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福の神【2023年の終わりに寄せて】

福の神

大みそかの午前4時、LINEのメッセージが来ていた。
「一緒に初日の出を見に行かない?」

送り主は、高校の同級生。本人には言っていないが、勝手に「福の神」だと思っている。

出身中学も、部活も、ついでに性別も違う。だが、教室で話せばいつも異様に盛り上がった。当人が真面目な顔をすればするほど、腹が痛くなるまで笑ったのを覚えている。理由は未だにわからないが、私たちはウマが合った。

卒業後は連絡を取り合うことも無く、気がつけば13年ほど経っていたのだが、どういうわけか再会し、何度か遊びに誘ってくれる。行くたびに彼女の元気な子どもたちに翻弄されつつ、あの頃のように大笑いして帰る。結果的に、共通の友人(卒業以来会っていなかった)や恩師(同)と再会することもできた。

そして、今回は初日の出に誘ってくれた。何やら、クラスメイトではあったがほとんど話したことのなかった人とも会えるらしい。そしてまた「わけがわからない!」と言いながら大笑いできるのだろう。本当にわけがわからないが、楽しい新年の幕開けになりそうだ。

拾う神あれば捨てる神あり

「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉がある。
件の同級生が「拾う神」だとしても、ことに仕事やお金の神様からは「見捨てられる」場面も多い一年だった。

一定の売上を見込んでいたプロジェクトの中断、家族の看病や介護による稼働時間の制限、そして営業の不振に慢性的な単価の低迷、そして生成AIという黒船もやって来て、わが年収は社会人になってから最低水準になる模様だ。年末になって来期への希望の光とも言える動きも出てきているので、経済的な意味では2023年が「底」だった、と信じることにする。それにしても、確定申告をすると落ち込むのだろうな。30代男性として、思うことはたくさんある。この一年は険しい表情になる時間の長い、シビアな時期だったことは間違いない。

笑う門には

会計ソフトを通じて2023年を振り返ると気が滅入ってしまうのだが、ではフリーランスのライターとして、手掛けてきた原稿や取材ノートを振り返ると、決して暗い気持ちにはならないことに気づく。
毎月のように嬉しい出会いに恵まれて、取材では立場の違いを超えて笑い合える場面も多かった。アポの時間まで暗鬱としていたとしても、インタビューの後にはいつも気が晴れて、自分の職業選択は間違っていなかった!と確信したことは一度や二度ではない。今のところ経済的な成功には至っていないが、何だかんだで、よく笑い、充実したライター生活を送っている。

ならば、新しい年には笑えるだけ笑ってやろうと思う。
「笑う門には福来たる」とはよく言うが、2023年は、実際のシビアさ以上に表情を歪めすぎていた。それゆえに、本当ならば来ても良いはずの福にも気を遣われて、立ち去られてしまったのではないかと思う。笑える時はちゃんと笑って、関わってくれる人たちをもっと楽しい気持ちにしたいものだ。経済的な云々の話をするのは、その後でもいい。

いや、そんな悠長なことを言っていて良いかと言えば……ウーム。

ともあれ、年が明ければ私が手本とする「福の神」に会える。
いっぱい笑って新年の幕を開けようではないか。

さて、大みそかの午後6時、仙台は雨。
どうなることやら。




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