靴に表れる、人の心


「靴を見ればその人が分かる」なんてフレーズを聞いたことはないだろうか。目を奪われるような素敵な人は素敵な靴を履いている確率が高い。

わたしもつい人の足元に目線を落とし靴を見てしまっているかもしれない。わたしの場合は無意識にファッション観察してしまうことを含め、靴が好きだから自然と目がいくのだけれど、やはり足元には気を配っていたいところである。


素敵な靴の定義


ここで言う「素敵な靴」とはイコールして「高価な」ではない。
価格よりも手入れを怠らずぴかぴかに磨かれていることや、汚れ・傷などがないことが大切なポイントだ。
お手頃な靴だっていい。愛を込めてケアすれば、物はちゃんと応えてくれる。手入れを怠らないことで「素敵な靴」が完成するのだ。
むしろ価格に捉われ過ぎて「高いから良い」という認識を持っている場合、"高い物"が好きなだけで実際の物への愛情が無いために、物を乱雑に扱っている人が多い気がする。

内面の豊かさや心の美しさは値段では計り知れない。

もちろん価格に反映する造りや素材の違いなどはもちろんある。けれど"ブランド"や"高価なこと"に踊らされるのは真意ではないということだ。

「靴を見れば、」の言葉に込められた意味は
汚れを放置していないか?ケアはしているか?細かい部分にまで気を配れているか?
など、靴にダイレクトに表れてしまうその人の「心」を見られるのではないかと思うのだ。


「素敵な靴は素敵な場所へ連れて行ってくれる」


この言葉は、良い靴だから良い場所へ行けてしまうという単純な意味ではないと思う。

見る人が見れば分かる靴に表れるその人の心や、その内面の美しさが、"人との巡り合わせ"を作ってくれるのではないか。
もしくは、愛がなければ成し得ない「素敵な靴」を保てる人だからこそ、生活の至る所にまで気を配り、妬み嫉みに侵されない余裕のある思考を持ち、現状に満足せず将来への野心を抱き、素敵な場所への道筋を自分なりに作り上げているのではないか。

ただ良い靴を履いていれば良い場所へ行けるという他人任せの意味ではないとわたしは思う。


愛があるからこそできること


靴のケアは意気込むと結構面倒な行為だ。

革製品ならブラッシングに定期的な汚れ落としや革のケア。スニーカーなら洗えるものなら洗い、洗えないものなら素材に合わせた汚れ落とし。安心して任せられる靴の修理店を見つけておいて、プロによるメンテナンスも欠かせない。

丁寧を極めれば極めるほどに工程は増え、愛がなければ向き合えない行為だと思うのだ。

靴をきれいに保てる人はそれだけでプラスの印象を人に与える。
きっと靴以外の部分にも愛を持って生活しているのだろうなと感じるし、毎日〜定期的なケアまで怠らないマメさ。細部まできれいを保つことで清潔感も演出される。

汚れていようと傷だらけだろうといいけれど、それだけでマイナスな印象を与えてしまうくらいなら、細かい部分にこそ気を配りきれいを保って、プラスな印象を手に入れた方が良い


内面が映し出される外見


センスのある人が必ずしも高い靴を履いているわけではない。
内面を磨き心を潤し、その豊かな心が外見に表れていけばおのずと"素敵な自分"が確立されていく。

身の回りのひとつひとつの事柄に目を向けて丁寧な生活を心がける。それだけで自分の気持ちが変わり、行動が変わり、外見の見え方さえも変わる。


"心"は目に見えないものだけれど、必ず外側に映し出されている。
そこを美しく保てるようにこれからも日々の意識を高めていきたい。




ここまで読んでくださってありがとうございました♡スキもコメントも幸せです。そしてサポートしていただけたらとんでもなく励みになります。活動のインスピレーションを得るためやハッピーを集めるために大切に使わせていただきます!