見出し画像

豆腐のハートを受け入れる。

近年、繊細で感受性が強く、人一倍敏感な人を指す、HSP(Highly Sensitive Person)という概念が認知されつつある。人口の15-20パーセント、約5人に1人がHSPだと言われている。ときどき農作業中にpodcastを聴くのだが、先日玉ねぎ畑の草むしり中に、なんとなく『わたなべ夫婦のふたりごと』を初めて聴いてみた。最近よく耳にするHSPについて話す回で、個人的にこれについて興味があったからだ。

HSPってなに?

上述したように、「とても敏感な人」(Highly Sensitive Person)という意味。病気などではなく、気質を表す心理学の言葉らしい。ある心療クリニックのウェブサイトによると、HSPの人は以下のような特徴がある。

①深く情報を処理する

場や人の空気を深く読み取る能力に長けているが、情報を読み取りすぎるために必要以上に疲れてしまう。

②過剰に刺激を受けやすい

HSPの人は外部からの刺激に敏感なため、人混みや物音・光、食べ物の味やにおい、身につけるもの、気候の変化、人が発するエネルギー等、五感で受ける刺激に対して過度に反応する傾向がある。さらに、相手の感情や周りの雰囲気、気候の変化や電波(電磁波)、目に見えないエネルギー(人が発するものも含む)に対しても敏感に反応しやすいとされている。

③共感しやすい

親や自分の周りの人の感情を読み取り、自分を合わせることが多いのも特徴の一つである。また小説やドラマなどで、作品に強く感情移入することもある。

④心の境界線が薄い・もろい

心の境界線とは、自分のテリトリーもしくは自分が自分であるためのバリアのようなもの。HSPの人はこの心の境界線が薄くてもろいため、容易に相手からの影響を受けてしまう。その性質は、人の気持ちを敏感に感じ取り、深く共感する一方、相手に対して過剰に同調したり、相手の気分や考えに引きずられるなど、本音がわからずに自分を見失ってしまうことがある。

⑤疲れやすい

HSPの人は刺激に敏感であるがゆえ、疲れやすいという特徴を持つ。いつも周りに気を遣っているため、楽しいことであっても疲れてしまう傾向がある。疲れやすいのは「何かをしている」時に限らない。HSPの人は普段から無意識に周りの刺激をアンテナのように拾い集めているため、人混みにいる時や、周りの人のネガティブな感情に巻き込まれている時にも大きく消耗してしまう。

⑥自己否定が強い

HSPの人はその繊細さから、対人関係においてあまり相手を責めることをしない。良心的で優しく、相手のことを優先する傾向がある。その半面、相手のことを気にするあまりに些細なことでも「自分が悪いのではないか」と自分を責め悪い方向に考えてしまう傾向もある。
ネガティブ思考で自分に自信がないため、周りからの怒りの標的にされることも多く、自分の本音を隠してしまうことから人との関わりが苦手という特徴がある。


以上、6つがHSPの主な特徴である。「自分もこういうときあるな」と思う人は案外多いのではないか。もちろん、誰しも生きている中で誰かに強く共感したり、人の目が気になったり、疲れやすいときがあったり、自分に自信が無くなったり、ネガティブになってしまったりすることはよくあると思う。
しかし、HSPはあくまでも生まれつきのもので、そのときの気分や状態で起こるそれとは違うことを言っておきたい。「治った」「変わった」ということはまずないのである。

人よりも感度の高いアンテナを常に張っている状態なので、他人の小さな仕草や言動でその人の気持ちを汲み取ることができたり、色々なものに深く感動できたりするが、反面さまざまなことを敏感に感じ取り過ぎてストレスの要因になるということだった。なるほど〜。

また、HSPの人が見ている世界と、HSPではない人が見ている世界は全く違うそうだ。もちろん、約8割の人はこの性質にはあてはまらないのだから、HSPの特性は周りから共感を得ることが難しいらしい。HSPでない人たちとの差に自己嫌悪を感じることや、まわりに合わせようと無理をして生きづらさを感じやすくなる性質ともいえる。またまた、なるほど〜。


わたしの場合は?

