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魂には目的がある

週末は講座でした。
自ら変わろうと決意して受講された方に敬意を込めて。

■彼女の魂の目的

固い表情で部屋に入ってきた50代の女性は・・・
若くして夫をがんで亡くし、誰かに頼ることを拒んで、3人の子供を育て上げた人でした。それぞれ自立した子供たちの話をしている彼女はとても満足気でしたー。

ところが。
無我夢中で15年間走り続けた先で彼女を待っていたのは…

「孤独」だった。

とても母親想いの優しい大人に育ってくれた子供たちに、今、自分がぶら下がろうとしていること気づき、そんな自分を変えたくて、人生を変えたくて、遠方から受講されたのでした。

なんて切ない世の中なのだろう。
懸命に尽くしても報われない…
たとえ自分の人生を懸けた人であっても、いつかは離れてく。
そのとき人は真実を目の当たりにする。
その厳しさを教えてくれるのが家族というものなのだろうか。

数ヶ月前、ほんのわずかにお会いしたときー。
その瞳の奥にある悲しみ、頑なまでに閉ざした心の原因は何なのだろう?と思った。他の人たちが帰った後も、まるで何かにすがるかのようにじっと座っているけれど、彼女は自分から近づくことも開くこともなかった。


1対1の個別講座が始まり、社会の仕組、心の仕組、自分自身の仕組を学んでいく。
知らなかったことを知るたびに「あゝ、それ、私がやってたことだわ…」とうつむいて自らを省みる。
真実に気づくたび、涙を流された。

2日間という限られた時間の中で、私は時に心を鬼にして強く伝えなければならなかった。
だけど“生まれた意味”の話をしたとき、目を真っ赤にして涙をいっぱい溜めて、小さな声でー

心の底にずっと押し込めていた“魂の声”を吐露したのを、私は聞き逃さなかった。
それはとても愛に満ちた小さな希望だった。
そしておそらく50年の人生で初めてだろう、一年後の未来を設定した。
ふぅー。


2日間終わったとき「言いたい放題言ってごめんなさい」という言葉が自然に出た。
これから彼女は私と一緒に、毎日3、4コの課題をこなしていく予定。
たぶん今までそれほど自分に時間をかけたことなど無かっただろう。
だけど彼女はきっとやり抜いてくれると思う。

なぜなら彼女の魂は…
“人生は何歳からでも取り戻せる”
ということを今生で学ぶために、魂がプログラムを描いて生まれて来たような気がするから。



■もっと魂で生きていい

私たちはもっと魂で生きなきゃ…と思います。

先日「看取りは魂鎮め」という記事を書きましたが、この記事では、これから自宅で親の看取りをするご家族には、ご家族にしかできない役割があることを書きました。
だけど看取りには、もう一つの大切な魂があります。

それは・・・

 "看取りをする人の魂” です。
なぜなら「生きていく人」だから。


亡くなりゆく人の魂を癒すのは、とても尊い関わりです。
日本は世界平和のために戦ったのに、惨い殺され方をした兵士たちが大勢いて、その方々は無念を抱えたまま亡くなっています。

そして現代人の私たちが戦争の真実を知ろうとしなければ、その魂は重い念を抱えたまま浮かばれず、この世に漂ったままです。
よって現代はとても重苦しく、さまざまな不具合が起こりやすくなっており、病気や人間関係の憤りや自然災害はその影響とも言えます。

また、今の高齢者さんたちも、戦後の厳しい時代に自分を犠牲にして、家族を犠牲にして日本の復興に尽くしてくれた世代です。
この方々が自分の人生を肯定できず、重い念を抱えたまま亡くなられたらどうなるか・・・
詳細は「看取りは魂鎮め」をご一読ください。

さらに私たち世代が両親の介護のために自分自身や家族を犠牲にして、人生を費やしたとしたら・・・
やりきれない人生、やりきれない自分自身、やりきれない想いを抱え、今の高齢者さんと同じ道を歩んでしまう可能性があります。

そして祖父母の介護を懸命に行なっている親の背中を見ている子供は…?
自分も自分の人生や家族を犠牲にして、親の介護をしなければ…と認識するでしょう。
私たちはどこかで、この悪循環を断ち切らねばなりません。



