進撃の卒論

進撃の卒論

2019年も残りあと僅かですね。「こたつに足をつっこんで、みかん食べながら「今年もいろいろあったね〜」などとまったり過ごしたいものです。

が、なかなかそうもいかない方々がいると思います。受験を控えている受験生や、卒論・修論を控えた学生の方々にとっては、追い込みの時期でゆっくり年越しとはいかないかもしれません。

この記事では卒論提出を間近に控える学部生の方を対象に、特に書いているうちに何を書きたいのか、書くべきかわからなくなってしまった方をイメージして、応援メッセージのつもりで書いてみました!2019年最後の投稿としたいと思います(といってもまだ2本目ですが 笑)。

卒論のモチベーションを考える

一言に卒論といっても、人によってさまざまな受け取り方や置かれた状況があると思います。指導教官が厳しく、OKをもらえなければ卒業できないという方は、もしかすると年の瀬も研究室にこもって先輩の指示を仰ぎながら必死に頑張っているかもしれません(卒論ではあまりいないかも)。かたや提出2週間前だけどまだ半分も書けておらず、さすがにやばいという方もいるかもしれません。

強制力という観点からみると、卒業がかかっている場合や、冒頭で述べた受験のように、本人の意思にかかわらず、「やらなくてはならぬもの」の場合にはある意味、モチベーションがはっきりしていると思います。

他方、一定の然るべき内容が書かれていれば、受理されるだろうというタイプの卒論。言い換えれば、自分の判断次第でもっと追求することもできるし、キリの良いところで終わらせることができる場合はどうでしょうか?卒論のテーマにハマっている方や、卒論賞を狙いたい的なギラギラしてる方にとっては、モチベーションははっきりしていそうです。

逆にそれほどハマってもなければ、ギラギラしているわけではない方はどうでしょうか?私の感覚では、大半の方がこのケースではないかと思っています。本記事ではどちらかというと、このタイプの方に向けたエールを送りたいと思います。

卒論とは何か?

既にモチベーションがはっきりしている方は読み飛ばして下さい。少しでも気づきになってモチベーションが高まるようにと思って書いているものですので、卒論の歴史などを語るつもりは毛頭ありません(笑)

卒論がやらないといけないものや、やるべきものだからやっているという感覚でいるとやはりモチベーションが落ちてくるものだと思います。基本的に卒論は、守るべき体裁や著作権をまもるなどの最低限のきまりごとを満たせば、テーマはもちろんとして、仮設や手法、論展開、結論も自分で紡ぎ出していく自主的な行為です。つまり、自らが発信していくことが基本姿勢となります。

そのため、自らが発信したいと思うものが何かということが根っこになります。当たり前といえば当たり前のことですが、ここでよく起きがちなことは、自身が興味を持っていること=発信したいこととしまっていないかということです。

たとえば、「地球温暖化のメカニズム」に興味を持っていたとしましょう。これは卒論を書く「私」が興味を持っていることです。他方、「私」が発信していくことは何でしょうか?「私」が「地球温暖化のメカニズム」に興味を持っている理由を延々と述べるということはないと思います(笑)論文であるから、「地球温暖化のメカニズム」の定義や成り立ちについて記載するべきというのはすぐに思いつくことと思います。さらには、地球の各国の気温と二酸化炭素排出量の時系列データを取得してきて、統計解析して関係性を示そうともするかもしれません。ここまでの流れを文章にするだけでもそこそこのページ数になるでしょうし、一定の達成感はあるかと思います。しかし、上述の「発信したい」ことは、「地球温暖化のメカニズム」の定義や成り立ち、統計解析の結果&考察だったのでしょうか?

この「地球温暖化のメカニズム」の例で述べたものは、いわゆる「レポート」です。授業の課題で書くものと比べ、参考文献やデータの量は違うかもしれませんが、程度の差にかかわらずおよそ違いはありません。冷たい言い方をすれば、「自身が興味を持っていること」を丁寧に述べたということだと思います。自身が興味を持っていることを越えて、発信したいこととして論述できているかがポイントになってくると思います。

この点こそが、卒論を「何をどこまで書けばよいのか」という判断ポイントになると思います。実際に今書かれている方のなかで、一定のことは書き終えたものの、何か足りない気がするという方はこういうところを感じていらっしゃるのかもしれません。

モチベーションの図解

こんな感じのベン図、見たことありませんか?就職活動の会社選びのときとか、よくあちこちで見かけることがあると思います。ベン図の真ん中が理想的であることは言わずもがなですが、卒論に絞って起きがちなことを2点に絞って述べたいと思います。

やりたいこと・できること・やるべきこと

やりたいこと(Will)がなく、「できる(Can)」と「やるべき(Must)」だけになっている。

やりたいこと(Will)が「できるようになりたいこと」になっている。

この二つのどちらかに当てはまってる方、いらっしゃいませんか?それが悪いといっているわけではありません。私も卒論を書いていたとき、もろに両方にガチ当てはまっていました(笑)ただ、そこで止まってしまうと、卒論を書いているモチベーションが早い段階でなくなってしまうのではないかなと思います。

