僕が「大手」「管理職」を手放した理由
東証一部上場企業の管理職。
学生時代は、実際にどのようなものなのか分からずとも、どことなく憧れを抱いていた肩書。就活をしている友人からは「あの企業の管理職になりたいよね」という声を聞くこともしばしばありました。
そんな世間一般で言う憧れの「大手企業の管理職」を手放した僕がどうしてその決断をしたのか。そしてそこに至るまでにどのような背景や経緯があったのかを記そうと思います。
退職を決めた時期は、コロナ禍の影響を受けて業界全体が大きなダメージを受けている中、チームは非常に好調で毎月連続達成や表彰を受けていました。
そして薄らと次期部長は…という声も。
「普通は今、辞めないよ」
「まだ、そのタイミングじゃないでしょ」
このような声も多くいただきました。
一方で、「ミネらしい道だ。変わらず進んでいくわ。」と言ってくれる人も
同時にたくさんおりました。
こんな僕がどうして”憧れのキャリア”を手放したのか。
誰一人として諦めることのない社会を
実は、中学3年生の頃から
「アフリカで石鹸を売りたい」「アフリカで学校や水道のインフラを整備したい」という目標を持っていました。
この時は漠然とした夢であり、親にも友人にも「?」な顔をされていたことを今でも覚えています。高校でも、大学でもずっと同じことを言っていました。でも実際にはどうやって動いていけば良いのか、どのような努力の先に叶う目標なのか、は全く不明確でした。
大学3年時、アフリカ地域で仕事をするには商社なのかな?という漠然な思いでOBOG訪問や内定のための情報収集をした時期もあります。
いざ、就職活動が始まり書類作成、面接と進めていきました。
と、思った矢先「就活、辞めよう」と早々に将来へのワクワクを感じなくなってしまったのです。
同じ時期に皆が黒いリクルートスーツを着ていることやOBOG訪問、ゼミ活動に勤しんでいる姿への嫌悪感ではありません。頑張っている人はその人で思い描いているものがあると思い純粋に応援していました。
でも、僕の中で就活に対してのエネルギーやモチベーションが続かなかったのです。
それは「学生に言ってほしい答えが用意されている」ように感じたからです。
(今思うと、学生時代の僕の意識が低かっただけなんですけどね苦笑)
「ああ、このまま周囲の顔色をうかがって、自分のやりたいことに蓋をするのは辞めよう」
「海外での目標があるのであれば、背負うものが多くなる前に海外に出よう」
そう思って、まずはニュージーランドへのワーキングホリデーに早々と行動を切り替えました。
一年間のワーキングホリデーを経て、いざ就活!!
かと思いきや…。
「海外で就職活動します」
そう、親に告げ、大学を卒業後、資金集めのため週7日間のバイト三昧を半年。
60万円を握りしめ、イギリスはロンドンに渡りました。
本当に、運よく巡り合えたJAC Strattons(現地の不動産会社)に就職。
この地から自分のキャリアをスタートさせるんだ。
日本は「旅行」として遊びに来る母国という存在で、今後は生涯海外で活躍していく。こう目標を立てていました。
しかし、現地での仕事や生活にも慣れ、成果も出始めた矢先に決まったイギリスの欧州離脱。当時お世話になっていた上司(今でも恩人)は会社を退職し、自らの権限でビザを発給できる会社への転職をしてまで僕とビジネスを創り上げようと整えてくれていたのにも関わらずです。
少しの悔しさと新たな挑戦を目指して
このような影響を受け、日本に帰国した長嶺。
実は、自分がやりたいことを探すために少し余白期間を設けようかと考えていました。
結果的には、早々に前職であるJAC Recruitmentに入社が決定するのですが、この時決めていたことがあります。
それは
「3年後にはJACを辞めて、独立する」ということです。
採用時にも、配属先の部長にも、同期にも入社当初から伝え続けていました。
なぜ、こんなことをしたのかというと
「老若男女、誰もが諦めることのない、挑戦できる世の中を創出したい」と本気で思い、行動したかったからです。
イギリスでの経験は「誰もが」という軸、つまりどのような言語、人種、文化を持っている人という点を活かすことができ、
JACでの経験は「人の挑戦の背中押し」「経営者の近くでマインドやノウハウを学べる」「結果次第では管理職に早くなれる」という点を獲得できると考えました。
恐らく、独立する、と豪語していなければ
JAC内で成果を出すことも、自分のやり方を極めることも、そしてチームメンバーがついてきてくれることもなかったと今考えると思います。
自分の目標を叶えるために
前職に入る時には、独立をする、ということを決めておりました。
だから、3年経ってすぐに起業…
ではなく、本当に多くの葛藤がありました。
正直、JAC Recruitmentという東証一部上場企業の「部長」という肩書が欲しいと思ったことも何度もありました。
結果的に、3年半の在籍にはなりましたが、最後の一年間は自分の中では本当に気持ちの良い一年でした。
これは自分が良ければ全てよい。という考えではなく、自分の考えや行動を支持し、ついてきてくれた仲間が次々にJACを支えるポジションになっていったからです。
今でも前職の仲間から連絡をもらったり、古民家に遊びに来てくれたり、相談してくれたり、という関係が続いているのですが、自分の周りから8名ものリーダー・マネージャーが育って行ったのです。たった、3年半の在籍と考えると驚異的だと自負しています(笑)
最後の一年で確信したこと。
それは「自分の発信や行動の仕方が間違っていない」ということです。
もちろん、これからの時代の波や出会う人によって伝え方などは変わっていくと思うのですが、見据えている世界観についてきてくれる人がいる、ということが自信に繋がりました。
僕が手に入れたかったこと。
それは「大手企業の管理職」ではなく自分でやっていけるんだ、という「自信」だったのだと思います。
素敵な仲間が各々の目指している道に進み、昇進する姿を見て、気持ちよく「退職」という道を選びました。
手放した今、感じること
一般的に、大手管理職というと、他にやりたいことがあっても手放しにくくなっていると思います。金銭的にも、地位的にも…。
でもやりたいことって「会社の中で評価されること」だけではないと思うのです。
一見、手放したように見えた経験も、実はこれからの自分のキャリア形成に全て繋がっているのです。
自分はなにがやりたい人なのか。
そのために、今の環境でできることはなんだろうか。
自分が積み上げてきた経験や体験は、これからにどう活かせるのか。
これらを考えることは本当に大事だと考えています。
その先に、「誰もが諦めることのない社会」が実現し、
そして弊社が目指す「子供もワクワクするキャリア形成」が達成されると信じています。
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