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それでも、人生はつづく。

双極性障害から、(たぶん)パーソナリティ障害に診断が変わった日の記録。


最近は毎朝8:30に目を覚ましていて、わたしのベッドの隣で布団を敷いて寝ていた彼が7:00に起こしてもわたしの体は気だるかった。

スマホの電源をつけると、母からLINEが入っていた。
「気をつけていってらっしゃい♪ 〇〇(彼の名字)さんにもよろしくね」
母は同行してくれる彼にも前日にLINEを送っていて、心配してくれているのがわかる。
「激ねむいです いってくる」とだけ返信しておいた。

今日は病院の予約の日だった。
数ヶ月後の予約を毎月◯日に受付するというよくある仕組みで、なんとしても勝ち取るために実家に帰り、母と電話機3台を使ってなんとか漕ぎつけた予約。母は喜びで泣いていた(ちなみにもう一つの方法でその病院にかかる方法があるのだけれど、それは3ヶ月メールを送っても落選を繰り返している)。
2ヶ月半後に人生が変わるかもしれない。毎日ベッドから起き上がれない生活に終止符が打たれるかもしれない。仕事も家事も外出も、できないことがほどんどの自分の生活の中でたった一つの生きる望みだった。


13年も体調不良に悩み、当然転院も繰り返してきたわたしが最後の砦と期待する病院はどういったところなのか?
簡単にいうと、双極性障害の研究者の中でわたしが最も信頼を置いている教授のいる病院なのだ。

今の病院に来て3年、初診時は正社員で働いていたものの徐々にできることは少なくなって今は1日も働けない。良くなるどころか悪くなる一方の今の病院は合っていないのかもしれない。
もっと双極性障害に詳しい医院に転院したい。そう思ったときに彼が見つけてくれた病院がこの教授のいる病院だった。
そのときちょうどわたしが読んでいたのが、教授が編者をされている精神疾患に関する書籍だった(精神疾患が身近にある人だけでなく、知的好奇心にあふれた人なら誰でも楽しいと思うのでいつかきちんと紹介したい)。
きっとたくさんの人がこの先生を求めて病院にくる。だから予約はとてつもなく難しいと思うけれど、試しに、しかし全力でやってみようとトライした。結果、奇跡的に1ヶ月目で予約をとることができたのだった(ちなみにわたしはこれを神の思し召しと呼んでいる)。


準備が出来次第早めに家を出たものの、診察券の発行に時間がかかって科の受付をしたのは時間ギリギリだった。
わたしより大きい病院慣れしている彼が隣にいてくれて安心する。長い廊下を歩きながら、「こうやって大きい病院の廊下を歩くと、入院してたときのことを思い出す」と彼は言ったけど、正直わたしはもういっぱいいっぱいだった。それには返事をせずに、ただ少しだけ嫌な記憶を思い出させてしまってごめんねって思った。

科での受付を済ませて6枚くらいある問診を書き進めていると、さっそく名前を呼ばれた。
「7番診察室へどうぞ。」
ええと、7番7番。一番端にあったその診察室の扉には、大きな文字で見慣れた名前が書かれていた。
外来担当表をぼんやり見つめながら、もしかしたら、と思っていた。よく見かける名字だけれど、この科にこの名字の先生は1人しかいないはずなのだ。

今からわたしたちは神様と話をする。
書籍を持ってきていたし、「サインしてください!」とか、「握手してください!」とか、「SNSフォローしてます!」とか、もし会えたら言っちゃおうかなんて彼と話していたけれど。
無言で彼と目を合わせる。もう入るしかない。問診は書き終わっていないし、心の準備はできていないけれど、人生準備万端ベストタイミングで物事を始められることなんてないもんね。


先生は、とてつもなく丁寧で優しかった。ネットやテレビのそのままだった。あと思っていたより少し声は高めだった。
最近の状況を、わたしにも彼にも丁寧に聞いてくださって、途中で彼に退席してもらってわたしの今までの状況を聞いてくださった。13年分をできるだけ詳細に。どんなきっかけがあったとか、どんな気持ちだったとか、そのときかかっていた病院、転院の理由まで。最近障害年金の請求のために病状や通院歴をまとめたので、印刷してお渡しすればよかったと思った。
彼に再び部屋に入ってもらうときには、「旦那さんに知ってほしくないことはありますか?」と一声かけてくださったり。うちはもっとやばいことまで共有してますから、これくらい既知の事実ですよぐふふ。

診断からいうと、双極性障害には該当しないことを伝えてくださった。
何らかのパーソナリティか、何らかの適応障害。先生はすごく悩みながらそう言った。双極性障害の権威に頭を抱えさせたわたしの体調はすごいぞ。
ここは双極性障害の専門なので、それ以外の多くのことはわからない。もとの病院か、別のところでアセスメントを受けて必要なカウンセリングなどを受けてほしいと。
ちなみに今飲んでいる炭酸リチウムやバルプロ酸、ビプレッソは必要ない可能性が高いらしい。もともとの先生が薬を減らしていく方針なので、そのままでよさそうとのこと。

双極性障害は近年過剰に診断されていて、この病院では半数が違う疾患だと判断されるとか。なぜなら、そう診断してしまえば基本的には投薬のみで心理療法の必要がないから。
例えばパーソナリティ障害には心理療法の拒否感や抵抗感があり、心理士には特別な技術が必要だそうだ。それを提供している医院の選定、心理士との相性が合うかどうかも治療の難易度を上げる要因になる、とここまで以前調べたことがある。
それはつまり、わたしの体調は薬ではなんとかならないからこれから心理療法メインで改善していかなければならないという、ずっと険しい道を提示されたということ。

