理想と現実への挑戦状

理想と現実への挑戦状

せんだいしろー

自分の清水戦の記事を読み返してみて、まあ概ね自分が考えてる微妙な感情というものは表現できていたなと。ただ、ずいぶん頭狂ってんなコイツとはなったけれど。(笑)

だってクリーンシートだし。だって相手は攻撃力の高い清水エスパルスだし。よく考えてみてよ。ケガ人だってたくさんいるんだよ?やりくりも大変だしさ。それに今年は降格も無いし、最悪最下位でも、来季に繋がる戦いができてたらいいんじゃないの?この前は救われてほしいとか言ってたのに、今はやるべきことをやれって、ずいぶん変わり身が凄いんじゃないの?

などと感想をもらったわけではないですが、僕のなかの僕が囁いています。

課題がたくさんあるのはわかる。たくさんあるということも理解している。その解決策も明確。でもそれらを「課題ではない進歩だ」と言い切ることも必要じゃないのかなと。課題に忙殺されたり、結局解決できませんでしたでは厳しいなと。

0-0を誇るならそれで良いんですよ。攻守の切替で上回りましたよ、次は得点を決めてやりますよ、そんな自負があったって良いと思うんです。これまで敗戦が続いても、強敵相手に臆することなく挑戦し続けた姿に胸をうたれたから、僕は彼らに「報われてほしい。救われてほしい」と願ったのであって。「ボールを繋ぎたい」とか「最後の崩しが」とかも大事だけれど、これだけメンバーや戦い方のやりくりが大変ななかで、「これだけのことをやっているんだぞ」と。「それでもチャレンジしているんだぞ」とそう誇ってほしいなって。

神戸戦の前あたりから、連敗を気にするようなコメントをチラホラ見聞きしたり、選手の内省的なコメントを見たりしました。メンバーやフォーメーションが変わるなかで、再開後にくらべて相手を意識した、まずは相手のやり方を受け止める方向にシフトしているようにも見えます。トライするなかで、チャンレジするなかでの失敗や敗戦なんておおいに結構。どんどん失敗するべきです。今年しか言えない魔法の言葉「今年は降格がない」も、こういう過程でこそ、目先の勝った負けたの表層を舐めようとしたくなる悪魔の囁きに抵抗することに効果を発揮します。

チームは新たに、ボールを握った戦い方を模索しています。遅かれ早かれ取り組むとは思っていたので驚きは無いですが、決して後ろ向きでない、前へ進んで行く挑戦のなかで必要なことであれば、そのすべてが許されると思うんです。僕は、これは肌感覚でしかない、サッカーという競技をおよそ10年弱見てきた程度の感覚でしかないのですが、今のチームは「勝負」ではなく「勝敗」がチラついているように見えます。それはチーム内の士気の問題なのか、クラブの問題なのか、スポンサーの問題のなのか、監督の焦りなのかは分からないですが、「攻守にアグレッシブなサッカー」の一端を垣間見て、それに魅了されたしがないベガルタ仙台サポーターとしては「早くないですか?」と囁きたいです。

もちろん、記事にも書いたように、今年はいろんな要因があるので現象だけをいつものテンションや文脈で解釈しても意味をなさないのだなと思います。だから、僕のこの心配も、くだらない「愚図の愚痴」でしかないんだと思います。札幌、川崎、柏戦の結果は、チームの心を挫くのにふさわしいのかもしれないし、マリノス戦で心を抉られてもおかしくないと思います。だからとにかく1勝がほしい。そんな気持ちも痛いほど分かります。ならそれを誇ってください。0-0で勝ち点1をもぎとったと、ふんぞり返ってください。

それでも、木山さんが「課題」を口にしたのは、きっとそこに終着地点は無いと考えているからですよね?理想と現実との狭間で、とはいっても勝ち点を取らないといけない勝った負けたのクソみたいなロジックのなかで、時に栄光を、時に衰退を体験する。それでも、理想を、願いを、未来を叶えようと、クソみたいな現実を少しでもそれに近づけようと塗り替えようとしていくのであれば、僕はそこに僕のすべてを注ぎたいと思います。決して折れないよう、負けないよう、必ず報われると信じて、進んでいきましょう。


「諦めず挑戦し続けます」




こう言ったのは、木山隆之だ。



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せんだいしろー
仙台戦術藩の人です。サッカー戦術ブログ『蹴球仙術』を書いてます。 ここではベガルタ仙台について感じることを書ければ。日進月歩。