで自由にやる。そういう棲み分けが進んでいます。

欧米ではだいぶ前からそういう流れになっていましたが、日本も国際競争力や人材確保が重要になる中で、企業も多様な働き方を認めざるを得なくなってきました。それが今の日本の働き方をめぐる大きな流れです。

では、そうした時代の中で下北沢は「働く場所」としてどうか、といえば、渋谷や新宿といった大きな街へのアクセスがよく、文化の発信地でもある。つまり、働く人が自分のペースで通いやすい場所でありながら、街や人からの刺激も受けられる。

時間や場所を問わないデジタル化以降の働き方をするうえで、最適な場所の一つになっているのではないかと思います。

仕事に必要なスキルをどこで学ぶか

――下北沢にサテライトオフィスを開設したコクヨさんも、取材の中で施設内にコーヒーメーカーを置かなかった理由として、「下北沢の街に出て美味しいコーヒー屋さんを探してほしかったから」とおっしゃっていました。オフィスの外で得られる刺激を重視する企業は、たしかに増えています。

水町:1万人以上が働くような大企業でも、数人しか社員のいないスタートアップ企業でも、世界中の情報に平等にアクセスできる世の中になったので、結局はアイデアが最も重要な生産資源になっているんです。だから、刺激を受けられる環境をコワーキングスペースの設置場所として選ぶという判断は、時代の流れに沿った納得のいくものといえます。

こうやって話しながら思ったのは、勉強をしながら自分の能力を伸ばしていく若い頃は、アイデアを得る場所と仕事を行う場所の距離が近いほうがいいので、下北沢のような大きな街に近いところに集まる。でも、例えば私くらいの年代で、すでにある程度蓄積があったり、管理業務が仕事の中心になっている人は、都市部とは異なるゆったりした環境の地方からリモートで働く。そんなふうに「働く場所」が二極化していく可能性もありますね。

――これまで日本企業は「背中を見て学ぶ」ような「暗黙知の共有」を強みとしていました。時代の流れとはいえ、バラバラに働く流れが一般化すると、その強みすら失われてしまうのではないかと思うのですが、その点はいかがでしょうか?

水町:複雑なことをあえて単純化してお話すると、たしかに日本企業は「暗黙知の共有」のような属人的なスキルを重視していました。仕事に必要なスキルを仕事から学んだのです。いわば、On the Job Trainingが日本企業の育成方針でした。

一方、欧米の企業は基本的に仕事とプライベートを分け、転職も当たり前です。じゃあ、どこで仕事に必要なスキルを磨くのかといえば、日本企業とは反対にOff the Job Trainingです。社会人も、自らの成長の必要を感じれば、大学院や研修機関にもう一度行く。そうやって会社以外の場所で専門性を磨くのです。

つまり、これまでの日本企業は“会社人間”として自社の業務に最適化したトレーニングを施す代わりに、滅多なことがなければ解雇はしない、一生の面倒は見るから、という方法をとってきたのです。

そこには人を育てるという面でいえば良いところもあったのですが、国際競争が激しくなり、求められるスキルが高度化していくと、それぞれの職種で非常に高い専門性が求められるようになってきます。あるいはITのスキルのように、企業の中で蓄積されているノウハウとは別のスキルも仕事で求められるようになってきました。

――企業内だけで育成しようとしても、もはや通用しない時代になってしまった、と。だから、「暗黙知の共有」のような属人的なスキルの継承も、以前ほど強みではなくなっているわけですか。

水町:もちろん、日本企業のやり方のすべてがダメというわけではありません。欧米のやり方がすべて正しいというわけでもなく、今は技術革新や国際競争が激しくなっているなかで、従来の働き方に対していろんな角度から見直しが迫られているという状況です。

――反対に欧米で日本企業のやり方が見直されているといったことも?

