現代社会の闇をあぶり出す社会派バラエティ番組『日本怪奇ルポルタージュ』~「ヤングケアラー」編~
たまたまザッピングで観た『伊集院光&佐久間宣行の勝手に「テレ東批評」』という番組。「テレ東」の番組とは言うものの、他局の番組についても自由に語っているコンプラ無視のある意味特殊な番組です(笑)。
ゲストでクドカンが出演者していて、次回のゲストがドラマ『ふてほど』の純子役・河合優実だというので録画してみたところから、面白いので結局毎週録画して観るようになりました。
その番組の中で宣伝も兼ねて紹介されていたのが『日本怪奇ルポルタージュ』という番組でした。MCは佐久間宣行。ゲストは呂布カルマ、蓮見翔(ダウ90000)、ラランドのサーヤや、乃木坂の久保史緒里など。
日本の社会問題や怪奇現象に少しだけ寄り添うというのが番組のコンセプト。"怪奇"というよりは現代社会の闇をあぶり出すような社会派の番組で、観終わるとドヨーンとした感情が渦巻きます。
てっきりずっと続く番組かと思いきや、全6回で終わってしまうようでそれは少し残念です。
私は「ネットミーム」の回から観始めました。ネットを通じて人から人へ広がっていく文化や行動のことですが、あるコンテンツが伝播していくのに派生したモノが生み出されていく上でのデメリットもあるので、その怖さを痛感させられました。
その後も「いじめ」「ヤングケアラー」と重たいテーマが続きます。
「ヤングケアラー」の回では、平成ノブシコブシの徳井さんが自らの体験を語っていて、その語り口が淡々とまるで第三者のことのようだったのが逆にリアルでした。
徳井さんが中1の時、父親の単身赴任をきっかけに母親が精神を病んで部屋にひきこもるようになり、そこから6歳年下の妹の世話や家事全般を徳井さんがすべてやっていたそうです。
やらされていたというよりは、本能というかそれが当たり前の日常だったから、特別なこととしてではなくやっていたという言葉が非常に重たかったですね。
「ヤングケアラー」という言葉が注目され始めたのは1980年代のイギリス。当時からその存在が発見されづらいので「Hidden Carer(見えないケアラー)」と呼ばれていたそうです。
これが現状です。つまり当の本人にとってはごく当たり前の日常のことであって、自分が周りと違う環境に身をおいているという自覚もなく、一方で家族の病気を知られたくないという思いもあると…。
家庭内のデリケートな問題と結びついているので、簡単には相談できないという側面ももちろんあると思います。
「幼少期の負担をどう軽減できるのか?」という問いには、番組出演者たちも明確な答えが出せるわけもなく、この問題の難しさが改めて浮き彫りになった感じでした。
徳井さんの母親は後に自殺で亡くなったそうです。徳井さん自身も自殺はしないけれど、いつ死んでもいいと思っていた…そういう刹那的な生き方を35歳まではしていたそうです。
そんな徳井さんの恩人が、あの小籔さん。「そんなままではアカンで」と、徳井さんに欠けていた「挨拶・感謝・マナー」といった生きる上で必要な概念を丁寧に教えてくれたそうです。
小籔さん、以前にも誰かが恩を感じているようなことを言っていましたが、彼は人格者なんですね。
「ヤングケアラー」の子どもたちは、こんなの大したことない、困ったことがない、パンクするまで分からない…こういう状況にあるそうです。
もし彼らを救いたい人がいるなら「土足で踏み込む勇気と鍛練が必要」という徳井さんの言葉は、その経験値から説得力のあるものでした。
MCの佐久間宣行が言っていましたが「テレビで話す人が増えているのはいいのかも」と。確かに、たとえば芸能人たちがこういう風に自らの経験を語ってあげることで、「もしかして自分も…?」というきっかけになることはあるような気がします。
各家庭それぞれに違うケースを抱えている問題なので、もちろん一概にこうすれば解決できるという方法があるわけではないでしょう。
でも、少なくとも家族の世話で学業の時間が奪われたり、友だちと普通に遊んだり交流したりすることもできない…その世代でしか経験できない貴重な時間が奪われてしまう環境については、なんとか少しでも改善してあげられたらと願わずにはいられません。
こんな風に観終わってあれこれ考えるきっかけになる『日本怪奇ルポルタージュ』。こういう番組が深夜帯ではなくゴールデン・タイムで放送されてもいいのではないかと、個人的には感じています。佐久間宣行という人間の鋭いアンテナの張り方にはいつもながら脱帽です。
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