ファラリスの雄牛、一部地域で合法化。米国製鉄業界に波紋 (7/15の日記)
最後の日記を書いてから12日が経過した。いま夜の10時なのであと2時間ほどで13日になる。前回が三度目の更新だったので綺麗な三日坊主だ。いま四度目の日記を書いているので、坊主に少しづつ毛が生えてきている。
したがって坊主は消えゆく。仏の顔も三度まで。四度も日記をつければそれは立派な継続だ。ざまあみろボケ坊主が。——いや、仏と坊主は厳密には別物だ。シルバニアファミリーと野生のヒグマくらい違う。シルバニアとペンシルべニアくらい違う。タクシーとタクシードライバーくらい違う。おおまかには同じジャンルだが、一緒にして困るのは我々の方だ。血が流れ、最悪の場合は命を落とす。——いや、仏も坊主も殺人はしない気がするが。まあいいか。
暴力について
「殺人」や「暗殺」という言葉にすぐ逃げてしまう。悪い癖だ。もっと言えば実力不足である。いや誰がやねん殺すぞカスがよ。こういうのです。
言葉に困ったときにも不適切な表現をすれば、取り急ぎ己が凡人であるという残酷な事実から逃げられる気がする。もちろん「気がする」だけで実際はそんなことない。これこそ凡夫の脊髄反射である。ちなみに「凡夫」は仏教用語でもあり、"煩悩に支配されて生きる知恵を持たない者" を指す。苦しい。助けてくれ。しかし残念ながら坊主はもういない。僕がいま四日目の日記を書いているからだ。
話を暴力に戻そう。いま、暴力が再び冗談ではなくなってきている。先日もペンシルベニア州で大声だけが取り柄のジジイが銃殺されかけたらしい。
僕が暴力表現 に逃げてしまう理由はおそらく、それが「不可侵の非現実」だからだ。暴力が日常的にある世界で言い放つ「殺す」にそれほど面白味はない。たとえば「ファラリスの雄牛」はちょっと面白い。見たことないから。僕は僕なりに世界平和を望んでいる。冗談のレパートリーが減ると困るからだ。
7月4日 月曜日・海の日
以下、取り急ぎ箇条書き。
海の日。もちろん海には行ってない。読者の皆様は千田に対して「こんなにダラダラと文章を書くような人間はさぞ逆張りして海なんか嫌いなんだろう」と想像しているだろうが、残念ながら千田の気持ちはアッパーアッパーの上海ハニー。俄然海には興味あるよ。行ったことはない。期待を裏切りきれずに申し訳ない。
海ねえ。潮風を身体で遮りながら読書とかしてみたいけど、この家にチワワ以外のクルマは無いから。
犬の病院
犬は心臓が年相応に悪いので、毎月病院に行ってクスリを貰ってこなければならない。
かかりつけの動物病院でもうちの犬は人気だ。バズってるとかそういうの抜きにして「可愛いから」という素材の力だけでファンを獲得している。
①直近死ぬ心配のない健康状態で、②定期的に通院している——というふたつの条件を満たすペットが、この動物病院にはあまり来ないのではないかと思う。あくまで想像でしかないが多分そうなのだろう。「動物が好きで愛玩動物看護師になったが、接する犬猫は当然みな病気なので気が滅入る。盲点だった」というのはよく聞く話だ。かくいう僕もSONY製品が好きでSONY製品を壊す職人になったが、毎日大切な魂にヒビが入る音が聴こえる。
犬の話に戻ろう。
いつも通りの診察にくわえて、今日は爪切りと耳の掃除・検診をお願いする。
「キャイン」と、ソプラノの銃声みたいな短い悲鳴があがった。みな一様に驚く。膝を手術したときの痛々しい縫合部(もうそれはペットというよりほぼ食品だった)には何の関心も払わなかったくせに、耳の異物に嫌がって鳴くだなんて。鳴く、というか泣いていた。比喩ではなく本当に目から涙が出ていた。獣医の先生曰く「そういう子もいますよ」とのこと。「なにを鳴いてんのあんた、外耳炎も無いねんから大丈夫やがな」とも。健康そうでなによりである。
嘘みたいにピンク色のバービー公式みたいな錠剤をもらって帰宅。まだ外は暑いので抱いて帰る。黒いTシャツが白い毛で台無しになる。
それ以前の日々
確実に月日が流れているのだから、確実に何かしらが起こっているはずだが、昨日以前の出来事が海馬のどこを探しても何も見当たらない。
以前も似たようなことを書いたが、書かなければ日常は無くなってしまうに等しいのかもしれない。まだ半信半疑——というか書くのが面倒だから疑いたいだけ——だが、やはり日記という行為には価値があるみたいだ。
この行を書いている時点で、日を跨ぎ24時31分。いったん寝ます。また。
👀 そのほかの千田 👀
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