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どこまで行くのだろう?

車窓のから眺める外の景色は、灰色の雲のもと濃淡のない風景が広がっていた。
滋賀の米原辺りの山間を抜けると濃尾平野に入り岐阜になる。
養老山脈が霞んでいたので、伊吹山も見えないだろう。
少し雨が降っている事を、窓についた小さな雨粒で知った。

東京の仕事で新幹線に乗っている。
初めは小説を読んでいたけど、徐々に集中できなくなり、外の景色を眺めるようになっていた。

空を見ていると、職人さんが使うヘラなどで薄く伸ばされたように淡い灰色の雲が続いていて、何処か物思いに老けて現実から離れている時の自分の表情に似ているように見えてきた。
疲れているのだろうか…?

濃尾平野は、その名の通り平野なので、建物こそあれど、平らな大地が三河安城辺りまで続いている。
昔は自分もその中の1つの地域に住んでいて広い空をいつも見上げていた事を思い出した。

山間を抜ける揖斐川、長良川、木曽川と大きな3本の川を越える。
その時に子供の頃にいつも車の後部座席からボーっと眺めていた事を思い出す。
今思えば、現実離れした綺麗な構図と言えるかもしれないけど、あの時は子供の自分自身が現実離れした状態で眺めていたのかもしれない。

ふと運転席の父親の後ろ姿が浮かんだ。
年に数回しか帰省しないが、元気にしているだろうか?
便りがなければ大丈夫だろうと勝手に思っている。

何故だか自分が写真の仕事をしたいと言った時の父親のことが思い出された。
「誰に師事するんだ?」
誰かに師事しないと写真の仕事はできないのか?とそれくらい解っていない状況でカメラマンになろうとしていた自分に向かって、父親は大きなため息をついて小言を言っていた。
実際はカメラマン事務所に所属して、依頼があれば何でも撮影します!という会社で6年過ごした。
最後の方は、先輩カメラマンや、一緒に入った同期も抜けて自分一人と社長だけだった。
恐らく6年という年月は在籍した写真の中で一番長かったのでは?と思っている。

その在籍した期間に何か教えてもらえたのか?といえばそうではなく、簡単な撮り方を教えてもらって、後は現場に直行するような事務所で、いつも自分で試行錯誤していて、クライアントから良かった、悪かっただけ言われる日々が続いたので、師匠がいて色々教えをもらえた訳ではなかった。
写真以外の人生経験はいろいろした気もするけど…

あれから結局誰かに師事する事は一度もなく、今日まで来てしまった。
それでも今も何とか仕事をさせて頂いているから、ありがたい反面、不思議に思う。

以前、ルーブル美術館で勉強されたというキュレーターの方とお話をした時に、師匠がいないと話したら
「それは良かったね。クセがつかなくて。」
と言われた。
誰かに師事すると、何かしらの師匠の癖がつくのだろうか?
それとも何かしらのシガラミが付いてくるのだろうか?

新富士駅を超えても灰色の空は続いているが、三島の向こうは黄色く薄く光っているように見えた。
少しは晴れているのかもしれない。
窓につく雨粒は無くなっていた。

人生、何がどうなるはわからない。
先週のエッセイから考えると自分の現状と闘うという姿勢も必要かもしれない。

― まだまだやってみたいことがある。

それを発見できるのは自分だけである。
何歳になろうが生きている限りは現役のカメラマンでいたい。
いつか現役を引退して優雅な時間を…そんな事をいう同業の方もいるけれど、歳をとっても汗水たらしている方が、自分には合っているだろうし、その方がカッコよいと思っている。
その考えは、写真の世界に飛び込んだあの日から変わっていない。

どこまでいくのだろう?
自分でも楽しみである。

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