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【いまさら読書感想文】選ばれなかった星たちへ/応えろ生きてる星

ライトノベルと小説の明確な違いは恐らくない。セリフの数なのか、ある程度の感情が明言されているのか否か?
読みやすいのならばライトノベルなのか、挿絵がなければ小説なのか、レーベルの問題なのか。
自分としては、そこから何を得るか であったり、作品を解釈する つまりは読解をすることが目的であるので、その小説が分類的にどこに属するかはあまり作品を選ぶ動機にはならない。純文学的でなく、エンタメ全振りであってもそれでよし。




#応えろ生きてる星

#竹宮ゆゆこ

#文藝春秋



あらすじ

結婚直前の会社員・廉次の前に現れた女は、突然のキスと、謎の言葉を残して消える。
直後に、婚約者に目の前で別の男と駆け落ちをされた廉次は謎の女と再会。婚約者の行方をある手段で探し出そうとする。奪
われて、失った、その先にあるものは―。過去と向き合い、抱え続けた痛みからの再生を描く書き下ろし長篇小説。

ちょっと気取った会社員廉次が、突然婚約者に逃げられる。無気力な生活のなか、以前バーで突然キスされた美女「朔」と再会する。
そこから、婚約者を取り戻す という名目で、かりそめの恋人契約を結ぶことになる。
二人の生活の最中、恋人に逃げられた痛みを補うように朔の存在が少しずつ大きくなる廉次。
でも、朔もまた深い痛みを抱えているようで…。

「大人な恋愛小説」という設定でありながら、決して表現に艶めかしいものはなく、青春小説さながらの表現の直球さを感じる作品だ。逃げも隠れもしない!というほどに迷いのない表現が多い。
「朔」の美女である表現も痛快で、ところどころ目線を「レーザービーム」に例える。郷ひろみ…? まさに射抜かれんばかりのくっきりした眼。わかりやすく強烈だ。

竹宮ゆゆこ先生といえば、何よりもまず「とらドラ」だ。ライトノベル。アニメは自分が高校生の頃に放映されていたというまさにドンピシャ世代の作品。いわゆる青春振り切りラブコメであり、とても熱く、そして切ない棘が心臓を突き刺す作品だった。ちなみに、ドンピシャといいながら原作小説は読んでいない。アニメだけを見ていた。それでも、人生で見てきたアニメで間違いなくトップ5に入る作品だ。

今回の作品はライトノベルではなく、あくまで大衆小説として発刊されている。先にのべたように、分類自体が無粋に感じてしまう質なのであえて名言しなくても良いのだが…。

良いの、だが…。

とらドラをアニメで見てきたので小説自体は初めて読むのだが、なるほど、これが「竹宮ゆゆこ」節なのだなと思った。

率直な意見を、忌憚なく述べれば、こんなにも自分にこの文体が合わないとは思わなかった。展開としてもあまりスッと体に入ってこなかった部分が多い。ご都合主義は嫌いではない。だが、読者に伝えたい核の部分は、ある程度自然に表現してほしかったし、何より、セリフがくどい。あまりにもセリフじみてしまっている。
ただ、おそらく、マンガやアニメ そして「ライトノベル」であればそこまで気にならないかもしれない…。

基本は作品にネガティブな感想は言わないようにしている。というか、「嫌い」「わからない」は評価基準にならない。
それでも、単純に「合わない」と思ったのは致し方ない部分なのか…。
わかりやすく、明瞭、強烈なワードセンス。これが竹宮ゆゆこ節なのだろう。【大袈裟なセリフや表現回しでインパクトを与える】。それが読者を引き付けている点であるのは間違いない。そもそもフィクションに対しセリフ表現のリアリティを求めるのもお門違いかもしれない。

例えば、以下のような表現が気になる。
※重要な部分なのでネタバレ注意。

「完璧な人間なんてこの世にいないでしょう!?夢見た全部が叶うわけじゃない!星のすべてが永遠に輝き続けれるわけじゃない!寿命があるんだ!死んだら終わりだ!燃えカスだ!シリウスの隣になにがあるか知ってますか!?【中略】 みんなが見上げるその隣で、星が一個、死んでんだよ!!それでも、」
「それでもこの世は、こんなにも美しいじゃないか…!?」


や、長いし、言わんやろ!

こんなに自分の発言のターンがまわってくることがない。いや、小説ではそういったこともありえるが、なんだか表現自体がものものしい。心に思うだけで、セリフとしてはパシッと短くでも良かったのではないかと思う。
前述した通り、マンガやアニメだったら気にならないかもしれない。

あと、このシーンのあとに無数の流れ星が降り注ぐことになる。
とくに前触れもなく、急に降り始める。
ご都合といえばそれまでだが、伝えたいことに情景を無理やりひっぱってきている印象をどうも抱いてしまった。
フリといわれる伏線は別になくてもかまわないが、ここでこれを持ってくるのは情景として出来すぎている。まあこれも、作者の節といえば節だが…。

とまあ、煮え切らない感想はこれくらいにしておいて、自分の解釈にそって感じたことを述べるとする。

落ちた星は、空に戻らない。石ころになるか、そもそも地上にたどり着くまでに消えてしまう。死んだ星は、落ちるだけ。輝きを取り戻すこともない。それは誰にも視認されず、ただひっそりと死んでいく。

「失敗」「挫折」「後悔」という負の感情は、この小説に終始まとわりつく。恋愛という大きな軸はあるものの、主人公たちが抱える問題をみれば、あらすじにあるとおりこれは「再生」の物語だ。
見続けていた夢、それが消える。消えた時自分には何もなくなる。代わりに恋愛に行き着くが、それすらも奪われてしまう。
光を失った星は落ちる運命にある。そして、落ちたら落ちっぱなしだ。

「再生」の形はそれぞれだ。自分で完結できる再生もあるだろう。それでも、誰かがいるから叶う再生もある。誰かが見ていることで、輝くものもある。
消えかける星は誰の目にも止まらずそのまま姿を消してしまうが、誰かがその輝きを認めてくれることがあれば、星があることをわかってくれれば…。

輝きを取り戻すことはできる。

それが「再生」だ。


あとは空に帰るだけ。ただ、何度もいうが、落ちた星は戻らない。


だが、ここまで述べてきたこの作品の雰囲気の通り、強烈に、痛快に、廉次はそんな現実を笑い飛ばす。

星は、どうなる。輝いて、瞬いて、ただ生きて、力尽きるまでそこにある。いずれは死、やがて墜落、もしかして爆発、それともブラックホール―
知るか、と。俺たちはただ、ここにいる。生きている。お互いの存在を確かめて、二人で投げた星に飛び乗って、宇宙の真っ只中へ全速力で突っ込んでいくだけ。

まさに、なんだって出来る。やってやらぁ!の精神である。


知るか。俺たちは確かに輝いているんだ。俺たちのパワーはとてつもなくて、投げた星だって空に戻るんだぜ。


の、精神だ。


さて

改めて、大人でビターな恋愛小説 ではないとキッパリ言えるかもしれない。これは青春小説だ。大人の青春小説。
何回だってやりなおせる。それは紛れもない事実。厳しい現実もなんのその。輝きを認めてくれる誰かがいるなら、なおのことそうだろう。


深い痛みからの立ち直りを、どこまでも青臭い直球表現で書いた作品。好みの人には刺さるかも。一読する価値はあります。


それでは、また。

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