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戦国note

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#読書

戦国最大の謎・本能寺の変! 明智光秀はなぜ織田信長を討ったのか?

35日間の連投で、和樂webに掲載された歴史記事を中心にご紹介してきましたが、本日が一区切りとなります。本日のテーマは「本能寺の変」です。 天正10年(1582)6月2日早朝、京都本能寺にて織田信長死す。戦国最大の謎ともいえる本能寺の変で、明智光秀はなぜ、主君の信長を討ったのでしょうか。動機については古来、怨恨説が語られてきましたが、その後、野望説や黒幕存在説なども生まれ、今もなお研究者の間で議論が続いています。今回は各説のあらましと研究の最前線から、本能寺の変の真相を探る

【書評】平山優「武田氏滅亡」(角川選書)

 武田信玄(晴信)といえば、最も人気の高い戦国大名の一人です。「最強の戦国武将」系のアンケートでは必ず上位に来るといってもいいでしょう。  しかし、信玄の死(1573年)からわずか10年足らずで、後継者の武田勝頼は織田信長によって滅ぼされます。  「最強」だったはずの武田氏は、なぜあっけなく滅亡したのか。本書は、勝頼の家督継承から滅亡までを丹念に描いた700ページ超の労作です。  父・信玄の築いた領国を維持できなかったことから、勝頼には「暗愚」「無能」のレッテルを貼られ

【宣伝】「死ぬまでに攻めたい戦う山城50」(イースト・プレス)

 この度、制作に携わった書籍が発売されました。今泉慎一著・三城俊一編「死ぬまでに攻めたい戦う山城50」(イースト・プレス)です。  城といえば、立派な天守と石垣、水堀のあるこんな城を思い浮かべるでしょう。  しかし、戦国時代に主流だったのは自然の地形を生かし、土で守りを固めた山城でした。  著者の今泉慎一さんは、これまで600以上の城を踏破した城マニア。今泉さんに取材し、訪問記録を書き起こしたのが本書です。  現存天守のある備中松山城や、関ヶ原合戦で小早川秀秋が陣を敷

【書評】金子拓「長篠合戦 鉄砲戦の虚像と実像」(中公新書)

 天正3年(1575)に起きた長篠の戦いでは、織田信長・徳川家康の連合軍が武田勝頼を撃破しました。  教科書に載る「長篠合戦図屏風」には、織田・徳川連合軍の馬防柵と鉄砲隊の活躍が描かれています。いわゆる「三段撃ち」が後世の創作ということは一般にも知られてきましたが、「織田信長が鉄砲を活用した戦い」という認識が普通でしょう。  昨年発行されたばかりの本書は、これまでの長篠合戦の研究をコンパクトにまとめ、現時点での学術的な「長篠合戦像」を提示した一冊です。  三段撃ちの虚飾以

【書評】加藤理文・中井均「オールカラー 日本の城を極める」(ワン・パブリッシング)

 城は全国各地にあり、大勢の観光客が訪れるところも多いです。しかし、城の細かいパーツについてはどれだけ知られているでしょうか。  姫路城や彦根城は素晴らしい城ですが、国宝の天守だけ見て、満足して帰ってしまう人が多い気がします。  本書は、近世城郭(※戦国時代の中世城郭は対象外です)をパーツごとに分解し、「城はどう見ればいいのか」「どういう意図でこんな形状・配置になっているのか」を徹底解説しています。  城は、領主の権威を示す役割もありましたが、本質は戦闘のための施設です

【書評】和田裕弘『柴田勝家』(中公新書)

 数多の戦国武将の中でも、柴田勝家はかなり有名な方です。織田信長の重臣であり、信長の死後、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れました。  猛将として知られる一方、歴史の敗者である勝家には負のイメージも付きまといます。創作では、あまり頭のよくない猪突猛進型の武将で、時代の流れについて行けず敗れ去った――という人物造形になっていることが多いようです。  しかし、勝家については同時代の史料に乏しく、実像は謎に包まれています。本書は、これまで意外となかった柴田勝家の本格的な評伝です。

【書評】乃至政彦「謙信×信長 手取川合戦の真実」(PHP新書)