わたしは、人のネガティブな気持ちに過敏に反応してしまったり、人が苦しい気持ちのときに、その人に深く同情し、その人自身になりきってしまったり、自分と重ねてしまったりして、同じように傷ついてしまうことが昔からよくあった。先日も伊藤詩織さんの『black box』を読み、『Japan’s secret shame』を観たあとは詩織さんに深く同情し、自身も被害にあったかのような辛く悲しい感情が芽生えた。姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』、谺雄二さん『知らなかったあなたへ-ハンセン病訴訟までの長い旅-』、絵画や写真など、さまざまな作品に触れても同様に感じるし、そのあと数日間引きずることもざらにある。これは「他人事」だから、どうでもいいやという感覚がない。自分が直接的な当事者ではないような社会問題でさえも「自分事」として受け止めて、悩んでしまう。

他にも、周りの人の気分が気になる。少しでもいつもと違ったり、元気がないかもと感じたりすると、心配でたまらなくなって、昼夜そのことばかり考えてしまう。相手のため息や、貧乏ゆすり、目を見て離さないときなど、「わたし、何かした?」「嫌われているのでは?」と悩みまくる。脳内でひとり大反省会を繰り広げる。

周りの人の言動が気になるくせに集団や団体行動が苦手。人数が増えれば増えるほどもっと苦手。学校で、クラスの女子グループに所属しなければならない雰囲気がすっごく苦手だった。旅行は絶対ひとり派。待ち合わせは現地集合派。

感受性が豊かで共感力が高い。海や月など、綺麗な景色を見ると涙が出ることもある。人だけではなく、自然(海、森、木など)や動物(猫や家畜の豚、鶏など)、小説や映画の中の架空のキャラクターにさえ、自分を重ねて深く同情し悲しくなる。例えば、家畜の豚を世話しているときは、自分がその豚になって、豚小屋に入っているような感覚になってしまうのだ。

また、他人に言われた些細なことや、他人からどう見られるかを過度に気にしてしまい、自己肯定感が凄まじく低い(これまでの記事の中に幼少期からのさまざまな「気にしい」エピソードがある)。

テーマパーク、遊園地、ショッピングセンター、動物園、イルミネーションなど、人が多く刺激の多いところに行くのが好きではない。人工的に明るいところや部屋の中の蛍光灯の光が特に苦手で、薄暗いところが安心する(今も、ウッドデッキで満月の月明かりの下でこれを書いている)。時計の針の音、ドアの閉まる音といった生活音、携帯電話の着信音、味の濃いもの、強い柔軟剤の匂いなども苦手で、ドキッとしたりイライラしたりしてしまう。

季節の変わり目、気候や環境の変化に敏感で、体調を崩しやすい。頭痛や腹痛、ひどいときは吐いたりもする。疲れやストレスが体に表れやすい。特に冬場になると、気分が落ち込みやすい「冬季うつ」傾向も見られる。

これまで、自分はうつ病や精神的な疾患があるのではないかと感じる場面も多々あった。しかし、うつ病のように自殺願望や睡眠障害はないし、病気の発症となる何か特別なきっかけも思い当たらない。辛いのは、悲しい人の気持ちに引っ張られて、なぜか自分まで落ち込んでしまい、その状態からなかなか抜け出せないこと。それが続いて具合が悪くなることもある。「生きづらい」。小さいときからそう思ってきた。


結構当てはまっているけれど、、、

しかし、わたしの場合はただのHSPではないらしい。一般的なHSPは五感で受ける刺激に過剰に反応したり、人見知りだったり引っ込み思案だったりするらしいのだが、わたしにはあまり当てはまらないこともある。わたしは今挙げたそれらの刺激にそこまで反応することもないし、新しい経験や新しい人に出会うこと、パーティーなどの場も大好きだ。小中学校の通知表には、たいてい「明るくて社交的」だとよく書かれていた。

そのため、これまでHSP診断をしてもいまいちピンとこなかった。しかし今回poscastでわたなべ夫婦のゆみさんの話を聴いて、「この人、わたしみたい!」とはっきり感じた。それはHSPの中でも、HSS(High Sensation Seeking=刺激探求型)型というものがあることだ。繊細で敏感で感受性の強さを持ちつつも、それと一見相いれない「好奇心旺盛さ」「刺激を欲しがる」「スリルを楽しむ」という衝動性特性を同時に持ち合わせている。向上心が高く、行動力もある。新しいことに興味関心があり、新たな情報を収集するために検索したり、調べたり、外に出て人と関わる人がそれにあたるそうだ。HSS型HSPは、人口の4〜6パーセントほどで、表面的には明るいが、人にどう思われるかが心配で自分の本心をなかなか話せないので、周りの人からは「明るい人」というイメージが付き、HSPだということがあまり理解されにくい。そのため他人に「わたしはHSPです」と言っても、信じてもらえないことも多いらしい。


