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看取りは魂鎮め

親の看取りについて、看護師が書いているブログです。今、あるいはこれから両親の看取りをされる方に、わずかでもヒントになればと思って書いています。

前回と前々回は、おうちでお母様を看取られた40代女性のご経験をシェアさせていただきました。

今日は「看取りって何?」についてです。

1.介護と看取りの違い

65歳以上の高齢者と同居する家族の割合が50%を越え、自宅で介護をされている人が増えていると思います。介護はその人が生きていくために、日常生活のお世話をすることが目的になっているかもしれません。いや本当は、介護は心のケアなのですが・・・

看取りは介護の段階を終えて、人生の幕を下ろすための準備をお手伝いする時です。その境界線ははっきりしていませんが、私の経験則でいうと、だいたい食べることができなくなった頃からかと思います。“腸”は生命の根源であり、宇宙とつながる大いなる部分。ここを使えなくなるということは、最期に差し掛かっていると言えると思います。

私自身も介護施設の訪問看護で、看取りをしたことがあります。その人は80代の女性で、もう最終段階に入り始めた頃でした。たぶん身の置き場もないほど体がしんどくて、ただただ安全に人生の幕を下ろすことができるよう、その瞬間を待っている状態のように思えました。

ところがある日、介護士さんたちは何とか最期まで食べさせてあげようと、昼食時間に今まで通り車椅子に移動させて、食事をセッティングしていました。その介護施設は開設して2年で、まだ施設での看取りがそう多くない時だったので仕方がなかったかもしれません。なのでその方が看取りの段階に入ったことを説明しました。

看取りは、介護のように日常生活のお世話をする段階ではなくなって来ます。そうなれば私たちは(じゃあ何をしたらいいの?)と戸惑うかと思います。もちろん苦痛があれば苦痛を軽減する関わりをしますが、薬などで調整できていれば、具体的な行為はなくなっていきます。食べれない、動けないとなれば、一日中布団の中でじっとしている状態が続きますので、それまで介護していた人は迷われるだろうと思います。

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2.最期の瞬間に立ち会う人の役割

私たちが人生の最期の段階の人に出来ることはそう多くありません。看取りは具体的な行動ではなく、一つの人生を終え、次の人生をスタートするための準備です。つまり今生の最終仕上げをお手伝いをする役割です。

病院では、私たち看護師であっても十分な看取りはできていません。人生の最期の瞬間に立ち会える職業はそう多くなく、本当に有難い経験をさせていただいていると思います、ですが病院では最後の最後まであらゆる手段を講じるため、患者さんは死に抗って(あらがって)いる状態です。それは看取りとは言い難く、看ている私たちも最期の瞬間が近づいていることがわかるゆえ、戸惑います。


でもこれからは変わって来ると思うんですね。現在65歳以上の高齢者さんが3000万人以上いて、今後20年間のうちに、この方々が介護あるいは看取りの段階に入っていきます。3000万人と言えば日本の人口の1/3~1/4にあたります。病院や施設で最期を迎えるのは難しくなり、自宅で最期を迎える人が自ずと増えていくでしょう。

おそらく私たちの魂が望んでこの状況をもたらしているのだと思いますが、病院では出来なかったことが、自宅の看取りで可能になります。それまでの人生ではいざこざが絶えなかったかもしれませんが、最期の時になってようやく親子が関係を取り戻すことができて、人生の環が閉じられます。

看護師や介護士にはできない、親子だから、家族だから出来ることがあります。二度とない時間を後悔のないよう、大切にしてほしいと心から思います。

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3.看取りは魂鎮め(たましずめ)

周囲にいる介護や看取りをしている人に、私が必ず伝えていることがあります。「お母さんのおかげで」「お父さんのおかげで」と毎日伝えてくださいと。この言葉の後に続くのは…「ありがとう」です。

私たちは親のことをほとんど知りません…と思いませんか?子供は親に、自分の話はするけれども、親の話に耳を傾けるのは少ないのではないかと思います。ですが今私たちが便利で裕福な生活ができているのは、戦後の苦しい時代に自分や家族を犠牲にして頑張ってくれたおかげなんですよね。

家族がいるのも、自分の子供がいるのも、安心できる家があるのも、言ってみれば今自分が生きていることさえ両親のおかげですが、子供はそれが当たり前すぎて忘れてしまっているのではないでしょうか?

