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2021|作文|365日のバガテル

振り込み作業。

仕事の話?
私の仕事は本や動画などをつくることだ。それは好きなこと、やりたいことでもあった。適職と天職というのがあるとしたら、私は幸運にもやりたいことと自分のスキルやエネルギーがマッチした仕事ができている方だと思う。スキルについては、自分自身でジャッジするものではないかもしれないが、評価されることを待っていては何もはじまらない。そう思ってやってきたら、数十年経っていた。運も大いにあったんだと思う。そして、実のところ、まだやりたいと思っていること、つくりたいと思っていること、決心していることなどの50%以上が実現できていない。とくに32年前の生き方を決定づけた、最初の一歩目で思い描いたものが、まだできていない。夢をしゃべって生きていけるほどあまくないのは実感してきたが、まだまだ挑戦と向上を積んでいかないといけない人生らしい。向上心というのは、私の中のモットーのひとつ。何歳になっても、その道のベテランと言われるようになっても、さらに極めたり良くなったりフレッシュなことができると信じている。使い古された言葉かもしれないが、“才能は歳を取らない”というのは、信じて頑張り続ける価値があることだと思う。

年齢の話?
ただ、老害にはならないように。数十年前から今にいたるまで、私を出る杭として打ちたたこうとしてきた輩のようなことを、数十年前の私のような若い素敵な才能にしないように心がけている。うっかりでも、そんなことをしたくない。70歳、80歳の政治家が、20代や子どもたちの未来のことを考えて行動できるわけがない。巷で囁かれるそれと同じようなことを、オジさんたちは自分のコミュニティやエリアでやらかしていることに気づかないものだ。私もそのひとりに簡単に成り下がる可能性がある。だから、向上心を持って挑戦を続けるけれども、それは誰かの才能を食って、誰かを追い落としていくものではないということを肝に命じてやってきた。これからも、それはそうじゃなくちゃいけない。他人のものを奪ったり、欲しがったり、妬んだりする強欲さは、結局、アイデアや文章や写真といった作品さえもパクる(模倣する)ことに繋がっていく。話が飛躍するが、ガン細胞やウイルスに自己免疫力や自浄作用が大切なのと同じように、自分がつくったものや仕事のやり方と結果についても、自浄作用と、誰かを悪用しない自己免疫力を常に効かせておく必要があると思う。

やっと本題?
いつもオヤジの話はいつも逸れがちだ。そしてくどい。今回、ノートにバガテルを書き残しておこうと思ったのは、振り込み作業のこと。仕事上、私はフォトグラファーやフィルマー、ライターやエディター、アーティストやデザイナーなどのフリーランサーに振り込みをすることがある。数十年、この類の仕事だけをしてきたから、振り返ればいろいろな人に振り込みしてきたのだけれど、作業中、ふと去来するものがあった。ちょうど、今日もフォトグラファーに振り込みをしたばかりだ。そして、やっぱり去来した。それは何か。振込先の銀行の支店名を入力するときのことだ。大手都市銀行はもちろん、地方銀行だろうが町の信用金庫でも、必ず支店名がある(最近はネットバンクも台頭してきたし、ゆうちょは支店名が数字表記だから、その場合は当てはまらない。そして当てはまらないことが増えてきた)。この支店名が、ノスタルジアな想像を私にさせてくれる。とくに、何度か仕事をした仲で、例えば出身地とか母校とか昔住んでいた町のエピソードなんかをなんとはなしに話してくれたスタッフに振り込むときは、ノスタルジア満載になる。

支店名の話。
辻堂支店。ああ、潮風が吹く街で育ったあの人は地元を出るときに口座をつくって、それを今でもつかっているのかな。四谷支店。ああ、あの人はあの交差点のすぐ近くの劇団の練習生としてキャリアをスタートされたんだっけな。今じゃ、大河ドラマ俳優だぞ。世田谷支店。ああ、全然食えてない頃、バイトしまくっててバイト代の振り込みに世田谷で口座を作らされたって言ってたなあ。難波支店。そうだ、大阪の大学に通っていたと言ってたな。まさか、その近くで写真展をやることになるとは思ってなかっただろうな。青山支店。そうそう、昔は青山のハイプなとこに彼のオヤジさんの事務所はあったんだ。お邪魔すると、いろいろ食べさせてもらったなあ……。とまあ、そんな具合だ。個人情報の扱いに注意が必要な昨今、スタッフの誕生日だってあまり知らない(アンチ誕生会なのでもともと覚える気がないだけかも)。だけど、この振り込み作業のとき、少しだけ想像するノスタルジアが楽しい。というか、自分だけの恒例行事になっている。望んでか、偶然か、とにかくフリーランサーになって、この厳しい社会でなんとかやっている同業者たち。それはライバルでもあるし、ものをつくる上での大切な才能でもある。それぞれが、支店名を記した口座を持っていて、それをつくったちょっとエピソードを持っている(はずだ)。何事も無意味なものはない。同時に、何事にも意味を求める必要はない。ただ、結果的に、こんなことを話したいというものがある(ことがある)。それがないような仕事の仕方だけはしたくない。それが向上心につながっていく。
私の口座の支店名。あの頃のこと、あの頃の自分のことを忘れなければ、おごりたかぶったり、やすっぽい頑固なだけのプライドも炸裂することはないだろう。


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