仙台郷土研究会

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仙台郷土研究会

この街の歴史を探求するサークルです。 https://sub.mkn-hospital.com/

最近の記事

講演会 『仙台藩初期の奉行衆~政宗を支えた重臣の人物像』

講演会のお知らせです 講 師  仙台郷土研究会 理事 菅野 正道 氏  日 時  令和 6年 2月 10日 13時半から15時 場 所  仙台復興記念館 4階 第一会議室 参加費  400円 定 員  先着50名 誰でも参加できます。申し込みは不要です。

    • 栗名月

      残月の風景です。中央が松島の大観荘です。 残月は西の空ですが、同じ時間に東には、朝日が昇る曙の石巻湾が見えます。大高森の早朝5時ごろの頂上がお勧めです・・・。 未だに誰一人とあったことのない孤独で一番風情が楽しめる絶景の場所です。 政宗が懸け造りの仙台城から金華山の昇る月をながめたようすが偲ばれます。 3枚目以降は、10-29松島雁金山から栗名月の様子です。 冬の月を見るなら、大高森からの残月がおすすめで、来月から3月までの早朝5時ごろからがおすすめです。

      • 講演会『仙台藩江戸藩邸の変遷』

        講演会のお知らせです。 講 師 仙台郷土研究会 会長 渡邊 洋一 氏   令和 5年 9月 9日(土)午後1時30分~3時00分   戦災復興記念館 参加費 400円  どなたでも参加できる講演会です。申し込みは不要です。

        • 松島の月

          今年の7‐3が満月だったので、芭蕉が観たかった「松島の月」を思って出かけた。 元禄2年5月15日を検索すると太陽暦の7月初めの満月となる。 松尾芭蕉が滞在した5-9泊の松島は太陽暦で6-25にあたる。 芭蕉が訪ねた5-15は、太陽暦で7‐1は雨で、出羽領内・堺田、封人の家に宿泊して、「のみ虱馬の尿とする枕元」を詠んでいる。 もし、晴れていれば、「まず松島の月を心にかけて」とあるから、夏至の頃の満月ということになる。 あいにく雲にさえぎられてしまった・・・・。数年前の夏至の満

        講演会 『仙台藩初期の奉行衆~政宗を支えた重臣の人物像』

          AI(エーアイ)で片倉小十郎を調べてみた

          こんにちは。 今日は、流行りのAIを使って片倉小十郎について調べてみました。 質問は、いずれも 「130文字以内で、片倉小十郎について教えて」です。 ChatGPT Bing Bard さてみなさんは、どれがお好みでしょうか? つーか、信長の家臣かい!

          AI(エーアイ)で片倉小十郎を調べてみた

          多賀城の月

          奈良時代・1300年前の碑文が宮城県多賀城にある。 かの有名な歌枕「壷の碑」と呼ばれるこの「多賀城碑」に記された文字は141文字という。 その中に「神亀元年(724)東海東山節度使参議・藤原朝かり修造」とある。 これを記念して、現在「南門」を復興中で来年の完成である。 多賀城には約1キロ四方の城郭(正殿)が残り、周辺は古代都市・約500メートル四方に整備された都市道路も発掘された。 勿論、「曲水宴」の鑓水遺構も残され、太平洋に通じた運河跡も確認されている。 多賀城碑建立の日

          講演会『縄文地名ノオト』

          講演会のお知らせです。 講 師  東北文化学園大学教授 八十川 淳 氏   令和5年6月25日(日)午前11時00分~12時00分   戦災復興記念館4階 第2会議室    どなたでも参加できる講演会です。申し込みは不要です。

          講演会『縄文地名ノオト』

          富沢辺り ④~⑦

          富沢駅周辺の遺跡めぐりの2回目です ③の説明板がある道をずんずん歩くと、④は大野田官衙遺跡です 大通りに出て右に曲がると⑤の大野田遺跡 大通りを南に進むと⑥の看板が 富沢駅からの大通りとの交差点を渡ったところに⑦ 大野田官衙遺跡と少し離れたところにある郡山遺跡の説明板があります まだまだ続く

