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凡人の下

昨日に引き続き、「何がどう」ということも無い話を書いていこうと思います。簡単に言うと、個人的な悩みの話です。

♪アイデンティティーが 無ぁぁぁぁい

いきなりサカナクション(ミリしら)を歌いだして何事かとお思いでしょうが、私は「自己形成に影響を与えた(=若い頃にハマった)コンテンツやカルチャーを言えない」ことに、割と真剣に悩み続けています。

最近、宮城・仙台のWEBメディア『ウラロジ仙台』の一員に加えていただきました。外部(チャレンジライター)枠で記事を書かせていただいたところから、中の人たちと徐々に仲良くなり、コミュニティに混ぜていただいたイメージです。おかげさまで、とても楽しく過ごしています。
ウラロジ仙台は、よくあるローカル情報メディアとは少し違った、独自の立ち位置を大事にしているメディアです。「地方都市ライフをマニアックな視点で面白がる」といったスタンスでしょうか。かなりエッジの効いたコンテンツが揃っていますので、県外の方もぜひご覧ください。

ウラロジ仙台は、「実は宮城・仙台にある面白いこと」を知ることができるWebメディアです。マニアックなイベントやサブカルチャー的話題、地元クリエイターやユニークな活動団体へのインタビューなど、楽しんでいってください!

『ウラロジ仙台』トップページより

編集長をはじめとする制作メンバーは皆それぞれ、漫画や映画、ゲーム、音楽、ファッションなどのカルチャーを自分らしく愛しています。各々と話せば知識量や熱量に圧倒され、感銘を受けることばかりです。ウラロジ仙台以外のコミュニティでも、私の人間関係にはカルチャーをこよなく愛する方々がとても多く、いつも「いいなぁ」と思います。

見た目だけオタク青年

さて、私はどうかと言うと、見た目は典型的に「オタク青年」なのですが、過去を振り返っても、各年代でよく遊んだゲームやよく聴いた音楽、印象的な本などは単発的にこそあれ、接し方はどれも中途半端です。

ゲームならば時間を忘れるほど没入した覚えはなく、音楽ならばそのアーティストの全曲を聞いてライブにも通って、と言うこともなく(ジャンル単位でも同様)、印象的な本があると言っても著者の他の作品や関連する書籍に手を伸ばしたかと言えばそうでもありません。人の顔と名前を一致させるのが苦手ゆえ、芸能関係は特に没入が難しいジャンルです。仮にアイドルならば「Perfumeよりメンバーの多いグループは厳しい」と言えばお分かりいただけるでしょうか。
ここで冒頭に歌った、『アイデンティティ』の歌詞を引用させてください。ちなみに、サカナクションもメンバーが多いので厳しいですね。

好きな服は何ですか?好きな本は?好きな食べ物は?
そう そんな物差しを持ち合わせてる僕は凡人だ

サカナクション『アイデンティティ』より

私は「そんな物差し」に対する答えも持ち合わせていません。
某テレビ番組ならば、凡人の下なので「才能ナシ」といったところ。(あの物差しもだいぶ理不尽に思えることがありますが)
なお、この歌はラストにかけて、「自己形成の本質はそんなことじゃない」と気づいていくのですが、私はそういった境地に至っていません。この先しばらく自分語りが続きます。

強いて言えば、幼い頃から乗り物好き、地理好きではありますが、思春期に鉄道趣味(主に同業者の振る舞い)に嫌気が差してしまった辺りから新たな知識の獲得ペースが落ち、今や素人も同然です。地理のほうは「平均的な日本人よりちょっと詳しい」くらいで、今いきなり「長野県の全市町村を挙げよ」と言われても困ってしまうことでしょうし、多分ジオゲッサーも大して強くありません。その程度です。

知識は浅く、かと言って広がりを持つわけでも無いので、私の頭の中は開けても中身の乏しい引き出しが無数に連なっているイメージです。それでよくライターというイン/アウトプット量の勝負のような仕事を続けていられるものだと自分でも不思議になります。それはそうと、カルチャー大国ニッポンに生まれながら、何てもったいない生き方でしょう!しかも見た目(と喋り方)だけはオタク!全く旨味がありません。

失われた30年、何してた?

この世に生を受け、間もなく34年になろうとしています。バブル崩壊とともに生まれ、平成不況とともに歩んできたとは言え、カルチャーの面ではこれまでになく充実していたはずの時期に青春を送りました。他の皆がそれぞれに熱中できるものを持ち、社会活動とうまく両立させながら歳を重ねてきた間、一体私は何をしていたのでしょうか。

現状の結論としては、
6歳くらいからずーーーーーーーーーーーーーっと、自分との戦いに明け暮れていました。人生を投げ出したい自分との戦いです。誰かを傷つけては自分を追い詰め、ギリギリの精神状態で更に誰かを傷つけてはまた落ち込むスパイラルに、ある意味で「没入」していたのかもしれません。
本題のカルチャーについては、何かを好きになっても、人に否定されるとすぐに諦めていた覚えがあります。特に、父から「俺には理解できない」などと嫌味を言われたり、母から「人に迷惑がかかる/恥ずかしい」と言われたりすると、「親を不快にするくらいなら」と心にブレーキをかけてきました。学校でも、常に同級生の顔色を伺いつつ、話題の中心(当時は週刊少年ジャンプ作品など)には乗れず、時間をかけて好きになったものは一定の年齢になると「子供っぽい」と言われるようになるので、結局何も愛することができませんでした。今思うと全く恥ずかしい趣味は無かったのに、自分の「好き」を人に言うことを避ける傾向も強くありました。

恥ずかしいことに、これらのメンタリティは、根っこの部分で今もほとんど変わりません。例えば、外出中にイヤホンで音楽を聴くのは未だに怖いです。自分が何を聴いているのか万一にも隣の人に知られ、嘲笑されると思ってしまいます。ずっと『カノン』でも流していればいいのでしょうが……。

それでも一緒に生きてくれる「器」に感謝を

ここまで勢いに任せて書いてきましたが、我ながら、何てつまらない人間だと思います。カラオケに誘われても、映画の話を振られても自分のバックグラウンドを何一つとして表明できない私は、仕事やプライベートなどで付き合う相手からすると退屈で、今風に言えば「おもんない」存在のはずです。
それでも私には、ありがたいことに、『ウラロジ仙台』をはじめ、自分を退屈な存在とはみなさずに受け入れてくれるコミュニティや、友人知人、諸先輩方がいらっしゃいます。本当にありがたいことです。むしろ、マニアックな視点やカルチャーを大事にするメディアに、私のような人間が混ぜてもらっている事自体「おもろい」のかもしれませんし、私の周囲の「器の大きさ」の証明でもあります。

さしあたり、お役に立てることはしっかりと遂行し、一つ一つの人間関係に誠実に向き合うという基本スタンスは変えずに行きたいと思います。問題があるとすれば、今まではその誠実さの原動力のうち、かなりの部分が「(関係を切られる)恐怖」だったということです。そこは少しずつマインドを見直したいと思います。

結局のところ、自分では、私の何がいいのか(というより、許容されるのか)よく分かっていません。考えても考えても、分かることはないでしょう。直接尋ねることほど野暮なことはありませんし、ここはもう一度、「歌詞」にご登場いただいて不毛な話のサゲといたします。

あいまいでいいよ 
本当のことは後回し

羊文学『あいまいでいいよ』

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