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ブルックリン物語 #12 想い出のサンフランシスコ “Left My Heart In San Francisco”

マーサグラハム舞踊団プリンシパルの折原美樹さんと知り合ってからいろんな場所へ出かけて演奏する機会が増えた。彼女のオリジナル公演「Resonance(共鳴)」を初めて行ったのは、NYの老舗のラママ劇場だった。

サンフランシスコのYugen Theatreは、日系のYurikoさんというアーテイストが日本の能狂言文化をアメリカに定着させるために作ったミニシアターだ。だいたい70人ほどで満杯になるだろうか。ミッション地区という開発途上のエリアで、アーテイストが集まり、あちこちにカフェやラウンジができ始めている。ウイスコンシン、アムステルダム、ホノルルなどの都市を経て、Yugenで昨年に続き2016年5月、折原美樹さんとの2回目の公演が行われた。

今回は僕も「Resonance(共鳴)」とともにソロピアノ公演を実施することになった。映画で言えば「併映」のようなDual (ふたつの)公演。昨年の公演に来てくれた西海岸で最も影響力のあると言われる日系の新聞Bay-spo(ベイスポ)が、今回の公演をYugen Theatreとともに共同主催してくれることになった。しかもそれをサンフランシスコの在米日本領事館がサポート。

こういう公演は”手打ち”で、僕たち出演者が劇場と交渉してメールで打診して一歩一歩進めていく。だから、味方が現れるというのは本当に心強い。今回は恵まれたスタートになった。Bay-spoの表紙や巻頭カラーの2ページぶち抜きでの美樹さんとのインタビュー。それを2週続けてという破格の扱いで公演について取り上げてもらった。ダンスのサイトやサンフランシスコの地元紙にも公演の記事が掲載され、昨年の公演の時はまばらだった会場に噂を聞きつけた日米人たちが大勢集まり、割れんばかりの拍手だった。パフォーマーとして一から立ち上げた公演が大成功に終わったという喜びに加え、この心から湧き上がるような暖かな拍手が何よりの次へのモチベーションなので、本当にありがたいことだなと痛感した。

アメリカでの公演の場合、例えば5公演するとするとその1回はFund Raising( お金を募るための)公演に充てられることが多い。公演の前やショーの合間に食べ物やお酒などが会場に用意され、俄かパーテイが始まる。サイレントオークションの品々がところ狭しと並び、気に入ったものがあれば値段と名前を書き込んでいく。そして最終的に商品を競り落とした人の額が計上されて、そのまま公演の収益になるのである。購入した側もこの額が税金控除の対象になる。文化や芸術を応援する実にスマートなやり方だなと思う。

今回はこれとは別に初日の公演をサンフランシスコで頑張るアーテイストの為のデイスカウント公演にした。この日だけチケットが格安なのだ。さてどうなるかワクワクだったが、なんとチケットの安いこの日だけ人の入りが極端に少なかった。言うなれば「アートに関わる仕事をしていなければこの日は観に来てはいけない」という暗黙のルールが敷かれてしまったわけだ。

サンフランシスコは不思議な街である。西海岸という勝手なイメージで「温暖な気候な場所」と想像していたのだが、最初に行った初夏などは思いの外肌寒く、宿泊先のサウサリートにあるYurikoさん宅で旦那さんのジャックさんにジャケットやトレーナーを何枚も借りて重ね着をして寒さを凌いだ。サンフランシスコは一年を通じてあまり気温の変化がなく、ものすごく暑かったりもしないし、大雪などにもならないという、ニューヨーカーからすると「??」であった。美樹さん曰く、「季節がよくわからなくならないかしらね」仰る通り。

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