          富沢辺り ④~⑦

          富沢辺り ①~③

          富沢駅前の自転車等駐車場の隣にこんな看板があります。駅周辺の14の遺跡 1か所目から4か所目は六反田遺跡です 駅東のロータリーから通りへ出ると①の看板 東にちょいちょいと歩いて交差点を北へ。イオンタウンの駐車場の向かい辺りに②の看板 お隣のコンビニの向かいに③の看板 続く

          富沢辺り ①~③

          緑化フェア

          「フェアの会場からは2つの政宗像を同時に見ることができます!」 ・・・間違いではないけれども、こんな感じ。 緑化フェア会場のすぐ下の石垣。 ここもお城の中だったんだって実感できます。

          講演会『林子平を敬仰した宮城の先人の系譜』   

          講演会のお知らせです。 講 師  本会会員 わたなべ 拓 氏   令和5年5月13日(土)午後1時30分~3時00分   戦災復興記念館4階   参加費 400円  どなたでも参加できる講演会です。申し込みは不要です。

          講演会『林子平を敬仰した宮城の先人の系譜』   

          松島の風情

          驚くことに、雪の朝の今朝、「日の出の満開」を撮影するカメラマンで、西行戻しの松が大混乱でした。 例年いない速さの東北桜ですが、どこもかしこも満開の桜です。 いい出来栄えではないのでアップするかはお任せです。月夜は天候不順で1枚・多聞山(七ヶ浜町)になりました。 願わくは花の下にて春死なん あの如月の望月の頃  西行 桜といえば西行、花の歌人として有名になったのも、上記の和歌が辞世の歌になり、自身の命日が如月の十六夜・2-16だったことのようです。 如月の望月はお釈迦

          仙台市国見峠 建造物写真

          私は仙台市青葉区南吉成に住んでいます。現在は住宅地になっていますが、その昔は山中で「国見峠」(海抜234m) と呼ばれておりました。名の通り、西に向かう旅人が名残惜し気に仙台城下を振り返る場所だったと言われています。現在でも仙台市街はおろか太平洋まで一望できます。 この地にある建造物三か所を紹介します。 1.NTT国見無線中継所 国見無線中継所は昭和30年(1955)に完成、東京~仙台~札幌のマイクロウェーブが全通し、テレビ中継が可能となりました。翌年には仙台でもNHKの

          仙台市国見峠 建造物写真

          松島の風情

          テレビの時代劇に登場する「明け六つ、暮れ六つ」というセリフがある。 松島の風情はこの時間帯にある。従って、江戸時代の文人墨客が松島の風雅を求めて宿泊滞在している。 現在、松島を訪ねる観光客は、この時間帯を除く昼間の滞在なので、風情の乏しい景色を楽しんで帰ってしまう。 「あん」のない「最中」の皮部分を食べているようで味気ない感じがする。 2-3月の月の出が夕方5時から7時頃まで、日の出が朝5:30から7時頃迄がお薦めである。 松島を訪ねた西行には、亡くなる直前に詠んだ

          「弔魂碑」

          伊達家の御廟瑞鳳殿に、戊辰戦争での殉難者1260人を祀る「弔魂碑」があります。 この写真(『仙台叢書』第12巻)の左下の丸いものは、榎本武揚艦隊が五稜郭に向かう途中荻浜に寄港し、船足を早くするため海中に投棄した大砲です。明治18年頃、細谷十太夫らがここに据え置き、永く戊辰戦争を偲ぶものとしました。が、今はありません。  一昨年から始まった講座は、4月から25回めに入ります。戊辰戦争で会津救済と真の維新遂行のため、押し寄せる政府軍に対し奥羽諸藩は半年にわたり防戦しました。薩

          『政宗公銅像』                   -杜の都には騎馬像が似合う-

          令和5年2月11日、地元学応援団の佐々木伸さんの講演会が行われました。 政宗卿の銅像は、仙台に住む私たちにとっては当たり前の存在である一方、これまで語られてこなかった制作にいたるまでの話や当時の時代背景についても、興味深く伺うことができました。 仙台市博物館のあまり目立たない場所にあった初代の銅像が、仙台緑彩館の隣に移設されるとのことで、おなじみの騎馬像の修復完了と合わせて今から楽しみです。

          『政宗公銅像』                   -杜の都には騎馬像が似合う-