大人になったら分かるのか?
せんのみなと代表の高崎澄香です。
実は明日で30歳になるので「節目の自己紹介」noteだ!と思いドキドキしています。長くなりますが、どうかお付き合いください。
同じ事ができない恥ずかしさ
植物や虫が好きで、近所の大きな公園で近所の男の子たちと一緒にザリガニ釣りや秘密基地づくりに精を出す毎日。
東京に生まれていながら「田舎の少年」のような暮らしをしていました。
そんなわたしの初めての挫折は、幼稚園の年長さんの頃。
ちょっとした病気で入院しました。
慣れない環境で、吐き気で食欲のない毎日が続きました。
今思えばストレスなのでしょうが、「なぜ食べないのか」「好き嫌いはよくない」と言われても、自分が考えていることがうまく言葉にできずただ無口になるのでした。
「あ~あ、また退院できないね」と怒られる度に、悔しい思いをしたのを覚えています。
理由が言葉にならない。考えているのに、伝える表現が見つからない。
どんどん殻に閉じこもるようになりました。
情けない、だから武装する
女の子のグループになじめず、周りの子ができている事ができない。
人と違うことが恥ずかしくてたまらなかった。
だから学校に行きたくなかったけど、近所に友人はいたし、母はいつも味方でいてくれました。
誰もこだわらない俳句や、カブトムシの研究で賞をとれて嬉しかった。
小学5年生の頃、たまたま勉強のできる子たちと友達になったことをきっかけに、授業についていけるようになりました。急に体調も崩しにくくなって、運動もそこそこできるように。向上心がぐんぐん上がっていく。
自信がついた一方、前に自分に戻ることが怖くなりました。
中学では元気でリーダー役を買って出たし、校則のない高校で派手な見た目と強気な態度が出来上がっていきました。
それは"あの頃の自分"に戻らないようにするための「武装」のようで。
外ではコミュ力が高い陽キャ、家では漫画にアニメにネット三昧。
「軸が通っていてかっこいい」なんて言われても、中身が伴わず、いくつもの仮面を使い分けながら中途半端な自分に悩む日々。
あっという間に進路選択。本当はものづくりの道に進みたかったのに、父の反対の声にまた言葉が見つからず、やりたいことを選べなかった。
今も人生の指針となっている大好きだった祖母のお墓に手を合わせる度に、私はどう生きたら良いのかと相談していました。
自分だけじゃない、頭と心の仕組み
中高と勉強をさぼった分、大学は何でも挑戦することに。
寝る間も惜しんでいろんなバイトをして、やたらと資格を取って、初めて海外に行ったり、雑貨や服を作って売ったり、飲んで騒いでも一通り…なんとなく起業したいなという選択肢も、現実的に考えるようになります。
そんな中、塾でのアルバイトで教育とマネジメントを学ぶ過程で、ストレングスファインダーとMBTIに出会います。
とんでもない秘密を見つけたような気持ちです。
言葉にならなかった事、自分が特に興味を持つ領域、大切にしている思い、分かり合えなかった理由。
なんだ、ここにあったんだ。
人間の心はここまで解明されているんだと知って、ほっとした。
”大人になれない”自分の正体が分かった瞬間です。
旅は道連れ世は情け
何だかいてもたってもいられなくて、海外へ一人旅をすることに。
民族衣装にはまっていたので、スタート地としてハンガリーの日本人宿であるゲストハウスを予約しました。
扉を開けたら。
そこは純粋な目で、枠を持たない自由な人たちが集まっていました。
大人が夜な夜な人生を語り合っている。
自分が諦めてきたやりたかったことを生業にして笑っている。
その輪の中で「こんなことをしている人間です」が言えなかった。
そこでわたしは初めて、自分の弱さと向き合うことになります。
今まで逃げてきたこと、張り裂けそうで、苦しくて。
ハチミツとクローバーを片手に泣きながら眠りについたのでした。
その宿は、日本一周中の夫婦がハンガリーを気に入って、2か月ほど短期で宿主をしている状態。そんな生き方もあるんだ。
2人の見送りの姿が忘れられなくて、大切な誰かと起業したいなと思うようになりました。
言葉になれば、現実になる
就活シーズン。自分のやりたいことと現実との乖離にぶつかります。誰にも相談できずにいたところ、大学のキャリアセンターの存在を知りました。
相談に乗っていただいた方のキャリアを聞き、これだと思いました。「キャリアコンサルタント」という職業を知ったのはその時です。
”これがしたい””こうなりたい”の言語化を手伝っていただき、1人では考えきれなかった選択肢が見つかりました。
大前提の仕事の知識はもちろん、人の話を聞き、心を扱う人間として素晴らしくないとできない仕事。
大人の職業観を変えたい。誰かの人生の、言葉の助けになりたい。
ハンガリーのあの宿のような場所で、背中を押せる事業をつくりたい。
その一歩目として、人材紹介業を選びました。
天職との出会い
1社目のJAC Recruitmentは、振り返れば天職だったと思います。
入社当初はつらすぎて死ぬかと思いましたが(笑)、得意を活かせる仕事であり、将来やりたい事のために必要な知見が詰まっていました。
成果がお金で跳ね返ってくる分起業資金を貯めることができたし、プロセスも評価してもらえたことは本当にありがたかった。
実務経験3年を経て、キャリアコンサルタントの資格を取りました。
この勉強の中で人材紹介は自分の考える思想とズレていることが言語化されて、個をエンパワーメントする企業で勉強したいと思うように。
起業への道を志す準備として、スタートアップへの転職を決めました。
「年収が3分の1になるのはやや不安」とこぼしたら、今の夫と結婚することになりました…将来の起業ありきの結婚、自分らしい。
働き方と心の問題
YOUPACEというライバー事務所へ転職。社員1桁のスタートアップ・職種・業界、何もかもが未経験。でも考え方が近くて同じ方向を見ていれば、面白く働けるものだなと実感しました。
慣れてきた頃やってきたのが、コロナ。
人事として一番心を扱う時期に、人の心の闇がぶわっと広がっていく瞬間を見ました。
同時に、働き方の革命が想像より前倒しで起こるのだなと気づき、複業でやろうとしていたことを、本腰入れてやるべきなのでは?と考えるようになりました。
人生の大切な時に、ちゃんと考えて答えを出す場所をつくらないと。
そんな事を夫と話していたら、やるしかないねと。
七転び八起きで(創業前後だけで本が書けそう!笑)今住んでる千葉県香取市に古民家を買い、せんのみなとを創業しました。
千の人が、集まる港に
本音を話そうとすると涙が出てくるのは、なぜ?
ずっと言葉にできない悩み、絡む思考、理想との乖離に悩んできました。
それでも理想を語れる方法を知って、語れる人と出会えて、言葉にすれば叶っていくことを知りました。
本音を話すことに慣れていないとストレスが涙に変わる事を知って、また少し楽になれた。
キャリアツーリズム命名に至る前は「泣ける旅」がいいんじゃない?と話していたことを思い出しました。あれ、悪くないかも(笑)
人生100年の大航海時代。
キャリアツーリズムは、自分を知って、可能性を広げてくれる新しい旅。
2つ以上の生業と、2つ以上の帰る場所を持てたら、幸せじゃないか?
人生最高潮を記録更新できるサービスにしていきたいです。
広い世界を見て、知らない価値観に触れて、笑い合える同志たちとかけがえのない時間を過ごして。
自分の人生の主人公は自分で、片手間に考えるものではない。
もっと欲張っていい。
欲張ることを諦めることを「大人になった」と言うくらいなら、ザリガニ釣りやカブトムシの研究に没頭できる少年のままでいたいです。