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マネジメントを学ぶ理由 エピソード10

 震災の混乱をやり過ごす

 揺れがおさまり、社屋に戻って有難かったのはライフラインが生きていることだった。電話回線は携帯も含めてパンクしたようだった。定時時刻を待たずに、駅の方に様子を見に行った総務の課長さんが帰って来て、電車はJRも私鉄もすべて運休となった事を知らせてくれた。

 社内ではラジオも流されていたが、繰り返される情報に、新しい情報は少なかった。だが、取り乱すことの方に危機を感じていたので、むやみに動くことを控えた。すぐに緊急のMTGが開かれ、帰宅困難者のための検討と翌日の勤務・翌週以降の事が話し合われた。

 まず、帰宅困難者については、会社の近くに東横インがあり、そこに部屋の予約ができたとの事で女子社員が数名ずつ分かれて避難を兼ねて夜を明かす事が決定した。幸いなことに、職場に女性社員が少なく、急場を凌げたとも言える。残りの男性社員は基本的に社内泊とされた。中には用事があるからと、歩いて帰った人もいた。

 僕は翌日も出勤になっていたので、会社で夜を明かした。会社では、カップ麺が配布され、夕飯として頂いた。この時、物流が止まることも予想されていたが、今は何もできない。よく分からないのだ。パニックに陥らない事の方が重要だった。

 仮眠前にようやく笑えた

 23時過ぎた頃だったろうか。会社から支給されてる携帯電話が鳴った。相手はもちろん、大阪の上司からだった。寝る前に東京でしょぼくれてる連中に元気出せや!との激励の電話だった。僕がふと気づいたのは、他の誰もが鳴らない携帯電話なのに、この電話は地震直後にも鳴ったし、どうもよく繋がるということだった――。上司は「ええ女やったら、もっとかけるし、喜びたいけどな!」と笑い飛ばしてくれた。僕も心底そう思ったのだが、そこは一緒に笑い飛ばしたのだった。それにしても、この不謹慎なタイミングでも少しでも笑えるって大事だな――。

 見まわりと清掃、そして帰宅

 結局、デスクでは余震で目が醒め、あまり眠れなかった――。翌朝は危険個所の見まわりからスタートした。朝食は買って無かったのだが、いろんな人がお菓子やパンをくれたので十分だった。

 当時、安全担当をしており、自分が作った危険個所リストに基づき、東京の本部長と見まわった。ロッカールームは目も当てられない惨状で、携帯電話で写真だけ撮って、立入禁止のラベルを貼って施錠した。

ガラスが割れたところには赤のガムテープで飛散範囲を囲い、後日に片づける事とした。ロッカールームがあるビルは、耐震の怪しいバブル期の建物だった事もあり、本部長命令で耐震の確認がとれるまで封鎖とした。

午前中で見まわりを終えて、午後は現場の機械清掃のサポートをしてデスクに戻った。デスクに戻ると、急激に睡魔が襲って来た。それを見かねたのか隣の先輩社員から「今日はあがって大丈夫ですよ。電車も動き始めてますから。」と、こっそり、帰るように図らってくれた。

 僕は本部長に、なぜかよく繋がる会社支給の携帯電話を預けて、帰路についた――。繋がる先は大阪の上司の会社携帯電話である。

こうして、社内の本部間の重要な電話は、しばらくの間、この携帯電話が担うことになったのだった――。

つづく

1-2.正面階段昇降口から見上げた亀裂

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