好きなことだけ

僕はもうこの社会を必死に生き抜くことには疲れてしまった。
何のために残業までして働いているのかも分からず、特に目標もなくただただ時間を浪費することに嫌気が差してしまった。
せっかくの休みも仕事の疲れをとるのに精一杯で、好きなことなんて結局少ししか出来ていなかった。

好きなことだけできる世界、好きなことだけが揃っている世界に飛んでいきたい。
せっかく生きているのに、辛い思いばかりをしていては意味が無い。
苦楽を共にしてきた僕の薄汚い部屋で、様々な思考を激しく巡らせながら、僕は静かに目を閉じた。

目が覚めると、そこには目を疑う世界が広がっていた。

僕の好きな食べ物、ゲーム、漫画など全てが僕の好きなもので取り揃えられている。
驚いたのは、寝ることも好きであるからか、フカフカのベッドまで用意されていることだった。

ここは天国だと、即座に分かった。
広さは小学校の体育館の広さくらいか、壁も天井も地面も真っ白である。

僕は数年ぶりにこの上ない幸福感を感じた。
今まで辛い思いをしながら、コツコツ頑張ってきた事が報われたのだ。

時間の経過を気にすることもなく、僕はひたすらに好きなことに没頭した。

天国でもちゃんとお腹が減るし、眠くもなるシステムには関心した。
僕は食べることも寝ることも大好きなのだ。

この空間に置かれていない漫画やゲームなどは、それを頭に浮かべながら寝ることで次の日には用意されていることにも気付いた。
いやらしい事も好きであったが、女の子そのものは呼び出すことは出来ないみたいだ。まぁ、いいか。

そうこうしている内に色々と気づく事があった。
お腹が減ったり、眠くなったりすると言ったが、尿意や便意、ゲームによる目の疲れなど僕の好きな事と関係しないものは一切無かった。

こんな事があっていいのだろうか。
こんなにも楽しい日々が続くなんて、僕は何を我慢して生きていたのだろう。
今まで無気力に生きていた自分を嘲笑っていた。

それから何日、何ヶ月経ったか分からない。
ゲームはやり尽くしてしまい、漫画も読み尽くしてしまった。
食べ物にも飽きてしまい、いつからかお腹が減る事もなくなった。

...退屈だ。

そこから数日は本当に退屈な日々が続いた。
好きなことは全て揃っているはずなのに、自由に何でもしていいはずなのに、苛立つほど退屈であった。

一時的に寝て忘れようとしても、眠気すらなくなっていた。

このままでは折角の天国が勿体ないと感じた僕は、何とかして眠りにつこうと努力をした。
時間はかかったが少しだけ眠ることが出来た。
意外と天国とはいえ詰めが甘い。

しかし、目が覚めた僕の目の前に広がるのは真っ白な何もない世界だった。
僕の好きなことはいつの日か無くなっていた。

あぁ、そうか。
好きなことだけで生きるなんてこと、最初から出来やしないし続かないんだ。
僕はそこで重要なことに気付いた。
この空間には人を呼び出すことが出来なかったこと。

好きなことがあっても、好きな人がいないと永遠の幸福など成立するはずが無かった。
ただ、僕には友達と自信を持って言える人は一人もいなかった。
家族とも仲が悪かったし、会社の先輩からは罵られ、後輩からは馬鹿にされていた。
僕には好きな人なんていなかった。

僕は頑張って生きてなどいなかった。
苦楽を共にする仲間、心から愛せる異性、何よりも大切な家族とかそういった好きなことを超越する存在に対して僕は無関心だったんだ。
人と共に共有し育むということを怠っていたんだ。

それなのに、僕はこの人生に終止符を打ってしまっていたのだ。
ここまで失わないと気付かない僕はどんなに愚かだろうか。

もっと生きることへの関心を持つべきだった。

色々考え込んで、後悔した。
しかし、皮肉なことに涙は出てこなかった。
好きなことしか存在しないこの空間に涙は必要ない。

おそらく、友達がいればこの何も無い空間だってずっと楽しめたはずだ。
もう遅い。僕の心臓は二度と動かない。

それから何年、何十年、何百年と僕は真っ白な空間をたった一人で彷徨い続けている。

ここは地獄だった。

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