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「自分が正しい」という妄想

けんすけです。

長年サラリーマンをしてきたましたが、
昨年、60歳で定年を迎えました。

この60年を振り返ってみると、
反省することばかりなのですが、
特に未熟だったと感じるのは「マインド」です。

随分と長い間、
私は「自分は正しい」という妄想に
取りつかれていました。


私は物事をロジカルに考える方で、
あれこれ理屈を組み立てるのが好きでした。

理屈の怖いところは、
一旦組み立ててしまうと、
他の道筋が見えにくくなることです。

あたかもそれが「正解」のように
感じてしまうんですね。

実は考え方などいくらもあるのに、
自分の理屈に支配されて、
他を否定してしまう。

私は若い頃から、
他人の考えを否定ばかりしていたように、
思います。

争い事は嫌いなので、
表だって反論はしませんが、
納得はしていません。


私がこの「自分が正しい」という妄想に、
取りつかれたのは、
学校教育の影響もあるかもしれません。

今はどうか知りませんが、
当時は詰め込み教育真っ盛りの時代で、
ともかくいい点を取ることが正義でした。

勉強は嫌いではなかったので、
テストの点だけはよかったのですが、
これが勘違いを生む遠因になったようです。

成績がよいと周りに一目置かれ、
それが「自分は正しい」という考えにシフトする。

学校卒業後も、延々と、
その妄想から離れられずにいたのですから、
子供の頃の刷り込みとは恐ろしいものです。


「自分が正しい」という思いは、
成長を阻害し、争いを生みます。

個人レベルでは、
自分が正しいと信じ、
他人の意見を排除していれば、
成長の機会を失います。

本当は他人の意見にこそ、
珠玉の気付きがあるというのに、
それらを無視し続けていては、
永遠に自分という狭い檻の中から抜け出せません。


私は喧嘩が嫌いだったので、
まだ救われましたが、
自分の意見を主張するタイプであったら、
争いが絶えなくなります。

他人の意見を聞こうとしなければ、
いくら論争しても決着はつきません。

最後は相手を恫喝して黙らせるしか
なくなります。

これが集団レベル、国家レベルになると、
大きな争いに発展する可能性もあります。

「自分は正しい」
「正義は我にあり」
という妄想が、
争いを生み、
人間関係をギスギスさせます。

「自分が間違っているかも」
という気持ちは、
常に持ち続けているくらいで丁度いい。

その謙虚で控えめな気持ちが、
成長を促し、
平穏を約束してくれる。


60歳を過ぎ、
「自分が正しい」という思いから、
ようやく解放されました。

「六十にして耳順う」とは
よく言ったものです。

毎日いろいろなものを吸収し、
成長している自分に、
ワクワクするし、
あと何年あるか分かりませんが、
将来が楽しみになります。

いくつになっても、
脱皮と成長は続けていきたいものですね。


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