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多賀城の月

奈良時代・1300年前の碑文が宮城県多賀城にある。
かの有名な歌枕「壷の碑」と呼ばれるこの「多賀城碑」に記された文字は141文字という。
その中に「神亀元年(724)東海東山節度使参議・藤原朝かり修造」とある。
これを記念して、現在「南門」を復興中で来年の完成である。

多賀城には約1キロ四方の城郭(正殿)が残り、周辺は古代都市・約500メートル四方に整備された都市道路も発掘された。
勿論、「曲水宴」の鑓水遺構も残され、太平洋に通じた運河跡も確認されている。
多賀城碑建立の日は、「天平宝治6年(762)12月1日」と刻まれる。


この碑を国宝にしたいので、ぜひ太平洋と多賀城をつないだ舟運を復興して「ふるさと松島」とつなぎたい夢を語っている。
砂押川ー多賀城(大代)ー貞山運河ー塩竈ー松島と船が明治期まで通じており、震災後に解体となった岩切郵便局自宅が松島旅籠・扇屋自宅だったことがわかっている。

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