股関節矯正の成り立ちと、私自身の改善された症状
磯谷公義氏について
賞どころか弾圧
『私はノーベル賞をいくつもらっても足りない。』磯谷式力学療法の創始者である磯谷公良氏は、生前、ご自身の著書でこのようなことを述べておられます。
『ノーベル賞はひとつの発見に対してひとつの賞をもらうのだが、私の股関節転位の原理の発見は、あらゆる症状の改善に繋がる』接骨院を継いで仕事をされていた氏は、昭和27年、京都医師会から「医業類似行為」と糾弾され2年の営業停止を余儀なくされたそうです。
その他様々な罵倒や弾圧があり、先祖伝来の土地を捨て東京に移住し磯谷療法の普及に努められました。
『股関節転位の総体に及ぼす影響』と題し症例と治療法を京都新聞が発表したのが事の発端だそうですが、当時、その内容が京都医大の教授などに、『暴論、現代医学としては価値なし』と決め付けられただけでなく、3ヶ月後には行政処分にまで発展してしまったらしいのです。
私は中野にある礒谷式力学療法本部でこの療法を学んでいる時に、磯谷先生が会場で公演されている映像を見せて頂いたことがあるのですが、聴衆を前に高揚されたお顔と自己の使命に殉じたような眼差しを、今でもよく覚えています。
股関節転位の原理の発見
氏は接骨医として働き出してまもなく、股関節転位と小児麻痺や半身不随などの病気との関連性に気が付き、やがて、股関節転位の原理を発見されました。
この発見は、礒谷先生が言うように脊柱の異常転位の原因を仙腸関節の異常にあるとしているカイロプラクティックより更に1,2段階遡り身体を歪ませている根本原因そのものを捉えています。
各臓器や組織の機能を調節している脊髄神経を納めている背柱の狂い、ひいては全身に波及したゆがみを正すために、骨盤を支えている股関節の角度にだけ着目をして、ただひたすらに股関節転位・左右の脚長差を揃えていく・・・、
これが先生の編み出された磯谷療法であるわけなのです。
私と磯谷療法との出会い
その医師会に糾弾された時から50年の歳月を経て、幸運にもこの療法に巡り会えた私は幼少からの様々な症状を抱えていました。
身体の過度の歪み、歪みに起因する諸々の症状、常に胃が重く胃痙攣が頻発し子供の頃からの持病である息の苦しさが極まりアトピーの症状も出ていていわば満身創痍といった状態で磯谷の門を叩いたのですが、その胸にあったのは全部自分で治す意外に道はないということだけでした。
また、この療法が大方の症状を取り除いてくれるだろうとも確信していました。
私は左脚が長く、礒谷療法による左脚が長い場合の体質や症状と基本的に一致していたからです。
改善された症状
しかし実際に、股関節矯正に取り組み始めて長年どうすることもできなかった症状が軒並み改善されて行ったのには正直驚きました。
その時点で抱えていた症状で、股関節矯正により治っていった症状を改めて挙げてみたいと思います。
私は左脚が長く、両股関節が外旋・外転した股関節タイプ(L3)でした。
胃痙攣・胃弱
胃が弱く10代の頃から胃薬を飲んでいました。宿命だと諦めていましたがその頃、胃痙攣が度々頻発するようになり病院にかかって受診する都度胃カメラを飲み、二度目の病院では綺麗な胃だと言われ写真も見せられてもうボロボロでした。
生理痛
高校生の頃から薬なしではしのげず酷くなる一方
アレルギー性鼻炎
これも幼少の頃からほとんど一年中悩まされていました。
肩こり、腰痛、眼精疲労、頸肩腕症候群
小学校3,4年から、右半身のこりに悩まされ、特に右の肩、えぐり取りたいほどの右眼精疲労、力学的ストレスから寝相が異様に悪く暴れまわる感じで起きた時には上下逆さに寝てたりしました。中学の時にはピアノなどを弾いていても右の腕や指が自由にならず限界を感じました。その状態が改善されないまま悪化して大人になり、当然のごとく腰痛も出て、右の頸肩腕症候群となり右の腕がしびれ冷えて楽器どころではなくなっていました。
これらの症状は矯正をはじめてほんの2、3ヶ月位、脚長差が揃うか揃わないか位で改善というより解消してしまった症状です。以後、ほとんど悩まされることもなく現在に至っています。