ちなみに、上記のように診断されたわたしの体調を下記に記しておくので、もし自分が双極性障害じゃないかもしれないと考える方の参考の一助になれば幸いです。


わたしが診察室を出たときには1時間以上が経過していた。指名で診察を受けると4万円くらいする高名な先生なので、わたしは先生と何円分話したのだろうとがめつい計算をしてしまった。

ちなみに結局先生に余計なことは一言も言いませんでした。
見惚れてしまって、「よろしいですか?」って聞き返されたことは2回くらいあった。


正直、診断の納得感は薄かった。

双極性障害でなかったことには納得した。明らかに躁鬱だと思っていた期間は人生でも2年ほどで、最近は1日の中でも乱高下がある。診断は今の状態で下されるので、今が双極性障害ではないことは分かる。

パーソナリティ障害も、特に境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害において自分に当てはまると思う部分は多い。
しかしそれでここまで生活が壊れるものなのか?
原因も謎なのだ。両親と離別も死別もしていないし、仲もいいし、手を上げられたことなんてない。これでもかと愛を注いでくれて、家にホームビデオは40本、アルバムも兄のと分けて10冊ずつくらいある。
今ホームビデオを全部観て証拠を探っているけれど、やっぱり兄からのいじめだったのだろうか。

さらに、適応障害。中学3年生で発症しているので、環境は13年で何度も劇的に移り変わっている。わたしは中学も高校も専門学校の臨床実習も勤務先も一人暮らしも面接も引っ越しも同棲も全てに適応障害を起こしているってことなのか?
え、そんなことありえる?というか今無職で何に適応できないの?

何かパーソナリティ障害が根底にあって、それがわたしのストレス耐性を低くしているということなのだろうか。
倦怠感は前の先生が言う通り薬が多すぎるせいなのかもしれない。

それでも、自分が信頼している先生に診てもらえたことで、これを全部ひっくるめて受け入れて解決していくしかない!と思った。先生が違うと言うなら違うのだ。カラスもきっと白い。
とりあえず前の病院に戻って、できることをやってもらおう。それでもうまくいかなければ転院しようと彼と話し合った。
彼が「ここにいるからね」と言う。ここにいるってことは、これから険しい道のりのわたしと一緒にいるということで、本来必要のない彼までこの道のりを歩かせるってことだろうか、と一瞬思った。


大きな病院では薬を処方してもらえなかったので、急遽前の病院の予約をとった。
予約は2時間後。
近くのお寿司屋さんでお昼を食べながら、彼が「今日は付き合って200日記念日だよ」と言った。
いつもは彼がSlackに設定してくれた今日は何日目botを毎日眺めてカウントダウンしているのに、ここ数日そんな余裕がなかったことに気づく。
診断が変わったことでわたしの混乱は大きくなっていて、記念日を喜ぶ気持ちも全然わかなかった。
落ち着いたら祝おう。とりあえずこれから病院で先生に言われるかもしれないプランを2人でシミュレートして、家に持ち帰らずすぐに返事できるように組み立てた。

彼は病院の受付までは来てくれたけれど、午後の就業時間が迫ったためそこで別れた。
紹介状を見せると、「やっぱりね、わたしは双極性障害じゃないと思ったんですよー」みたいなことを言われた。普段はわたしの話をあまり聞こうとしないこの先生にもう期待はしていなかったけれど、今日だけは話をちょっと聞いてくれた。
薬は引き続き減らしていくことになって、今日はどのカウンセリングが合うかヒヤリングをしてもらえることになった。

そう、わたしが3年通うこの病院、カウンセリングや外来がとにかく多い。
わたしも普通のカウンセリングだけでなく、ビジネス系やキャリアデザインを受けたことがあるのだが、今回はまた違う種類のカウンセリングが必要そうだ。

さっきの病院で言われたことと、自分がこれから解決していきたいことを話した。もしパーソナリティ障害の原因が過去の環境や自分の認知の歪みにあるなら、それを改善したい。
そう言ったら、スキーマ(固定観念)を変えるカウンセリングをおすすめされた。とりあえずやってみよう。


不安はいろいろ残る。この医院はパーソナリティ障害を得意とはしていない。
ちゃんとした診断はされていないので、特定も急がれる。
なにより、まだ良くなる兆しも方針も何も立っていないのだ。

とにかくいろいろな考えが頭を駆け巡っている。
薬を飲まなくなるということは、15歳からずっと投薬を受けていたわたしに初めての献血チャンスが訪れるということか、といった些末なもの。
寛解まで予想よりずっと長くかかりそうだ。いつか子どもが欲しいを最優先に考えるとしたら、もう一度働くのも難しいかもしれない、なんて大げさなもの。

昨日一日中ざわざわとしていた感情は、今も落ち着きがないままざわざわとし続けている。
彼が「一緒に頑張ろうね」と言う。一緒にいてくれて、1人で抱え込まなくていいということがどれだけ心強いことか、と思う。
普段から恥ずかしくて言えないのだけれど、今はもっと「好きだよ」や「ありがとう」が言えなくて。
彼をいつもより強く抱きしめた。


そして、人生はつづく。

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