■魂には目的がある

看取りは介護の延長線上にあるので、介護を含めて魂の目的を考えてみます。

私自身も介護施設で働いていました。
介護は懸命に尽くしても報われない、厳しい状況があります。
その人のためにオムツ交換をしたり着替えをしたりご飯を作っているのに、つねられたり引っ掻かれたり、時に叩かれたり暴言を吐かれたり…
本当に泣きたくなります。

(なぜわかってくれないの…?)
(なぜ静かにしてくれないの…?)
(なぜ私がこんな目に…?!)
そうなんです、私自身も経験があるため良くわかるのですが、その人が悪いわけではありません。

前述したように、戦後を生きた世代は、大切な人や物を失った悲しみや辛さや恐怖を押し殺し、感情に蓋をして社会に尽くした世代です。
お金のため、名誉のために、自分を犠牲にして家族をも犠牲にして、子供のために、未来のために…と無我夢中で生きた。
なのに、介護や認知症になって報われない気持ちでしょう。

わかりませんが・・・

介護とは “心のケア” なのです。

おそらく私たちが“こころ”を学ぶ機会なのではないでしょうか。


私たち自身も、心に蓋をしたままの親に育てられ、心を失った世代です。
だから自分自身のこともよくわからないし、人の心もよくわからなくて、人間関係のストレスが多い世の中になっています。

そんな私たち世代が、親の介護を通して心を学び、自分自身の精神的成長を図ることが、介護における “魂の目的” ではないでしょうか。

そして真の看取りの意味は、亡くなりゆく人の魂を癒すことよりも、看取る家族が自分自身の『魂の目的』に気づくこと。
それは自分にしかわからないことだと思います。



■「魂の目的」の見つけ方

私たちは心の中で「なんで?」「なぜ?」という言葉をよく使っています。
それは親から頻繁に「なんでそんなことしたの?!」「なんでそんなこと言ったの?!」「なんであなたは…!」と言われてきたためです。

ですがこの質問で物事が解決したでしょうか?
たぶんふくれっ面で「だって・・・」と言い返したところで、解決には至らなかったのではないでしょうか。

その理由は、「なんで」「なぜ」という問いかけは過去の原因探しだからです。
未来思考に切り替えて“目的”を見出しましょう。

魂の目的を見出すための自分への質問は
『なんのために?』です。


そのとき、あえて、まるで自分がそれを望んで行なっているかのように、心の中で文章にしてみます。
そうして自分自身に問いかけ、自問自答してみます。

(私は何のためにイライラしているのだろう…?)
(私は何のために悲しんでいるのだろう…?)
(私は何のためにこの状況を起こしているのだろう…?)
そうして考えてみたとき初めて、過去の原因探しから未来思考へと切り替わり、それまで気づかなかったことに気づけるかもしれません。

そしてさらに、
(私は何を学びたいのだろう…?)
(私の魂の目的は何だろう…?)
(私は何に気づくべき…?)
と、考えてみてほしいなぁと思います。

この“魂の目的”に気づいたら、その問題は解決したも同然です。
きっと今までと同じようなことがあっても、同じようにイライラしたり悲しくなったり、感情的になったりしなくなるだろうと思います。



■死から学ぶことがある

私は17年前に、余命1ヶ月と告知を受けた父の死を経験しました。
その15年程前に、延命治療によって植物状態で3年生き続けた叔父を見ていました。
そして病院では、最後の最後まで闘って苦しい状態で旅立たれる方をたくさん看て来ました。

人はただ死ぬだけじゃない。
ただ居なくなるだけじゃない。
時に、生きているときより存在が大きくなることさえある。

私がたくさんの「死」から教わったことはー
『人の死は、残される人のためにある』でした。



★「親の看取り意見交換会」をZOOMで行なっています★
初めての看取り、初めて親の死に戸惑うのはみんな同じー。
オンラインの時代だからこそ、これから看取りをする人と、すでに親を看取った経験がある人と、病院で多くの死に立ち会って来た看護師が、三者三様の智恵を出し合って手をつないでいけたらと思っています。


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