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簡単戦国解説1【戦国時代って何?】

 このコーナーでは戦国初心者さんに向けての簡単戦国解説を書かせていただきます。戦国時代や戦国武将さんに詳しくないという方にも、分かりやすくお伝えできるよう心がけました。出回っている文章情報よりふりがなを少し多めに記載しております。「それぐらい読めるよ!」って方も暖かく見ていただけると幸いです。

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 戦国時代と一言で言っても、明確にいつからいつまでと決まっているわけではなく、その期間は諸説あります。はじまりは概ね応仁の乱(おうにんのらん)、つまり西暦1467年とする説が主流ですが、終わりの時期はいろいろ言われております。
私はその中で大坂夏の陣、つまり1615年をもってして戦国時代の終わりとする説を採用しております。(当時、大阪の阪の字は「坂」と表記されておりました)

その他の説としまして、

●室町幕府第15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)が織田信長により京都から追い出された1573年説
●豊臣秀吉が天下統一を果たした1590年説
●徳川家康が江戸幕府を開いた1603年説
●島原の乱が起こった1637年説

などがあります。

1573年説は室町幕府の終焉をもってして戦国時代も終わりとするという考え方なのですが、それですと1600年に起こった関ヶ原の戦いが戦国時代から外れてしまうので個人的にそれは嫌だな~という思いがあり、私はこの説は採用しておりません。なお実際には鞆(とも)という地にて足利義昭はしばらくのあいだ活動をつづけておりました。

1590年説も同じ理由で個人的には採用しておらず、1603年説は関ヶ原の戦いは期間内に入りますが、これですと大坂の陣が外れてしまいこれまた個人的に嫌だな~という思いがあります。1637年説は逆にすでに大きな反体制勢力はおらず、島原の乱はあくまで内乱として捉えているので戦国時代の期間として妥当なのは 応仁の乱(1467年)~大坂夏の陣(1615年) という考え方を持っております。

あいまいですね。そうなんです、本当にあいまいなんです。なんにせよ室町時代の終わりの方、ないしそこから数年~数十年といった期間のことをさします。ちなみに映画・テレビ・マンガ・アニメ・ゲームなど、多くの創作作品において戦国時代が描かれてきましたが、それらの多くは戦国時代の後半にあたります。

有名な戦国武将として織田信長がおります。おそらく歴史に興味のない人でも名前ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。彼が生まれたのが西暦1534年。戦国時代の始まりとされることの多い応仁の乱は1467年で、戦国時代の終わりを1615年とすると後半であることが分かると思います。前述しましたが戦国時代の終わりの時期は諸説あり、もし1573年説を採用すると織田信長が生まれてから39年で終わってしまうことになります。

なぜ後半がよく描かれるかと言いますと、ドラマにしやすいからという理由があると思います。天下統一に向けてのダイナミックな歴史のうねり。こういったものがドラマとして魅力的に描きやすいからだと思います。かく言う私も、織田信長の快進撃が始まる1560年の桶狭間の戦いあたりが戦国時代の始まりのような感覚がなきにしもあらず。実際には違うんですけどね。実際には信長さんが生まれる70年以上前に戦国時代は始まりました。

 かくして日本は、各地で戦乱が巻き起こり群雄割拠の様相をていすこととなってしまいます。なぜこのようなことになってしまったか?それは政治的に乱れてしまったことも理由としてあるでしょうが、それ以外にも氷河期とかぶってしまったことも遠因の一つに数えられます。

 「氷河期!?」「戦国時代が氷河期なわけあるかい!!」

って思った方もおられるかも知れません。もちろん世界が氷に閉ざされるようなガチガチの氷河期ではありません。小氷期という小規模な寒冷期ではありますが、これによって気温は低下し食糧生産に打撃を与えてしまったのです。その食料不足と政治の混乱が相まって戦国時代が到来してしまったと言われるようになりました。

「じゃぁその政治の混乱って何?」 って話ですが、その前に当時の政治体制に関して超ざっくりと略しに略してお話しします。朝廷、つまり天皇をこの国のリーダーと仮定し、それを補佐するのが幕府とします。この当時は幕府が政治を司っておりましたが、その幕府もまた二派にわかれて争うこととなりました。それが応仁の乱。その結果、幕府は消耗しその権威は地に落ち、各地の豪族らが割拠するようになったのです。

戦国パンダ部長のⅩ(旧Twitter)
https://twitter.com/@sengokupandabc

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