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ずっと、泣きたかった。

6月7日、午前10時。
その日は、(わたしにとっては)なんの前触れもなくやってきた。

君はひととコミュニケーションをとるのが苦手なようだから、
人と関わらない部署に移ってほしい。

専務から言われた言葉は、実質の窓際部署異動。

そのあと専務から出てきた言葉は、わたしがいかに他の人に迷惑をかけていて、与えられた仕事をできていないかだった。
遠回しにわたしが発達障害じゃないかと疑われた。

わたしが顧客からいただいた「ありがとう」の言葉も、「今日知られてよかった」という気持ちの変化も、
築いた関係性も、まるでわたしの良いところは何もなかったかのようだった。


退職勧告されてから、1年と8ヶ月。
自分なりに努力して、成長できたことも、褒めてもらえたこともいっぱいあった。
でもそんなことはたぶん上の人たちには豆粒すぎて見えなかったんだろう。


ほとんど定期的に呼び出されては注意を受けた。
どこが悪いのか、どうしたらいいのかはいつも教えてもらえなかった。
新卒にはきつい職場だった。
同期は2年も経たないうちに半分以上辞めてしまった。次の新卒なんて全員1年持たなかった。

それでも、諦めることはいつでもできる、でも今ここでやめてしまったら何もできない未熟な自分のままだ、
そう思って歯を食いしばってきた。

やっと、やっと、入社当初からやりたかった仕事を任せてもらえて、この仕事ならこいつに聞くのが一番早いって思ってもらえる分野が増えてきた。

そんな矢先だった。


だから話をされたときはやっぱりショックだった。
その日は一日じゅう、心臓がバクバクしてうまく息ができなかった。



でも、3割くらい、安心してる自分がいた。



周りの人や同期は、

「怒られたり、クレームが入ることなんてよくあるよ。
しんどいときはサボることだってあるよ。」

よくそんなことを言う。

だからこれが普通って思ってた。
普通になれないわたしが悪いんだって。
そんなふうに怒られても平気な顔をしていられることが普通なんだって思っていた。

わたしの心は人より弱くて、休むのもすごくへたくそだ。
だからわたしの夢はずっと、
「普通の人になりたい」
それだけだった。

普通の人でいるために失ったものはたくさんあった。

仕事以外の時間は疲れてずっと寝込んでいた。
人を信じられなくなって、人と接することが怖くてたまらなくなった。


だから、わたしの存在を否定されたことは、わたしが自分自身に
「もういいんだよ」
そう言ってあげられるいい機会になる、そんな安堵の気持ちだったんだろう。



ああ、ずっと、わたしは苦しかったんだって、気づかなかった。

泣きたかったんだって、知らなかった。



辞めよう。
そう決めたら、次の仕事でやりたいことも、私生活でやりたいこともぽこぽこ溢れてきた。

わたしの夢は、「普通の人」なんかじゃなかった。

夢、いっぱいあった。大きな夢じゃないけど。

いつのまにか夢見ることを忘れてしまっていただけだった。

いつか、また本心で人と関われるようになりたい。心から笑いたい。
尊敬できる人と働いて、仕事が好きだって言えるようになりたい。



もしも誰かがこの続きを楽しみにしていてくれるなら、

わたしの人生の話の続きを、いつかまた書きたいと思う。

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