わたしは、自他共に認める極度の飽き性。刺激を求めて新しいことをはじめ、それが上達するまでの過程を楽しむ。移り気で多趣味。特に「エクストリームスポーツ」と呼ばれるスノーボード、スケートボード、サーフィン、ボルダリングなどのスリリングな遊びにこれまで夢中になってきた。しかしそのような趣味も上達してきたら興味がなくなってくる。仕事面では、ルーティンワークや単純作業が苦手(だから草むしり中にpodcastを聴いていたのかも!)で、どんどん転職する。仕事に慣れるまでが楽しく、仕事に慣れてきたら刺激が足りなくて飽きるからだ。同様に住む場所も固定したくない。引越しが好きで、将来いろいろなところに住みたいと思っている。
また、無駄を省きたいというのも、HSS型に代表される特性のひとつである。だらだらと長い会議や、興味のないトピックや、意味がないと判断した勉強会などは非常に退屈でイライラすることもしょっちゅうだ。
パーティーや飲み会は大好きだが、2次会や3次会に行ったりして最後まで残ることはまずないし、そのような場で大人数でいるときは一旦ひとりになって休憩する時間が絶対に必要。何を体験したか、というよりも、その経験から何を学んだか、に重きをおくため、ひとりで内省する時間を重視している。
ワイワイした会話、世間話よりも、心の話、哲学的な話、本質的な話が好き。前者の話のときはけっこう上の空。年上の友人が多い。友達はたくさんいるが、本当に気の合う人、信頼出来る人は少ない。というか、ほぼいない。

今挙げたものはわたし自身の特性であり、同時に全てHSS型HSPの特徴である。

「これって、わたしじゃん!」
HSP診断やチェックリストで、なんとなくHSPっぽいとは思っていたけれど、イマイチ腑に落ちなかったのは、こういうことだったのだ。目の前の霧が晴れて視界がクリアになっていく感覚。これまでの自分の感情や考え方、子ども時代の言動などに合点がいく瞬間だった。

良い意味での「諦め」

HSPは、環境や性格などの後天的なものではなく、先天的な気質、生まれ持ったもののため、治すものではないし、むしろ病気ではないので絶対に治らないそうだ。ずっと悩んできたが、自分が「HSP」だと認めることで、いくらか気持ちが楽になった気がする。小さい頃から周りと違うのではないかと劣等感があり、「他のみんなのようになりたい」、表には出にくいけれど心の中の暗く弱い自分を受け入れられず、「ポジティブになりたい」、「変わらなくちゃ」とずっと思ってきた。こんな弱い自分が恥ずかしく、自分を好きになれない自分が嫌で、この気持ちを誰にも知られたくないとも。しかし今は、これは気質なんだから、変わることができない。変えようとしなくても良いとわかった。いまは共感力が高いというこの「個性」のある自分をもっと受け入れられたらと思っている。

わたしたちは暗いところやネガティブなことに、できることなら目を背けたい生きものだと思う。でも、暗いと思っていたことは、実は暗くなかったり、暗いところだけではなかったりするかもしれない。暗いところを無視したり、無くそうとしたりせず、それが自分だと受け入れたい。


今回のように自分がなんらかのカテゴリーにぴったりと当てはまったことによって、自分は何者なのかが知れたような感覚を得られ、なんとなくホッとした。とはいえ、まだ自分がHSPだと分からずに悩んでいる人も多くいると思う。それに、わかったからと言って、受け入れられないケースも多くある。ただ、傷つきやすい敏感な人がたくさんいることをみんなが認識して、いろいろな考え方がもう少し受け入れられられれば、みんなが生きやすい世の中になっていくのではないだろうか。

今後もこの敏感な個性を活かして、周りの人に寄り添っていきたい。もし同じように悩んでいる人に出会ったら、HSPのことをシェアすることもできる。それが誰かの役に立てるかもしれない。ガラスのハートより脆い、この豆腐のハートを持った自分を愛し、ゆっくりと受け入れられる日が来ると良いな、とぼんやりと思った。

ちゃんと伝わっただろうか。心配、、、(笑)


P.S. わたしが読んでいていちばん共感したHSS型HSPに関する記事をのせておきます。ご参考までに!

もういっちょP.S. 子どもの時から、悲しかったり辛かったりした時にやっていたおまじない。布団にくるまるか暗いところに行って、目を瞑り、心臓らへんに手を当てて、「大丈夫、大丈夫」と唱えながらポンポンする。これ、効きます!

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?