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#千住暮らしのひとコマ

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千住での暮らしの実際の体験談をお届けします。
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#写真

荒川七変化

私のスマホには荒川の写真がめちゃめちゃ多い。チャリで通勤していて、行き帰りに千住新橋を渡るが、いちいち感動してカメラを向けたくなる。低解像度だし、たいした写真も撮れないのに、同じような写真ばっかりいっぱい。 水の上を通るのは、何か「心洗われる」効果があるように思う。朝夕、雄大な荒川を渡る千住暮らしはちょっと幸せ。今日は朝夕の写真だけで荒川七変化をご紹介。キャプションと一緒にさらさらっと見てもらえたらうれしいです。 水害から都民を守ってくれている荒川は、約100年前に人の手

都市の極相・まちの極相

もう何年か前の話。ぼくの目は、日光の戦場ヶ原あたりを歩いていた。ふと思う、この湿原はやがてどうなるのか。そもそもどこへ向かっていくのか、と。約2万年前の火山活動がきっかけに長い時間をかけて変化し続け、今、"たまたま湿原"であるのか。それともこれが"終わり"なのか。 stay home 生活で、また少し考えてみた。この夏の自由研究。答えはないけど。 森林の教え都市は、まちはどこへ向かっていくのか。変わりゆく街並みは、人間の活動のカタチが現象として表出したものだとしても、ある意

「城壁」と暮らす 2

土手を「城壁」と見立てる。千住は城郭都市だ、の続き。 ぼくの目は、隅田川の「掃部堤(かもんづつみ)」の跡である墨堤通りをなぞるように歩いていた。 いまの千住のまちを囲む荒川や隅田川の「土手」は、ケヴィン・リンチの著書「都市のイメージ」(The Image of the City)でいうところの「エッジ(都市の境界)」だろう。この墨堤は、昔のまちの「エッジ」であり「パス(道、通り)」である。歩いてみると、堤防としての役割が失われ、市街化の中でその姿を埋もれさせながらも、微地形

風化の美学 〜空間の素材〜

ぼくの目は、いつの間にか千住のまちのシワばかり気になっていた。 「いつまでも若く見られたい」 若さに固執する姿は美しくない、と思う。最高齢現役モデルのカルメン・デロリフィチェは、加齢(エイジング)もファッションも自分のスタイルに変えている。その姿を見て、多くの人は美しいと思う。 まちも同じである。まちの空間に時が刻まれている姿は、人々を魅了する。わびさびの文化をもつ日本人であれば敏感であるはず。例えば、欧州の国々へ旅行して、その街並みに感じる美しさだってその類。表層的な

千住のコンポジション 〜 序 〜

ぼくの目は、地図と頭の中にある千住を行ったり来たり。 江戸時代、千住は宿場町。江戸四宿のひとつとして栄えた。1625年に建設され、日本橋から2里(約8km)に位置する初宿。日光道中、奥羽道中へ続く江戸の北の玄関。たくさんの人やモノが行き交う、まさに千住は「通り」のまち。 今、わずかに残る建物や蔵は、その時間をつなぎとめているかに見える。 よく目を凝らしてみると気づくことがある。「通り」に面する建物、その土地のカタチ「地割り」は間口が狭くとても長い。この「通り」とうなぎの