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オフェーリアの水面、ラスコーリニコフの炎上。

こんにちは。


さてさて、今回も…

シェイクスピア作品。
ハムレットのオフェーリアに焦点を当てつつ…

もう1人!

ドストエフスキー作品。
罪と罰のラスコーリニコフ。

を、絡めて書いていこうと思います。


パッと思いついたんですよね。
「この二人…共通点多くない?」と。


私なりに、何となく纏めてみましたが

結構、考えさせられるモノがあると思うので
最後まで読んでいただければ幸いです。

↓↓↓

―オフェーリアの水面・
ラスコーリニコフの炎上―


と、いうタイトルに基づき
本記事では私目線で深く掘り下げつつ
哲学、心理学、現代社会、愛…様々な
問題を提唱しつつ

―オフェーリアとラスコーリニコフ―

と、いう二人の共通点。
そして対照性を書いていきます。


━オフェーリアの水面・
ラスコーリニコフの炎上━

シェイクスピアの「ハムレット」に登場する女性
オフェーリア。

フョードル・ドストエフスキーの小説「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフ。


この二つの作品人物を
水面や炎というモチーフを通じて
作品の背景
登場人物の内面、心理状態等を
表現させていただきます。


オフェーリアとラスコーリニコフという
非常に各々繊細過ぎる
人物描写にも触れつつ

「ハムレット」

「罪と罰」

この、二大の素晴らしい
文学の魅力にも迫っていけたらなぁと。


―オフェーリアの水面・
ラスコーリニコフの炎上―


このタイトルは
二人のキャラクターが経験する
内面の葛藤と
外部の世界との関係を
象徴的に表現してみました。


二人の物語、人物像。

先ず、共通・相反・類似している

【罪と罰】【愛と破壊】【救済と死】

この三つのワードを引っさげ
二人の結末がどのように?
何故にして?
異なってしまったか―。


自身の観点と思考を巡らせながら
模索し、掘り下げ
哲学的、心理学的、現代社会学的…
多角面から見れるように。と、
描きましたので
皆様も各々思考を巡らせていただけると
思います。




――序論――

愛と罪、愛と破壊、救済、
そして死―。

これらは
シェイクスピア
『ハムレット』に登場する
オフェーリアと言う一人の女性人物と

ドストエフスキー
『罪と罰』に登場する
ラスコーリニコフと言う一人の少年の物語に
共通する三つのテーマである。


三つのテーマの中
この二人のキャラクターが
歩んだ道の対照性を
哲学的観点から分析
現代社会問題と愛―という
現実問題や思想を絡めながら
書き進めます。


――オフェーリアの水面――

オフェーリアの物語は
彼女の「純粋」さと
その「純粋」さが
ガラガラと静かに
破壊される過程を反映しています。

彼女の愛は「ハムレット」への
深い愛情と忠誠心に根ざしていたが
彼の狂気と父の死によって
彼女自身も「狂気」へと追い込まれる―。

「オフェーリアの水面」は
彼女の内面の憂鬱と儚さ
そして
彼女が抱える狂気の深さを表している。


――ラスコーリニコフの炎上――

一方で
ラスコーリニコフの物語は
彼の罪と救済間での
内面の葛藤に由来する。

彼は理想主義的な
信念に基づいて罪を犯すが
その行動は「狂気」へと繋がり
彼の内面の苦悩と罪悪感を
日に日に生み出していく。

しかし、「ソーニャ」と言う
娼婦からの「無償の愛」により
(信仰心も有)
彼は自己の罪を認め
贖罪の道を歩むことを選ぶ―。

「ラスコーリニコフの炎上」は
人間がどのようにして
自らの過ちを乗り越え
新たな道を歩むことができるか?を
示唆している。


――結論――

オフェーリアと
ラスコーリニコフの物語は
愛と罪、破壊と救済、そして死。
と、いう共通の
大きな三大テーマを持ちながらも
二人の最期が大きく違い、異なってしまう。

二人のこの対照性は
愛する人との関係が
個人の選択と結末に
どれ程違う影響を
与えるかを示している。

本文は二つの文学が探る
人間の本質の
多面性を反映させております。


この概要を基に
更に発展させていきます。



オフェーリアとラスコーリニコフ。
二人の共通した心理的な純粋さ。

次は彼らが歩んだ道の違いに
焦点を当てつつ、現代社会問題と愛。
と、いう身近に潜む
哲学的、心理学的、社会的な問題が
現代にどのように
適用されるかを探ります。

―オフェーリアの水面・
ラスコーリニコフの炎上―

何よりこのテーマで
二人のキャラクターが
どこで異なる道を歩むことになったのかを
掘り下げる事になってしまうのかは
文学と哲学の交差点において
必ずしも衝突する点ですね。


―罪と罰、愛と破壊、救済と死―

と、いう普遍的で大きな
三つのテーマ、問題を通じ
二人の結末がどのように異なったのかを
以下で提唱していきます。


――オフェーリアの水面――

彼女の悲劇という物は
外部の力によって
純粋な心がどのように破壊されるかを
象徴しています。

彼女の結末は
愛する人との関係が個人の運命に与える
影響の多大を示しており

「純粋な心が、いかに外部の力によって
破壊されるか。」を
彼女自身が体現しておりますね。

まさに静かな狂気と破壊。


――ラスコーリニコフの炎上――

ラスコーリニコフの物語は
先述の通り
人間がどのようにして、
自らの過ちを乗り越え、
新たな道を歩むことができるかを
示しており
その過程での儚さと純粋さが
試され変化していく過程を示唆しています。

こちらは無償の愛と救済。


――結末の違い――

こうして
オフェーリアとラスコーリニコフの
結末が異なってしまうのは

「彼らが置かれた状況」
「彼らを取り巻く人々の反応の違い」
「愛した人の違い」等という
外的要因じゃないでしょうか?

