“枯れるように死ぬ”は理想
先日の「親のみとり意見交換会」で、自宅でお看取りをした人から“枯れるように死ぬ”という言葉がありました。その意味について書いています。
1.意見交換会での問いかけ
最期は自宅で迎えたい…と思うのは自然なことかもしれません。いや、自宅より病院の方が安心できる…というのも、そうだと思います。感染症の影響もあることから、そろそろかも…と思っても、できるだけ病院に入院させたくない家族もいらっしゃると思います。
気になっていたのは、自宅で急に容態が悪くなったときのことです。息苦しくなったり、血液を吐いたりしたとき、大変なのはそばにいる家族だから。だけど救急車を呼べば病院に運ばれて、延命治療になってしまうでしょう。
延命をせず自然な形で最期を迎えるために自宅で過ごすことを選んだのに、こんなはずでは…ということになり兼ねません。そこで参加者さんに、急に容態が悪くなったときの対応についてどう思いますか?と尋ねました。
すると、ご自宅でみとりを経験された方が3名いらっしゃって、どうやら病院で見る光景とは違っているようでした。
2.自宅で看取った人の意見
肺がんのお母さまを自宅でみとりをした参加者さんがいました。おそらく病院であれば24時間点滴をして、酸素吸入をして、常時吸引をして、食べられない状態になればチューブを留置して栄養剤を注入します。
ですがお母さまは、点滴も、経管栄養も行わなかったそうです。すると体内に余計な水分がないため喀痰がほぼなく、息苦しさを訴えることもなく、吸引も酸素吸入もしなかったとのことでした。
ほかにも、自宅で最期まで過ごしたけれど吸引が必要な状態にはならなかった、酸素吸入しなかった、という意見が相次ぎました。病院で最期を迎える人と、自宅で最期を迎える人の大きな差を感じました。
3.病院と自宅の違い
病院ではあらゆる手段を講じることができるため、『体に入れる』という医療行為が限りなく可能です。おそらく家族が断らない限り続きます。そして何らかの副作用があったり、また問題が起こったとき、さらにそれを是正するための“何か”を入れます。点滴、酸素、薬剤、チューブ・・・
全身管理を行いますが、ある時点で循環が低下し始めると体は溜め込む一方となり、負担が大きくなっていきます。すると心臓の動きに負担がかかり、循環不良になって排泄が減少し、水分の貯留によってあらゆる分泌物が多くなります。
肺にも水分が多くなるためガス交換が不十分になり、酸素濃度が低下するため酸素吸入が必要となります。手足や顔がむくみ、皮下に水分が溜まるため皮膚や血管が弱くなります。そして採血や点滴のたびに腫れや内出血が増えてムクムクになっていきます。見るからに“重症患者さん”です。
一方、自宅ではなかなか手段を講じられないため、『体に入れる』は最低限となります。すると副作用などの弊害が起こりにくく、食べないからといって無理に人為的に栄養を入れることもなく、自然の経過を歩みます。すると体は自ずと余分な水分が無くなり、“枯れる”という状態に近づいて、実はその方が穏やかに最期を迎えられるようでした。
そう、自宅で亡くなられるほとんどの人は・・・
”枯れるように死ぬ”
人間も自然の一部。動物たちと同じ。
枯れるように亡くなることが自然で楽で、理想的なのだろうと思います。
4.病院で看てきた死
私は長年病院で働いてきて、最期の時に立ち会ってきました。一晩で担当患者さんが3名お亡くなりになったこともありました。予測していた急変もあれば、予測していなかった急変もありました。
緩和ケア病棟は穏やかな最期を迎えることを目的にしていますが、一般病棟はなかなかそうではありません。できる限りの手を尽くします。私の記憶に残っているのは、苦しい最期の方が多いのです。
父が余命1ヶ月の告知を受けて、看護師の私に安楽死について尋ねてきたとき、ひとしきり考えた上でこう答えました。「病院でいろんな人を看てきたけど、みんな最期はしんどい思いをしてた…。たぶん、それを越えなあかんのちゃうかな。そうでないと、向こうでお婆ちゃんやお爺ちゃんや叔父ちゃんに会われへんのちゃうかな。」と。
父は苦笑いをしながら「そうか、看護師のおまえがそう言うんやったら、そうなんやろうな。」と言って、それっきり安楽死のことに一切触れませんでした。今から思えば、私はなんて厳しいことを言ったのだろう?!と思います。ですがその頃の私は病院で亡くなる人しか知らなかったのです・・・
5.魂の目的
病院が一気に増えたのは、第二次世界大戦後に西洋文化が流入してからのことです。それまでの日本は“養生”であり、最期は自宅で看取ることが当たり前の文化でした。
戦後に医師や看護師も増えましたが、急激に増え続ける病院に追いつかず、入院するときは自宅から生活用品をすべて持ち込んで、家族が付き添って世話をするのが普通でした。家族が付き添えない場合は、付き添い婦を雇って付けることになっていました。
1950年に付き添い婦制度廃止となりましたが、すでに慢性的な看護師不足になっていたため、末端まで浸透するのに50年ほどかかりました。私が看護師免許を取得したのは1990年頃ですが、入院患者さんの家族から「ここは完全看護ですか?」と聞かれることが度々ありました。
そうして日本は、悪くなれば病院に行き、最期は病院で迎えることが当たり前に変わっていきました。
ですが今になって、日本は再び自宅で最期を迎えなければならない状況を強いられるようになっています。それはまるで、真の日本人の在り方を問われているような。以前の付き添い婦さんは介護士という有資格者に取って代わったような。
病院では出来ないこと…
自宅でしか出来ないこと…
家族にしか出来ないこと…
それは一体なんだろう?
これから日本が迎える多死社会にはきっと目的があって、私たちが学び取るべき何かがあるような気がします。
オンラインの時代だからこそ、きっとみんなで進めるね。
私たち看護師も参加者さんから学ばせてもらってます。
ご参加お待ちしています(^^)/