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小澤メモ|NOSTALGIBLUE|思い出は青色くくり。

57 スケーターとスニーカーとスケシュー その2。

VANSの不朽の名作。
スケシューの王道とも言われるVANSは、ハーフキャブという、今なお売れ続けている名作スケシューを1992年にリリース。これはリビングレジェンドのスティーブ・キャバレロの2作目のシグネーチャーモデルで、半永久的に色褪せないスニーカー。ルックス、ファンクション、イメージそのすべてにおいて、偶然か必然か、“そそる”ものが凝縮されていたと言っていい。この後から、一気にスケシューというインダストリーが確立され活況になっていくことになる。このムーブメントがもたらした功績は大きく、スケートシューズ専門のブランドが次々と登場することになった。2000年に突入するかしないかの頃からだった。ルディ・ジョンソンのシグネーチャーモデルの成功で波に乗り、ハイテク化の先陣を切っていったDCや、シンプルなルックスなのに抜群のフィット感で多くのスケーターに「THIS IS IT」と言わしめたアクセルを生んだe’Sなどがその代表格だろうか。今では、NIKE、converse、NewBalanceなどのナショナルブランドが、SBシリーズとしてスケシューラインを立ち上げて、さらなる盛り上がりを見せている。

スケシューという確固たるカテゴリー。
スニーカーをスケシューとして流用するという時代から、スケシューが生まれ、スケシュー専門ブランドが立ち上がり、さらには一大スニーカー・マーケットとして再注目されるようになった今日までの流れ。そのど真ん中にいて感じたことは、ストリート・スポットをシークし攻略してきたように、スケーターはスニーカーにも創意工夫とスタイルを上塗りして、独自のブランディングをしてきたのだということ。スケーターだからこそ、思い切りローテクなものを今さらながらつくることができるし、スケーターだからこそ奇想天外なハイテクモデルも粋に履きこなしていける。ひいき目に見てしまっているのかもしれないけれど、そういう部分が多大にあるのではないかと強く思う。それを象徴しているのが、2010年代においてシーンのトップを走っていたSUPRAというスケシューブランドだろう。

SUPRAという金字塔。
エリック・エリントン、ジム・グレコ、チャド・マスカといった90年代のウエストコーストのストリートスケートを牽引してきたカリスマたちが、自分たちだけで立ち上げたこのブランドは、スケートを起点に、音楽やエンターテーメントをはじめさまざまなシーンへとシンクロし支持されていった。それは、彼らストリートをサバイブしてきたスケーターならではのデザイン性とコネクションやブランディングによるところが大きい。言わば、スケシューもそのシーンも80年代から進化の一途を辿っているわけだけど、それを履く(消耗させる)スケーターとの距離感はそんなには変わっていないし普遍的なものがあるのだろう。そう、みんな思い思いのスニーカーを履いてプッシュしていいし、その中でどういったものをセレクトするかで、そのスケーターの趣向がわかる、スタイルが生まれるということ。それは、ニューヨークのジャンカルロ・エスポジートが演じたバギン・アウトやヨーヨーが、気合いとI.Dを込めたフレッシュでハイプなスニーカーとの付き合い方と似て非なるもの。

スケシューのハイライト。
オーリー足に穴があいててすり減ったソールで消耗のかぎりをつくしながら、ストリートをプッシュしていくスケーターは、キープフレッシュなんて夢の話。だけど、もし、いつかプロになれたのなら、いつもフレッシュなニューオーダーがストックされている。それを眺めながら恍惚な面持ちで一足を手に取り、シューレースを通していく……。スニーカーをコレクトするというよりも、消耗しアップグレードしていくのがスケーターのスニーカーとの付き合い方。それがクライマックスになると、プロになってシグネーチャーモデルが出来たり、自分でブランディングしてデベロッパーになってたりする。さらに面白いことになってくると、adidasのライダーのマーク・ゴンザレスやEmericaのライダーのエド・テンプルトンみたいに、シグネーチャーモデルを自らデザインし、興味のない人たちからしたらただのマジックペンの落書きにしか見えないようなルックスのシューズを誕生させ、アートだなんだと唸らせてしまうことができたりもする。スケーターやストリートに住民票を置く人たちにとっては、ジャームズ・ハーデンのバスケットシューズではなく、ジネディーヌ・ジダンのサッカースパイクでもランニングシューズでもなく、「あ、マーク・ゴンザレスが履いてるスニーカーね」っていうのがadidasだったりする。ということで、バギン・アウトやヨーヨーら敬愛すべきソールジャンキーたちも、イカす不思議おじさんマーク・ゴンザレスやスケーターたちも、どっちにしたって、それを履くにはワケがある、そこに自分なりのI.Dが盛り込まれているのだ。彼らはこう言ってるのかもしれない。「誰がプータローだって? スニーカーを見てからジャッジしろ。このスニーカーが目に入らぬか?! いや、このスニーカーを履いてる俺を見てみろよ。イカすだろ?」って。57

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