見出し画像

人が関わる事には気が入る。

朝、起きて鏡に映った自分を見た。
まじまじと自分の顔を見ると、社会人としての雰囲気は皆無だなと感じた。
髭が生えても気が向いたら剃るくらいで、髪の毛も簡単に直すくらいで、仕事の服は、ほぼ私服である。
業種が業種だけに「こんなものかな…?」と思ってしまうが、たまに人に会うと比較的自由な恰好が許される仕事なんだなと改めて感じる。(ある程度のTPOは考えていますよ。)
先ほどもカメラバックをTHE NORTH FACEのキャリーケースが代用できないか一生懸命に探していた。
改めて変わった仕事をしているのだなと思った。
 
そんな仕事をしているからではないが、急に時間がぽっかり空く時がある。
先日も、仕事が夕方の1件だけだったので、お昼に東梅田のコインロッカーに荷物を預けて、今宮戎まで参拝をして往復する散歩をした。
お気楽である。
大体これくらいだろうと所要時間は調べなかったが片道1時間10分くらい掛っていた。
 
7月の初旬にあるロケハンも兼ねて歩いたので、大阪のビジネス街の裏手の古い建物がいくつか残っているエリアをウロウロした。
大体の目星が付いたので、散歩を再開しようとした時に一軒の焼き鳥屋さんが目に入った。お昼は鶏を使ったラーメンを提供しているらしい。
興味本位に負けてお店に入ってしまった。

感じの良い店員さんで、お昼の営業終了時間に近かったが、快く店内に通してくれた。
会計だけ済ませて、しばらくしたらラーメンが運ばれてきて、食べたら美味しかった。
ー やっぱり人の気が入るのではないか?
そのラーメンを啜りながら、そんな考えがだんだんと確信のように鮮明になっていった。
 
過去に飲食店の話で似たような事を言っているかもしれないけど、人の作るもの、関わるものには、その人の気が入ると思っている。
先ほどのラーメンの話とは別の例になってしまうが、先日、難波のカレー屋さんであまり良い思いをしなかった。
その人の内容をここに何度か書こうとしたが途中で嫌になり、その度に消してしまうくらいの内容だった。
二度と行かないと思う。
それで察してほしい…
 
人の作るものには気が入り、それは細部に表れていると思う。
今は飲食店の流れなので、そのまま例えとして書くと…

気の良い人が作れば、口に運ん時に美味しく思う。
逆に気が悪い人が作れば、口に運んだ時に美味しくは思えない。

この差は何かを考えると味付けや盛り付けではなく、作り手の雰囲気が味に伝わっているように思える。
ご立派な料金のお店でも美味しいところと、美味しくないと思ったこともあるし、親しみやすい料金のお店でも同じような事がある。
その違いは何だろうとずっと見ていたら、料理に対しても、人に対しても、直向きな人の料理は美味しい事に気が付いた。
結局人間性なのかなと思う。
 
人が関わる事には良くも悪くも、その人の気が伝わるのである。
写真も、音楽も、企業経営も、イベントも、接客も、営業も…
人は無意識のような意識で、それを感じとっているのではないかと思っている。

そんな事を考えながら、お店を出た。
また伺いたいなと思う。
梅雨の合間のなのか良く晴れている。
腹ごなしを兼ねて、今宮戎まで散歩を再開した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?