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第4回:第二次世界大戦の展開

【第二次世二大戦と米ソによる「戦後世界」の分断(1939~50年)」
第4回:第2次世界大戦の展開

第4回:問い
1.テーマ:ヨーロッパにおける戦争
・ヨーロッパにおける戦争はどのように展開したか?
2.テーマ:アジア・太平洋における戦争
・アジア・太平洋における戦争で中国はどのように抵抗しどのような展開となったか?
3.テーマ:連合国の戦後構想と大戦終結
・連合国は戦後構想をどのようにつくり、大戦はどのように終結したか?
≪問い≫
1.テーマ:ヨーロッパにおける戦争
・ヨーロッパにおける戦争はどのように展開したか?
2.テーマ:アジア・太平洋における戦争
・アジア・太平洋における戦争はどのように展開し中国はどのように抵抗したか?
3.テーマ:連合国の戦後構想と大戦終結
・連合国は戦後構想をどのようにつくり、大戦はどのように終結したか?
≪問題提起≫
1.ヨーロッパにおける戦争はどのように展開したか?
1923~25年ドイツの賠償支払いの不履行を口実にフランスとベルギーが鉱工業地帯ルールを武力占領した。世界恐慌で社会情勢が悪化したドイツではヒトラー率いるナチ党が巧みな世論操作などで急速に勢力を拡大し、1933年、政権を掌握した。ヒトラーは独裁的体制を固めつつ、第1次世界大戦後の一連の講和条約で形成されたヨーロッパの国際秩序であるヴェルサイユ体制の切り崩しと軍備増強に乗り出し、その過程でユダヤ人を排斥する極度の民族的抑圧に着手した。1938年3月、ドイツはオーストリアを併合し、1939年8月には独ソ不可侵条約を締結し、9月1日にはポーランドへ侵攻した。これに対してイギリス・フランスはドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が始まった。ソ連もポーランドの東部を占領し、11月にはソ連がフィンランドに宣戦し、1940年8月にはバルト3国を併合し、1941年6月には独ソ戦が開始された。
1920年半ばから一党独裁体制を築いて生きたイタリアのムッソリーニ政権も1936年、エチオピアを併合し、独伊両国はローマ・ベルリン枢軸と呼ばれる協力関係を築いた。                           

2.アジア・太平洋における戦争で、中国がどのように抵抗し、どのような展開となったか?
1937年7月、日本は盧溝橋事件を起こし、日中戦争が始まった。9月日本の侵略に対して中国は第2次国共合作を行い粘り強い抵抗を示し、日本の中国侵略は「泥沼化」の様相を呈した。1940年日本は三国防共協定を日独伊三国同盟へ発展させ、ここにヨーロッパの第2次世界大戦と日本の中国侵略が結びついた。1941年には日米交渉を開始したが、7月には南部仏印に進駐し、アメリカは日本に「満州事変以前に戻すこと」を要求し、日米交渉は決裂した。12月8日、日本軍はマレー半島に上陸し、数時間後にハワイの真珠湾を攻撃し、アジア・太平洋戦争が開始された。東条英機内閣は「大東亜共栄圏」を提唱し、日本が盟主となって欧米列強の植民地からアジアを解放すると主張して、アジア各地太平洋の島々へ侵略した。 
                         
3.連合国は戦後構想をどのようにつくり、大戦はどのように終結したか?
1941年8月、ローズベルト大統領とチャーチル首相が「大西洋憲章」を発表して、第2次世界大戦の戦争目的(ファシズムに対する民主主義の闘い)を世界にアピールした。この憲章にはその後ソ連など26ヵ国が加わり、1942年1月の連合国共同宣言で戦後構想の原則となり、1943年11月、ローズベルト・チャーチル・蔣介石のカイロ会談で日本の対日処理方針を決めたカイロ宣言となる。1945年2月、米・英・ソ3国首脳はクリミア半島のヤルタでヤルタ協定を結んで、ドイツ処理の大綱、ドイツ降伏後3ヵ月以内のソ連の対日参戦を決めた。4月末、ヒトラーは自殺し、5月7日、ドイツは無条件降伏した。4月にトルーマン、チャーチル(途中で労働党のアトリーと交替)、スターリンが7月26日にポツダムで会談し、ドイツ問題の管理と日本の降伏を求めるポツダム宣言を発表した。10日前の7月16日にアメリカは原子爆弾の開発に成功していた。日本政府はポツダム宣言を「黙殺」した。アメリカは8月6日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾を投下し、ソ連は8月8日に日本に宣戦した。8月14日、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、翌15日正午に昭和天皇裕仁の肉声で「終戦の詔書」をラジオで放送し戦争は終わった。

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