冒頭で述べたように、卒論は自主的な営みですので、「やりたいこと(Will)」というのはとても重要な要素になってきます。卒論でいうところの「やりたいこと(Will)」として、「発信したい」ことという観点でみつかると、ハマりやすくなるのではないかと思います。以下では「発信する」ことについて具体例を交えて説明したいと思います。

論文として発信するということ

テレビやニュースの記事をイメージしてみてください。そこには最近起きた出来事や著名人の論評などが記載されているかと思います。ここにある記事は、言わば発信されたものです。卒論のような学術的な内容とは必ずしもイコールではありませんが、まだ世に認知されていない情報を伝えるメディア・コンテンツをつくるという意味では共通しています。

ところで学術雑誌のことをジャーナルという言い方をします。プロの研究者はジャーナルに載せるために、日々研鑽しています。というのも、ただ投稿すればジャーナルに載せてもらえるというわけではないためです。数人以上から構成される有識者がレビューをし、認められたものだけがジャーナルに掲載されるため、自身の発信する内容が新規性や客観性などがあるか徹底して一つの論文をしあげます。大学卒業によって得られる学士という学位は、言わば研究者になるための基礎や一定の専門があることを証明するものであり、卒論においてはまさにこの点が求められているといってもよいでしょう。

まず論文である以上、既に既知のものを発信しても新規性があるものとは認められません。何がまだ未知であるのか、(そして、社会は知りたがっているであろうか)を意識してみましょう。

今一度、「地球温暖化のメカニズム」の例を「発信する」という観点でみていきましょう。今でこそ当たり前のように言われいますが、牛のゲップから出るメタンガスは地球温暖化の一因として注意が呼びかけられています。

私がはじめてこの話を聞いたときは衝撃でした。自動車の排出ガスなら容易に想像がつくのですが、まさか牛からとは。。

これこそが世の中に認知されておらず、社会的にも意義があること(=引用される)の例といえます。

ではさきほどのレポートとはどういった点が異なるでしょうか?それを整理してみましょう。

新規性がある: 世の中がまだ知らない事実であることを言及する仮説がある。

独自性がある: 一般的にはアイディアは既に誰かが考えており、実践されている。先行事例があることを確認し、どこまで達成されているのか、何が課題であるのかを整理したうえで、突破できる方法論がある。

主張がある: 上記の仮説や方法論の結果から、どういう解釈が得られるか。良かったことも、悪かったことも、恣意性なく記述する。

こうした観点でまとめられ、人類の認知状況を把握でき、新しい進歩を共有することができる論文ほど意義が高いといえるでしょう。人類というと大げさかもしれませんが、未知を世界全体でオープンに明らかにしていこうとするポジティブな姿勢がアカデミックの立ち位置であるといえます。いわば、できたところまでのバトンを渡し、この次は頼むといったリレーになっているといっても過言ではないでしょう。とても尊い営みだと思います。

だいぶ話を膨らませてしまったので戻します(笑)上述の3つの要素が入っていることにより、相手(社会)にとって役立つ情報として発信することができるようになると考えています。このように考えると、卒論とレポートって全く別物に感じられませんか?

卒論の位置づけ

なんとなく研究者がやっていることや論文についてわかってきたけど、そんなことおれにはできんぞ〜と思われた方、ご安心ください(笑)卒論ではもちろんここまできている必要はありません。むしろ、どこまで発信できるかを挑戦する機会だと思って取り組まれると良いのではないかと思います。

修論や博論になってくると、やはり求められるものは異なってきます。卒論は一般的に学部4年生からで、実質的には3〜6ヶ月程度の間で書き上げる必要があるとものだと思いますので、まずは論として完成させることに主眼が置かれていると思います。修論までいくと、既存研究や手法の有効性を漏れがなく示すことが最低限必要なレベルになっていくものと思います(これについてはまた述べたいと思います)。

いろいろと述べてしまいましたが、卒論は一言でいえば実社会と学習が交わる交差点であると思います。これまでは学習を目的として、悪い言い方をすれば自身の学びに閉じたレポートでよかったですが、社会にとって価値がある内容を発信していくことを意識できればよいと思います。

何より発信するということは元来楽しいことです。取り組まれている卒論において、ワクワク感じていれば既にそこには何かしらの新規性があるのではないかと思います。言語化できていなければ言葉にする試みを、感覚的に感じているだけであれば、どのようにすれば客観的な伝え方ができるかという観点で掘り下げていくとよいのか考えていきましょう。むむむ...ワクワクは特にしてないぞという方は、どう自分の研究を伝えれば、聞いてくれた人は興味を持って話を聞いてくれるかを考えてみると良いかもしれません。卒論というとついつい難しく考えてしまいがちですが、書き物ですからね上述のテレビやニュース記事のように発信するものであるということを基本に考えて、どう伝えると良いかを掘り下げると良いのではないかと思います。

このような点がみえてくると、自然に書きたい内容やどこまで書くべきかがが決まってくるのではないかと思います。とはいえ、時間との戦いですからね、苦戦されている方は残りの時間を意識して取り組んでみてくださいね!!

それでは良いお年を!

p.s.

今は卒論書いてないけど、これからという方や大学院を考えている方は、以前記述したこちらの記事も参考にされてみてください!


文責: 仙石裕明


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