 上杉謙信が戦った相手といえば、川中島の戦いでの武田信玄がまず思い浮かぶでしょう。織田信長の戦った相手ならば、今川義元や武田勝頼らが出てくるはずです。  そうした中で、「謙信対信長」の戦いがあったことを知っているのは、ある程度戦国史に詳しい方だと思います。  それは、天正5年(1577)に加賀で起きた「手取川合戦」です。川中島の戦い、桶狭間の戦い、長篠の戦いなどと比べると知名度は高くありません。  この戦いでは、上杉謙信の軍勢と、柴田勝家率いる織田氏の遠征軍が激突し、上

【書評】西股総生『杉山城の時代』(角川選書)

 埼玉県の比企地方に、杉山城という中世城郭があります。建造物のない土の城ですが、完成度が高いため城マニアの間で「知る人ぞ知る名城」になり、最近ではテレビなどに取り上げられるようになりました。 ※訪問記事はこちらです。  しかし、杉山城について記した文献は乏しく、誰が築いたのかについては謎に包まれてきました。この杉山城の謎に迫ったのが本書『杉山城の時代』です。 2000年代に登場した新説 この杉山城、縄張りが非常に巧みであることから、城郭研究者の間では「天文末~永禄年間(

【書評】渡邊大門『豊臣五奉行と家康』(柏書房)

 一般的に、関ヶ原の戦いは「豊臣秀吉の死後に主導権を握ろうとした徳川家康と、それを阻止しようとした石田三成の戦い」と認識されていると思います。  しかし、近年は研究の進展が著しく、合戦のとらえ方はかなり変化してきています。例えば、合戦中に寝返ったとされてきた小早川秀秋は、実は開戦と同時に裏切っていた、という風に認識が変化しました。  本書は、「豊臣五奉行」に焦点を当てて、関ヶ原合戦に至る権力闘争を概観しています。 五大老・五奉行とは 五大老・五奉行は、豊臣政権を支えた有

【書評】柴裕之『徳川家康 境界の領主から天下人へ』(平凡社)

 来年の大河ドラマの主人公である徳川家康。創作の中では、「人質から天下人になった苦労人」「信長や秀吉に信頼された律儀者」「豊臣家を滅ぼした陰険な狸親父」など、一定のパターンで描かれているようです。  しかし、近年の研究の進展により、古い家康像は書き換えられています。2017年刊行の本書も、そうした成果の一つといえるでしょう。 「境界の領主」としての徳川家康 本書の副題で、繰り返し出てくるキーワードが「境界」です。異なる勢力が接する境界では、領土紛争が頻発します。  戦国

『信長公記』の割とどうでもいい記述を紹介していく②~大蛇伝説

前回はこちら。  前回は怪談じみた話でしたが、今回も不思議な雰囲気で始まります。首巻の第27節の記述です。 大蛇が現れる池 信長の青年期の話である。織田家臣・佐々成政の居城・比良の近くに「あまが池」という池があった。その池には、恐ろしい大蛇が出るという言い伝えがあった。  ある時、又左衛門という者が大蛇を目撃し、その噂が信長の耳にも達した。信長は自らあまが池を訪れ、池の水を干して大蛇を探すよう命じた。ところが、いくら調べても大蛇は見つからない。信長も、自ら脇差を口にくわ

『信長公記』の割とどうでもいい記述を紹介していく①~妖刀のたたり

『信長公記』は、織田信長・豊臣秀吉に仕えた武将・太田牛一が書き残した史料です。桶狭間の戦いや長篠の戦いなど、信長の生涯のできごとを知るための基本史料です。  記述も詳細で精度が高いと評価されていますが、通読すると面白いことに気づきます。  若いころ「うつけ」と呼ばれた信長の奇行、斎藤道三と対面した逸話、浅井久政・長政父子と朝倉義景の髑髏を酒の肴にした――といった有名な話に混じって、世間の人々の噂になった事件など、大衆紙の三面記事のような記事がしばしば挟まっているのです。

【書評】『現代語訳 信長公記』(ちくま学芸文庫)

 織田信長の家臣であった太田牛一による信長の一代記。信長を知る基本史料である。 『信長公記』の活字翻刻版は刊行されておらず、同書の全貌を知る貴重な書籍である。もっとも、ちくま学芸文庫版は1980年に刊行されたものの復刊で、見解が古い点もある。  例えば、桶狭間の戦いは従来言われてきた「奇襲説」は否定されており、『信長公記』本文を分析した「正面攻撃説」が有力になっている。が、本書67ページの地図は古い見解のまま…そうした点がもったいなく感じる。  大元の史料ではどうなって