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小澤メモ|NOSTALGIBLUE|思い出は青色くくり。

48 年齢速度について。

1年はあっという間。
2020年、いろいろなことがありすぎたハードボイルドな1年も、気づけばあと数ヶ月。1年が差し迫ってくる時期によく思うのだけれど、それは時間は待ったなしなのだということ。以前、年齢を時速にたとえて、経過する時間の感じ方の違いについて説明している人がいた。20代なら時速20km、30代は時速30km、40代なら時速40km。たしかに10代の頃は、夏休みが永遠にあるように思えたし、次の年の誕生日のプレゼントに思い馳せる時間がとても長く感じたりした。時速10kmでのろのろと進んでいるのだったとしたら、それもそうだ。今はというと、腹筋トレーニングをしているときにストップウォッチが刻む1分や2分はとても長く感じるものだが、誕生日は簡単にラップを刻んできているような気がするし、大好きな夏はあっという間に過ぎ去ってゆく。秋になって、空が青から透明になっていくのを感じていたはずが、気づけば街のいたるところからジングルベルの音がしていたりする。

フィジカルとメンタルの時差。
肉体的に感じ取ることができる1分や2分という単位は長く感じ、もっと大量な秒針数を要する単位は、まるで麻痺したかのように刹那に感じる。これが、年齢を重ねていくということなのか。自分にとって、これはさみしいことなのか。しばし考えてみる。そうでもないなと思った。年齢を重ねないと手に入らないものや、辿り着けない場所があること知ったから。それに、1年や2年はあっという間のこと過ぎて、余韻もわからない。だからだろうか振り返り思い出すものは、もっと前のことだ。たとえば、高校時代の文集になぜあんなことを書いたんだろうか?とか、チャンスだったことをあと1年がんばれなかったこととか、中3の夏に行った初めてのサンフランシスコでの出来事、それに、小6の夏、終業式の後に「またな」って言って、そのまま会うことなく転校していったあの子のこと……。きっと、昨日や去年のことだって、体感速度がまた1ギア上がった頃に、鮮やかな色を放ちはじめるのだろう。

スケボーマガジンについて。
年齢を重ね続けることによって、ときにはせつなくなったり、ときには笑えてきたり、ほんとそれこそ喜怒哀楽のすべてで振り返ることができるようになった。そして、その思い出の大半に、自分の場合は、スケートボードのことやその本をつくることが存在していて、スケボーマガジンにまつわる出来事があるのだった。それがどうした。だからどうした。でも消えなかった。今なお発刊し続けているSbは、いろいろな力をもらって成り立っている。滑ることを本望とする最前線のスケートボーダーはもちろん、直接お礼を言える世界の人から、そうでない人まで、それこそ数え上げたらきりがない力と力。それをわかっていながら、時速40kmで季節を通り過ぎてしまっている今の自分。だから、後で振り返ることでしか、その気持ちを感じ取ったり伝えることができない。もどかしいけれど、ましてや体感的にはあっという間のことなのだけれど、それは確かに存在しているのだ。だから、文章として書き記す。写真や絵として描き残す。あの夏の日。炎天下でアスファルトに叩きつけられたあの人の咆哮。それから10数回目のトライでメイクした瞬間の美しさ。あの冬の夜。都会にしては珍しく澄んだ空を見上げて涙を堪えたあの人の横顔。それから一度も振り返ることなく去っていった背中……。

加速させるギアを握りつつ。
自分かその人が話さなければ、なにごともなかったように通り過ぎてゆき、季節に埋没していく出来事の数々。聞いたところで一銭の徳にもならないことじゃないかと言う人がいるかもしれない。だけど、書いたり描いたりすることで、出来事は物語となってゆっくりと動き出す。それはとても小さいことかもしれないけれど、あっという間に過ぎてゆく時間や時代の中で、それとは別のものとして動いてゆくのだ。後で思い出して、もう一度がんばり直すきっかけになるかもしれないし、人の優しさに感謝するメッセージになるかもしれない。なにかを成し得た証になるかもしれない。体感速度が速度オーバーになるほどの頃になって、「どうだ、こんなことを書いていたんだぞ」とか「どうだ、俺はな、こんなことも描けたんだぞ」とか「見てみろよ、そのすげえやつ。そいつは俺なんだよ」とか「おまえはこれからなにを話してくれるのかい?」なんていうことを言うようになるのかもしれない。そして、あのときはすまなかったと後悔し自責することになるのかもしれない。誰もが年齢を重ねてゆく。それはあるピークを過ぎたら、老いてゆくことになるし、いずれは朽ちて死ぬことになる。それにあらがうことはできない。しかし、そのどこか一部や一瞬を物語として記すことができる。それは誰のものでもなく、逆に言えば、誰のものにでもなって、語られはじめてゆく。そして、本物の素晴らしい物語は、時を超えて人々のものになって、語り継がれてゆく。ずっと残るものを。それは次なる時代を体感していく誰かのために。書くということは、それくらいの威力があるときがある。48

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