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映画’gifted‘の解説 by 米ギフテッド研究者。

2017年11月中旬、National Association for Gifted Children(NAGC)の恒例のannual conventionが開催されました。

このコンベンションでは、映画『ギフテッド』の脚本家トム・フリン氏がスペシャル・ゲストとして招かれており、フリン氏の『ギフテッド』にまつわる話&裏話を、ギフテッド研究者の大御所かつ仲間うちではレジェンドとも呼ばれている心理学者シルビア・リム教授が、対談形式で、ギフテッドの専門家の立場から解析されていました。1時間半弱の長い対談でしたが、リム教授の分析、解説は非常に興味深いものでした。時間のある方は、英語ですが、ぜひ!(対談は動画の10.00頃から始まります。)

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フリン氏とリム教授の対談のFB動画

ギフテッドとはいっても個人の性格や特性、得手不得手、家庭環境や文化的背景など千差万別であるため「ギフテッドにはこれだ!」という育て方があるわけではありません。社交的なギフテッドもいれば内向的なギフテッドもいるし、絵に描いたように優秀なギフテッドもいれば、学校で落ちこぼれてしまっているギフテッドもいます。「ギフテッドには絶対にこれ!」と決めつけてしまうことなく、その個人に適切な(教育)環境を柔軟に与えることが(その子と周囲の)精神的安定につながり、そしていずれは幸せなり成功なりにつながっていくように思います。対談のなかでリム教授が指摘され、改めて「大事だな」と感じた点を以下に幾つか挙げてみました。映画を観たことが大前提となりますこと あらかじめご了承ください。


【映画『ギフテッド』におけるリム教授のポイント】

メアリーは数学の超ギフテッド(Profoundly Gifted / PG)であるが、ギフテッドには “マイルドにギフテッド” からメアリーのように “超ギフテッド” まで、様々存在している。

メアリーのようなPGは、ギフテッド人口のなかでも数少ないが、存在する。

メアリーは数学のギフテッドだが、ギフテッドのなかには、数学や ほか理系分野ではなく、文学のギフテッドや芸術のギフテッドなども同等に存在している。(映画でメアリーを数学のギフテッドにしたのは、フリン氏の家族のなかに数学のprodigyがいるため。)

メアリーにも顕著に見られるように、ギフテッドは不均衡に成長していくのが特徴的だ。例えばスクールバスのなかで いじめっ子に立ち向かい容赦なく怪我をさせてしまう箇所など、正義感が強い部分もさることながら、知的な部分が大学生以上に秀でているのに対して精神的に未熟というか、そこは実年齢相応であったりする。

映画ではメアリーの叔父フランクと祖母イブリンが “メアリーの育て方” について対立するが、どちらの主張も間違ってはいない。

しかし、フランク、イブリン、どちらも極端に突っ走っており、実際の話であったらどちらの育て方も微妙である。

フランクも(メアリーの母である姉の死のトラウマから)「メアリーは子どもらしく普通に育てたい」と頑なになり過ぎているが、結局のところホームスクールで(教材を与えたのか実際に求められるまま教えたのかは不明だが)メアリーが高度な微分積分まで習得できる環境を整えたのはフランク自身であり、そこにフランクの葛藤が見られる。

メアリーのように “学びたい子ども” のニーズを「子どもらしく育てたい」「普通に育てたい」からといった理由で無視する行為は、その子ども本人にストレスがかかるため、絶対にしてはいけない。同年齢の子達より速く深く習得していくのがメアリーにとっての “普通” なのだから。

ギフテッドは高い能力を備え持って生まれてきた故に放置しておいても独りで貪欲に学んで才能を開花させるから大丈夫、というのは都市伝説である。突き進みたい関心分野をすでに持っているギフテッドより、関心事が多過ぎて揺れ動いているギフテッドのほうが実際多く、親や教師、指導者の適切なサポートやアドボカシーはマストである。

メアリーが小学校で退屈していたように、多くの場合、小・中学生のギフテッドにとって学校で受ける学年レベルの勉強は簡単である。ギフテッドにチャレンジさせる学習環境を与えなければ、努力の大切さや学習習慣がいつまでたっても身につかない。そんな子達が高校や大学に入って初めて壁にぶちあたると、強烈なショックを受け、鬱になったりドロップアウトしていく。

この映画のなかでのベストな教育オプションは、メアリーの学校が勧め、フランクが拒否したギフテッド・スクールにメアリーを通わせることだった。ギフテッド・スクールは不均衡に成長していくギフテッドのアカデミック・ニーズ、ソーシャル&エモーショナル・ニーズをきちんと理解している。フランクが望んでいた “同年代の友達ができる環境” もメアリーに与えることができた。不均衡に成長していくギフテッドの、いずれ巣立つときのための最適なソーシャル・トレーニングの場ともなり得た。ギフテッド・スクールはそのために存在している。

映画のなかで、最終的にはメアリーのアカデミック・ニーズを地元の大学で満たし、ソーシャル&エモーショナル・ニーズはガールスカウトで満たすという選択をしたのは良かった。メアリーと家族にとっての最適な選択だったのだろう。ギフテッドのなかには、ギフテッド・スクールやギフテッド・プログラムで学ぶという選択以外に、メアリーと同じようにアカデミック・ニーズは大学で、ソーシャル・ニーズは課外活動で満たすという “ギフテッド教育” を選んでいる子達も多数いる。メアリーが強く希望していたフランクとの生活を維持することができたのも何より。

才能開花に執着するイブリンも、やはり数学のPGだった娘(メアリーの母)を死に追いやってしまったほど極端だが、フランクのように「普通の子どもらしく育てたい」とメアリーの才能を極端に否定する育て方も(そのような家族に実際何度も遭遇してきたが)ギフテッドの子達を追い詰めてしまいかねない。


〜シルビア・リム教授と脚本家トム・フリン氏との対談より抜粋@NAGC2017〜

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