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「自分で自分の名前を決める権利」を奪われた私たち
わたしたちは、自分で自分の名前を決める権利を持っていません。
誰か他者が決めた名前を使い続けることを強要されています。
しかし、多くの人は、その事実に気付いておらず、気付いたとしても何の疑問も持たずに過ごしています。
しかし、それは本当に、奪われたままでいい権利なのでしょうか。
その前に、まず、自分で自分の名前を決める権利がないという事実について確認していきましょう。
たとえば、新生児の名前は、2週間以内に決めて出生届を出さなければなりません。もちろん、赤ちゃんが自分で名前を決めることはできませんから、(最終的には)親が決定して、名付けをします。このこと自体を疑問視するつもりはありません。
しかし、親が選択した名前を、子は原則として一生使い続けなければならないのです。その名前を変更するためには、非常に厳しい条件をクリアして、裁判所で認められなければなりませんが、一般の人が名前を変更する権利はほぼないといえます。
また、姓(氏/名字)については、親の姓を受け継ぎます。これも自分で選ぶことはできません。結婚、養子縁組などで変更されることはありますが、そこでも自由に選べるわけではありません。逆に、結婚した場合には夫婦が同姓でなければならないという強制があります。一方は必ず姓を変更しなければならないのです(同じ姓の二人が結婚しない限り)。
このように、日本では、自分自身の名前を自由に選ぶことができません。つまり、自己命名権というものが認められていないのです。
親がつけたキラキラネームを改名するだけでも、高いハードルがあります。
ましてや、キラキラネームでない場合には、変更は極めて困難です。
変えないことを選ぶ権利、変えることを選ぶ権利が完全に奪われています。そして、それによって苦しんでいる人がいます。
なぜわたしたちは、自分自身のアイデンティティーの源泉ともいえる「名前」を、自分で選ぶことができないのでしょうか。おかしいとは思いませんか?
「自分の名前を自分で選ぶ権利」がないということに、あなたも今気付いたところかもしれません。しかし、それに気付いた瞬間、この不自由、この束縛、この制約が、知らず知らずのうちに自分自身の思考を縛っていたことに気付くのではないでしょうか。
自分自身の名前を選ぶことができることは、自分自身のアイデンティティを確立する上で重要な意味を持ちます。また、自己決定権を尊重し、人格の自由を保障することができるのです。
私たちは、自己命名権を認める社会を作り出していかなければならないのです。
もしこの活動がもっと広がればいいなと思う方からサポートいただけましたら、熟慮の上、有効に使わせていただきたいと思います。