水町:そうですね。専門知識や技能の学び直しだけではなく、人間同士の交流によって人的スキルを上げていくという、これまで日本企業が大切にしてきたものを重視する発想も欧米の企業のなかに出てきています。

――なるほど、たしかにシリコンバレーにIT系企業が集中しているのも、要は企業の垣根を超えた「暗黙知の共有」が理由と言われていますよね。必ずしも欧米は分散型、日本は集中型というわけではない。

水町:だから、こういう働き方が正しい、こういう働き方は悪いっていう両極端ではなくて、昔から行われてきたことの中で大切な部分は残しつつ、時代の流れに合わなくなった部分は変えていくという発想で、それぞれの企業のパーパス、未来像に向けたアプローチをしていくというのが大切なんだろうと思います。

働き方の多様化とセーフティネット

――労働者にとって働き方の多様化がもたらす影響もお聞きしたいのですが、働き方が多様化してくると、労働者にとって選択肢が増える反面、セーフティネットからこぼれ落ちてしまう人が増える懸念もあります。その点はどう見ているのでしょうか。

水町:そうですね、これはなかなか難しい問題です。年金を例に考えてみましょう。

一般的に日本の会社員は社会保険が手厚い傾向にあります。しかし自営業だと保険料は定額でそう安くないのに対し、将来もらえる年金額はかなり少ない水準のものにとどまっている。だから払いたくないという人が、フリーランスなどの若い人のなかに少なからずいます。かといって国民年金に代わるようなセーフティネットがあるわけでもない。これから働き方の多様化が進んでいくなかで、これは問題です。

社会保険は高齢者と若い世代の数が均衡状態にあると成り立ちます。リタイアした人の数に対し働き盛りにある人がたくさんいることが理想的なんですね。加入者が支払う保険料で年金給付を賄うようになっているためです。これを「社会保険方式」といいます。

――しかし、今の日本は少子高齢化で均衡状態が崩れてきています。欧米でも状況は似たようなものです。各国はこれにどう対処しようと?

水町:世界的には徐々に社会保険方式から切り替える流れが生まれています。つまり、今の日本のように保険料を支払ってくれた人だけに給付するのではなく、公的な財源から広く給付を行う「税方式」への移行が検討されています。

財源としては、欧米などではすでに消費税は20%くらいになっており、これ以上は増やせないので、所得税を増やす。特に格差の拡大が大きな社会問題ですから、所得の高い人から税金をもらって社会に還元する。そのためにも個人の所得や財産をきちんと捕捉する制度を整える。

欧米では多様な働き方が広がり、失業者も少なくなかったため、雇用状況に関わらず、誰でも広くカバーされるセーフティネットを整えていこう。そういう大きな流れが生まれています。

こうしたことは欧米では省庁の垣根を超えて真剣に議論されていることですが、日本は縦割り行政が根強く、改革が遅れているため、いまだに議論が進んでいないのが現状です。ただ、このまま日本でも働き方が多様化していくと、遅かれ早かれ欧米のような制度が必要になってくると思います。

――今まで社会保障を企業に頼っていた人たちも、副業やフリーランスといった働き方が当たり前になり、自分で税金や社会保険料を支払うようになると、「このままでいいのか」という意見は必ず出てきますよね。

水町:そう思います。それこそ下北沢のような街で働きたいと思う元気な20代、30代の人たちが声をあげるようになって、マスコミや政治家も、「やっぱり現状を変えないといけない」という議論になる。そうしたら、日本も大きく変わっていくのではないかと思います。

水町 勇一郎 教授
●みずまち・ゆういちろう 東京大学社会科学研究所教授。1967 年生まれ。1990年東京大学法学部卒業。東北大学法学部助教授、パリ第10大学客員教授、ニューヨーク大学ロースクール客員研究員、東京大学社会科学研究所准教授などを経て、2010年より現職。専門は労働法学。著書に『詳解労働法〔第3版〕』(東京大学出版会)、『労働法〔第10版〕』(有斐閣)など。政府の「働き方改革実現会議」の有識者議員を務めた。


写真/石原敦志 取材・文/小山田裕哉 編集/木村俊介(散歩社)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?