思考は巡る

今日もまた目が覚めた。
何十年と生き続けたこの体は、いつの日か目覚ましが無くとも朝6時に起きるようになっていたらしい。
今日は嘘みたいに晴れていた。
別に天候などどうでもいいのだが、昨日の天気予報では雨だった。
いつもと同じ景色をなんとなくしみじみと楽しみながら、大した工夫もない朝食を食べる。
なんだかいつもより一層味が薄く感じた。

今日はここ最近で一番気持ちが楽でリラックスできる日だ。
朝食後は周りが騒々しくなるに加え、私自身少し辛い思いをしなくてはならない。
望んでもいないのに、毎日訪れる負のルーティンが非常に憂鬱だった。
今日はそれがなかった。私が望みがとうとう叶ったのだ。

いつもより少し早めに妻が私に会いに来た。
言葉を交わすことはないが、顔を合わせるだけで愛を感じられる。
妻を見つめていたら、何やら察してくれたようで、半分寂しそうで半分嬉しそうな顔を見せてくれた。
長年一緒に暮らしていたのだから、言葉など要らなかった。

昼食には珍しく私の大好物が出てきた。
ここ最近口にしていなかったせいか、半分ばかり嗜んだあとで残してしまった。
懐かしい味を感じたのは、今思えば気のせいではなかったのかもしれない。

その後はずっと空を眺めていた。
今日は唯一、青空が夕焼けに染まるまでの変化を楽しむことができる日だった。
途中、何人かが私に話しかけてきたが、空を見ることに集中していた私は少し冷たい反応をしていたかもしれない。

夕刻を過ぎると息子がやってきた。
なんとなく覇気のない表情を浮かべていた。

小さい頃はよくやんちゃをしていて、手のかかる息子であったが、あの頃の元気さは無く少し頼りない雰囲気を漂わすようになっていた。

この小さな部屋で久しく家族全員揃った。
母親は笑いながら泣いていて、息子は少し複雑な表情を浮かべていた。
それを見た私は少しだけホッとしたような表情を浮かべていた気がする。

そろそろ時間が来るのを感じた。
先ほどまで赤く燃えていた空はすっかり闇を放っていた。
本来なら食事が出てきてもおかしくない時間なのだが、もう私には意味を成さないのだろう。

見慣れた顔ぶれが私を取り囲む。
部屋の空気が俄然重苦しくなっていった。
その中で心地よさを感じていたのは私だけだったのだろう。

さぁいよいよ終わりが来た。
不思議と私はそう確信した。
少しも動かない私の体がフワッと軽くなるのを感じた。
何年の時が流れたか、私の人生はここで終わりを告げる。

変わらない景色、変えられない空間の中で私の思考だけが空を泳ぐ雲のように巡っていた。
身振り手振りで伝えられずとも、文章に綴れずとも、言葉を発せずとも、思考は巡るのだ。

私がこの世を去るその一瞬、これまでで一番激しく思考が巡った。

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