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言葉が固定化することの怖さ

違和感

不登校、毒親、虐待サバイバー、

そんなネット記事が溢れかえる世の中。

「あなたの周りにもいるかもしれません」
ヤングケアラー。

そんなCMをみた時。

違和感を感じた。
(またか)
一言で言うと、そう思った。

そんな事いまさら言ったって、私は救われない。
役所の対応が楽になるわけでもない。

「虐待」「毒親」「ヤングサバイバー」「不登校」
そういう言葉が軽く使われるようになったみたいで怖い。

例えば

「うちの親、毒親なんだよね〜」
そうやって言えるの、いいな。

「どうして保護してもらわなかったの?教育委員会とかさ、」
保護してもらえたの?誰も教えてくれなかった。

「保護されない程度だったんでしょ?大げさじゃない?」
そう、かもね。

「あぁヤングサバイバー?妹さん歳離れてるもんね」
問題はそこじゃないよ。

「普通なんてないから。」
真夏に電気が切れて1人で耐える辛さ知ってる?

「日本は恵まれてるから」
そう、だよね。だから耐えなきゃいけないんだよね。

「不登校ね、まぁ学校行かなくても大丈夫だよ」
私は行きたくなかったなんて言ってないよ。

怖さ

言葉に包まれた優しさが、偏見が、私は怖い。

ひとまとめにして、その言葉で制度の波に乗れたらいいけど、乗れなかったら溺れ続けてしまう。

溺れた後で慌てて、悲しむ。
私はその感情がわからない。
助けを求めなかった事を、助ける手を掴まなかった事を責める。
多分そんな気力なんて無かったんだよ。信頼なんて出来ないよね。


同じ言葉を使っているのに、認識が同じじゃないことが分かると、他人は露骨に黒い感情を出す。

言葉の枠に収まらない私が悪いみたいで、でも正確に言わないと責められて。

興味本位で関わらないで。
中途半端に手を貸さないで。

そうやって壁を積み上げた後に、
何が残るのか、何かが残るのか、ずっと考えてた。

考えるのを止めた。

言葉って難しいから、誰も、自分も傷つけないように黙っていたい。
Sena.

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