今の団塊の世代の方々は、戦後にTVやラジオや新聞などで言葉で育った世代です。なので“言葉”で伝えることがいちばんです。しかも人はすぐに忘れてしまうので、繰り返し伝える必要があります。できれば家族が一丸となって日々伝えてほしいと思います。


それを続けるとどうなるか?というと。死に直面している人は必ず不安や恐怖を感じていて、その深層心理には“まだ死んじゃいけない”という観念があります。たとえ「早く死にたい」と口で言っていたとしてもです。昭和、平成を生きた私たちは、さまざまな影響により、自分自身を肯定できずにいます。もっと、もっと、と常に自分を急き立てる何かが作用しているのです。

そのためご家族が「〇〇さんのおかげだよ、ありがとうね」と、皆で一丸となって言い続けることによって、自ずと(もしかしたら、私の人生これで良かったのかもしれない…)と思い始めるようになってきます。そしていずれ大きな安心感となり、心の準備が整っていきます。

これは家族にしかできないことで、看護師や介護士では役割不足です。そして病院ではどうしても、親子と言えども表面的な関わりになってしまって、心を開けないままその時を迎えてしまいますが、自宅ではこうした家族だから出来ることがあります。それが苦労の多い時代を生きたご両親の魂を鎮めることになるだろうと思います。

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4.魂は言葉でできている

目に見えないことですので、信じる・信じないはご自由です。
スピリチュアルを不快に思われる方はスルーしてください。

「魂」とは「身体」のことを指しています。
身体は「器」であり「言葉の入れ物」です。
そして言葉には念があり「波長」を形成します。

とくに戦争で負けてしまった私たちのご先祖様は、さまざまな念を抱えながら亡くなっていますし、戦後の苦しい時代を生きた今の団塊の世代の方々も、心の中の不安や悲しみを押し殺して社会のために尽くして来た世代です。

そのため現代は念を抱えたままの重い魂が無数に浮遊し、とても重苦しい世の中になっています。念は一つ一つ言葉でできているため、言葉で鎮めることが『魂鎮め』になってくれるだろうと思います。


私たちは今在ることが当たり前になっていないでしょうか。今の自分が居るのはご先祖さまあってのことで、お父さんお母さん、お爺ちゃんお婆ちゃんが頑張って生きてくれなかったら、今の自分は存在すらもできていないというのが真理です。

そして魂にはメグリがあり、今私たちがお父さんお母さんに感謝の言葉を伝えて安心してもらえたら、それはお爺ちゃんお婆ちゃん、その前の先祖にさかのぼって魂鎮めを行うことができます。また、想念は孫やひ孫の代に飛ぶのですが、それを浄化することになります。

人生の最期においてもっとも大切なことは人生をまるっと肯定することであり、カルマを解消することなのです。

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5.看取りをした人の魂も浄化される

普段接している家族だからこそ、「ありがとう」の想いは伝えづらいことかもしれません。何となくこっぱずかしいですよね。でもここは歯に衣を着せずに伝えることを、どうか大切にしてください。いつか…と思っていたら、その機会は二度と来ないことになります。

そして心を開いて対話をすれば、看取りを行なった家族の魂もきれいになります。

そのとき大切なのは「身体の感覚」です。不快な感覚はそのまま伝わります。ご家族が安心していれば安心が伝わりますし、ご家族が感謝の気持ちでいれば感謝が伝わります。そうして清らかな魂の循環が起こるー。それがこの時代を生きる私たちの役割ではないでしょうか。

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最後までご覧いただき有難うございます。

『親の看取り意見交換会』をZOOMで行なっています。
・親の看取りってどうしたらいいの?
・他の人はどうしてるんだろう?
・どんな心構えが必要?
・こんなことで困ってる
・こういうときどうしたらいいの?
など、経験者と未経験者で意見交換できたらいいなと思っています。



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