オフェーリアは
愛する人によって破壊され、
社会からの救済の手が差し伸べられる事無く
彼女の純粋さは破壊されてしまいました…。

一方、ラスコーリニコフは
ソーニャという人物の
「無償の愛」と「支え」によって
罪の自覚と救済の道を歩みだしました。


二人について
もう少し!
更に掘り下げるには
以下の点を押さえておかないとですね。

・哲学的な視点・
人間の自由意志と運命
個人の道徳性と社会の構造
愛と責任の関係。

・現代社会問題・
現代の社会における個人の孤立
社会的支援の欠如
精神的健康への影響。

・愛の力・
愛が人間の運命に与える影響
愛する人との関係が個人の選択が
結末をどのように変化させるのか。

以上、この三点から
オフェーリアとラスコーリニコフの
結末が異なる理由、
現代社会問題を垣間見れる事が出来ますね。


しかし
結末が違うのは先程挙げた
問題だけではありません。

「二人の性別が結末に与えた影響」
も、当然考えられます。

性別は彼らが生きた時代と
社会の文脈において
彼らの運命に
大きな影響を与えた可能性は否めません。


――オフェーリアの水面――

オフェーリアは
女性としての彼女の立場が、
彼女に選択の余地を与えず、
救済の手が差し伸べられることなく、
破壊へと導いたことを示しています…。

シェイクスピアの時代には
女性はしばしば自己決定権を持たず
男性の影響下にあると見なされていました…。

オフェーリアの悲劇は
彼女が直面した選択の余地のなさ
彼女の純粋さや無垢さが
彼女自身を守ることができなかった事を
象徴してるのではないのでしょうか?


――ラスコーリニコフの炎上――

ラスコーリニコフは
男性としての彼の行動が
彼の哲学的な信念と現実の衝突を表しており
彼の内面の苦悩と罪悪感を描き出しています。
彼の救済はソーニャという女性の
無償の愛によって成し遂げられましたが…

彼自身の行動と決断が
彼の運命を形作る上で
中心的な役割を果たしています。

男性としての彼の自立性と行動力が
彼自身の救済への道を
可能にしたとも言えるのでは?とも
捉えられますね。

このように
オフェーリアとラスコーリニコフの性別。
という違いは
彼らの物語における結末に
影響を与えた重要な要素であり
それぞれの社会的な立場や期待が
彼らの運命を異なる方向に導いた。と、
考えても良いかと。


↓↓↓



―オフェーリアの炎上・
ラスコーリニコフの水面―

テーマを逆転させてみると…。

二人のキャラクターの
運命が異なる要因を
新たな視点から
また見る事が出来ます。

この逆転テーマは
通常の物語の流れを変え
彼らの内面の葛藤や
周囲の人々との関係を
異なる光で見ることを
可能にするのです。


――オフェーリアの炎上――

通常オフェーリアは
水面に浮かぶ姿で
描かれることが多いですが
もし彼女が「炎上」しているとしたら
それは彼女の内面の
女性的な情熱や怒り…

或いは
彼女を取り巻く
社会の圧力等が原因で
彼女の精神が
「燃え尽きる」現象を
引き起こしてしまうのでは
無いでしょうか?

この視点からは
オフェーリアの純粋さが
社会や取り巻く人々の
炎によって消費され
彼女の運命が破滅に向かう
過程を考える事ができます。



―ラスコーリニコフの水面―

ラスコーリニコフが
「水面」に映るとしたら
それは彼の罪の重さによって
彼の心が沈み
彼の行動が
彼自身を溺れさせる事を
意味するかもしれません。

通常、彼の行動は炎のように
破壊的であると考えられますが
水面に映る彼の姿は
彼の罪と救済の間の葛藤が
静かに苦しめる
彼の内面の苦悩を
表しているとも取れますね。

この逆転したテーマでも
オフェーリアと
ラスコーリニコフの
性別が彼らの運命に
どのように影響を与えたか…

また彼らの物語が
現代社会問題や愛のテーマと
どのように関連しているかを
考えるための
更にまた新しい
材料を持ってきてくれます。

この二人の物語が持つ
普遍的で
大きなテーマを
異なる文脈で
再解釈することを可能にし
様々な洞察を深めることが
可能になりましたね。


さてさて
如何でしたでしょうか?

オフェーリアとラスコーリニコフ。

私はどちらも好きな作品であるので
こうして改めて二人を思い
色々考えてみると

…深いです。笑

ただ
二人とも純粋故に汚れてしまうのだろうか…。
とも、思えてならないのです。

周りの手垢にやられないように
生きねばですね。

またこれをキッカケに
シェイクスピアのハムレット。
ドストエフスキーの罪と罰。

手に取ってみては如何でしょうか?

それではまた!


seeka.chiriakuta.

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