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戦国note

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2021年12月の記事一覧

毛利元就(もうりもとなり)と千足のわらじ(その3 全3回)

昔はね、夜を道を歩いて行く時には懐中電灯なんかないからね、松の木や竹や葦なんかを束ねたものに火を着けてその火の灯りで夜道を照らしながら歩いて行ったんだって。銀山城は山の上にあったからお城からはこの灯りがよく見えたよ。真っ暗な夜だものね。 「おお、毛利の者たちが太田川を下ってこちらへ攻めて来ている。たいそうな数ではないか」 そうさ、武田軍は流れていくわらじの火を家来ひとりひとりの持っている松明と思ってしまったのさ。大手門から攻めて来るに違いないと思ったんだね。これは大変だと

毛利元就(もうりもとなり)と千足のわらじ(その2 全3回)

武田光和のいる銀山城は400メートルもある山の上にあったのさ。それは険しい山と川に囲まれているから攻めて行くのは難しいお城だったんだ。それに武田軍では少し前に光和は亡くなってしまって次のお殿様は誰にするかでもめていたんだね。なので元就にしたらちょうどいい時期だったよ。リーダーのお殿様がいないのだからチャンスだったよ。戦いを仕掛けたら必ず勝てるようにと作戦を立てて行ったんだ。 「急ぎ千足のわらじを作らせろ」 元就はこんな命令を出したんだって。家来たちは千足ものわらじをどうす

毛利元就(もうりもとなり)と千足のわらじ(その1 全3回)

今日はね、昔の人たちがはいていたわらじがお城を攻めるときの罠になっていったというお話だよ。 ポンと昔。今から500年くらい前の戦国時代の事だよ。 広島県の安芸国の事さ。強い力を持っていた山口県周防の大内氏と島根県出雲の尼子氏が領土を広げようとして安芸国へと攻めて来ていたんだよ。 安芸国にはね、ずっと昔から国人と言われているいくつものグループがあったんだ。村がいくつもあるような感じだよ。そこにはそれぞれ小さなお城があってお殿様もいたのさ。大内氏と尼子氏は次々と国人たちに戦

忍者たちの非常食

今日はね、忍者たちのアイデアで作られた非常食のお話だよ。 忍者は戦国時代や江戸時代に本当にあったお仕事なんだよ。敵のお屋敷の床下や天井裏なんかに何時間も隠れていて大切な秘密のお話を聞き出していたんだ。だから隠密とも呼ばれていたんだよ。スパイ活動をしていたんだね。任務中は水を飲むことも、トイレに行く事もお腹がすく事も我慢しなくちゃならなかったよ。 そんな忍者たちが考えた非常食があったんだ。ちゃんと忍法書に書いてあるよ。代表的な忍者飯を二つ紹介するね。 水渇丸っていうのはね

『信長公記』の割とどうでもいい記述を紹介していく⑤~つつもたせ事件

前回はこちら。 『信長公記』の本筋に関係ない記述を紹介していくシリーズは、今回が一応最終回です。 つつもたせ事件(巻十四の二十二) 天正9年(1581年)12月のできごとである。  近江国の野尻の郷という場所に、延念という徳のある僧侶がいた。ところが、蜂屋の郷の「八」という男がつつもたせを企て、若い女を用意した。  雨の降る夕刻、女は延念の寺に駆け込んでしばらく宿を借りたいと願った。僧侶は「迷惑である」と言ったが、女は庭の隅で火を焚いて居座った。そこに男が押し入って、

小幡城~巨大な土のダンジョン

 茨城県茨城町にある小幡城は、知る人ぞ知る「土の名城」である。築城者や沿革などは不明な点が多いが、縄張りの巧みな魅力の大きい城だ。  アクセスは車がないと不便で、JR常磐線石岡駅から、関東鉄道バスで30分ほどの「新小幡」バス停から徒歩20分。バスの本数は平日でも8本くらいしかないため要注意だ。  土の城というと険しい地形を利用していることが多いが、小幡城の特徴は「低さ」にある。遠目から見ると、少し盛り上がった微高地で城跡には見えない。高地のほとんどない平野部なので、ここに