あと、耳鳴り、肋間神経痛はもう少し、時間がかかりました。
耳鳴り
右の耳鳴りもまた、股関節矯正で完治した症状です。これは完治するまでに1年ほど時間がかかりました。
肋間神経痛
これも股関節矯正により出なくなった症状と言えると思います。針で刺されたような急激に来る鋭い痛みから、今はもう解放されています。
左脚が長いために、O脚であったために、その事との関連にも気づかないままで長いこと抱えてきた困難を思うと、もう少し早くこの療法に出会えなかったものかと本当に悔やまれました。
それでも、アトピーや息の苦しさなど呼吸器系の症状だけは完全には治らなかったので、それで私はより熱心に矯正に取り組むようになっていきました。
両脚の長さを完全に揃える。重心の比重が右にも左にもかからない骨盤が前弯も後弯もしないバランスを達成する。
肺が力学的な圧迫から完全に開放されるほど脊柱が理想的な湾曲度を回復したとしたらどうなのだろう。
自他共に矯正していく中で、左右の脚長差、身体左右・前後・上下・・・と、身体の中でそれぞれに対をなすバランスにただひたすら気を配る毎日でした。
こういう日々を送っているとやがては、夜と昼、左脳と右脳、男と女、といった森羅万象すべてに見て取れる対極性に気付くようになるのは必然です。
相反するそれぞれにある何か一貫した特質に思いを馳せるように導かれて行くのは当然の成行きでした。
陰陽というキーワード
ようやく、陰陽という重要なキーワードが空から降りるように入ってきたのです。
それをはっきりと認識したのは、桜沢如一という人の提唱したマクロビオティックという食事療法にたどり着いた時のことでした。
桜沢如一も、私にとってのキーパーソンのひとりです。
東洋医学の基本原理である陰陽の概念によってすべての食べ物を独自に分類したこの療法を実行したおかげで、物心ついた時には既にあった呼吸器系の疾患(息の苦しさとアトピー)が、食べ物アレルギーは残しながら通常は出ないまでに治まったのですから。
冷えや頻尿といった泌尿器系の症状も次第に改善されていきました。
また、マクロビオティックは、身体的な症状だけでなく陰という極性に傾いた心の悲嘆をぬぐい去る精神的な安定を与えてくれました。
陰性な状態から陽性とは言わないまでも、体質も気質もほぼ中庸的なカラッとした状態にまで自分自身をひきあげることにはじめて成功したのです。
それは礒谷療法によって心身の土台である股関節を矯正し、身体左右のバランスを整えた事でここまでの改善が可能になったのは言うまでもありません。
今、思えば、これらの症状は、ステロイドや薬剤などの子供の頃からの体内への蓄積、水分や糖分が多く陰性に偏った食生活、自然の理をわきまえない間違った現代の食生活がもたらしたものでした。
東洋医学では病を、陰陽の均衡が崩れた結果と捉えています。
礒谷先生の発見された股関節矯正は、東洋医学の根幹である陰陽の法則を骨格系にそのまま応用したかのようです。
陰陽の理は、はるか太古の昔、伏義(ふぎ)という人(神霊)に発見されたという以前から存在しており、陰陽相和して万物が生成されます。人の身体の歪みはこの陰陽のエネルギーバランスの顕れなのです。
骨格系という最終的な段階において因果関係の根本をつきとめ、的確な判断においてバランスを回復できるこの療法が、本来なら賞をいくつも受けるべきものであると、先生が自負されたのも無理もない話ではないでしょうか。
左脚が長い場合の症状(消化器系、泌尿器系、生殖器系)と同時に右脚の長い場合の症状である呼吸器系の症状がとても根深い身体、複雑な股関節の型、気質に生まれついたために私も何処までもしつこく食い下がり、いつしかこの世に顕れた神の理を必死で追いかけていたのです。
今考えると、礒谷療法本部で股関節矯正に取り組み始めたばかりの頃、在りし日の講演で高揚された先生のお顔に私が見たものは、自身の発見を超えた法則に、我知らず導かれて行った人の深い眼差しであったと思えるのです。