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生きることは美しく、死ぬことは恐ろしい

個人の自由な考えを全世界に発信できる手段が止まらぬ勢いで増加を続け、一般的に良い思考と常人では考えられないような悪い思考が対を成して横行している。

かつては幼稚な悪戯がほとんどであったが、昨今では人の死を愚弄するような発信が散見されるようになったのは、私の目の前の話だけではないのだろう。

コロナウイルスによる外出自粛期間中に失望した

私がこうして記事を書き始めたきっかけは現在も世界を脅かしているコロナウイルスだ。
コロナにより東京を中心に外出自粛要請が出始めた頃、SNS等で人が手と手を取り合う姿が多く見られた。
しかし、コロナによるマスクの品薄や医療機関の影響などを逆手に取った詐欺や転売など、こんな状況下であっても人間の姿をした悪魔は数えきれないほど存在していた。

コロナにより毎日世界中で何人もが尊い命を奪われている最中、何故そんなことができるのだろうか。
仮にも成人であるのに、命の大切さがまるでわかっていない。

コロナによって誰もが知る著名人も多くこの世を去った。
なんだかんだ助かるなどという考えは簡単に吹き飛ばされるはずだった。
無数の悪魔はそんな著名人の死さえも弄び始めた。

私は失望した。
家族や友人とも会えず、ただただ心の中で無事を祈るしかない生活をしていた私はただただ失望した。

死ぬということは恐ろしいこと

死というのは本当に恐ろしいこと。

どれだけお金を稼いでいても、どれだけ出逢いに恵まれていようとも、どれだけの権力を持っていようとも、死んでしまえばその瞬間全てが無かったことになる。

どれだけ犯した過ちを悔やんでも、どれだけ伝え損ねた言葉があろうとも、死んでしまった人には二度と会えない。

生きとし生けるもの、残酷である。
産声を上げたその時から皆生きながら「死」へと歩んでいく。

浅はかではあるかもしれないが、このことを私は経験や漫画などから嫌というほど学んだ。

死はこの世でもっとも恐ろしいことなのだ。

生きるということは美しいこと

死が両手を広げ待っているからといって、ほとんどの生きものはその運命に平伏し生きることをやめるわけではない。

運命を受け入れる、もしくは運命から目を逸らし、必死に生き抜く姿を魅せる。

もはや説明など要らない。

死が恐ろしいからこそ、生きることは美しいのだ。

前述した通り、死んでしまえば全て無かったことになるが、何故それでも生きることを最後までやめないだろうか。疑問に思う。
私は無論一度も死を経験したことがないが、生きものはこの世を去る瞬間が最も美しいと思う。
これまで自分がしてきた全てのことを振り返り、一つの作品をこの世に落として去る。物語の終わりが一番美しいのと同じであろう。

生きものは皆、その一瞬に後悔をしないために生きるのだ。

憤りを感じる

あまりにスケールが大きく、まともな解釈ができているか分からない。
ただ、「生きることは美しく、死ぬことは恐ろしい」のに、人はどうして他人の死を愚弄するのだろうか。

その人と深く関わりを持っているわけでもなく、恨みを持っているわけでもないのに、何故そんなことをしてしまうのだ。

どうして命の大切さが分からない。
自分の命が大切であるならば、他人の命も同等に大切にすべきだ。
自分の命が大切でないならば、生きることの美しさ、もしくは死ぬことの恐ろしさと真剣に向き合うべきだ。

他人に親切をしろとは言わない、実際私もそれほど名前も知らない他人に対して親切をしてきた覚えはない。
しかし、命や生死が関与する場合は自他に関わらず真剣に向き合い、行動するべきだ。

生はあなたが考えているよりも美しく、死はあなたが考えているよりも恐ろしい。

肝心な悪魔どもには私の言葉は届かないだろう。
しかし、これを見た数少ない人が生きることの大切さを再認識してくれることを願う。
死は恐ろしいことだが、怯える必要はない。
今を生きて、生き抜いて、美しい姿を魅せていって欲しい。

「明日死ぬと分かっていたら、今日の生き方も変わる。」

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