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なぜ現代人は”若さ(健康)”を捨て、”老い(不健康)”を選ぶのか。

感染症の流行により、健康への関心がまた一段と高まったコロナ時代。

しかし私達人間は、不合理な判断と愚かな行動を辞めることはないようだ。


今回は、自らで若さを捨てている現代人について話していきたいと思う。

楽しんでもらえると幸いである。


○ 2種類の若さ

まず私がここで使う”若さ”とは、何かを明確にしよう。
ここでの”若さ”とは、2つのことを指している。

1つ目は、「肉体的な若さ」だ。

肉体の健康性を指標にしてもらえると自分でも自分の若さを測ることができるだろう。
例えば、筋肉量や体脂肪率、血圧、他には息を吸う時と吐く時の心拍数の開きがどのくらいあるのか、などがあげられる。

⭐️息を吸う時と吐く時の心拍数の差を計測することで、”迷走神経”の活動性を客観的に計測できる。
一般に吸う時と吐くときの心拍数の差が大きいほど、“迷走神経の活動性が高い”と言える


2つ目は、「精神的な若さ」だ。

これは1つ目ほど、具体的なモノとは言えない。
なぜなら、抽象的で各々の価値観や経験により捉え方は自由だから。

しかし、私は自らの精神性に向かい合い、省察する事の価値を大いに感じている。
むしろ、この”精神的若さ”について考えない事は、貴方が自分自身の健康を作る上でも、貴方の人生の健康性を高めていく上でも、それらの結果に大きく影響するだろう。


ここで1つの言葉を紹介したいと思う。

「老いを生理的なモノと捉えない。
老いは極めて社会的・心理的な現象である。」

岡本 太郎

私は、この言葉ほど自らの精神的若さについて考えさせられた言葉を知らない。
実際、この言葉をキッカケに私はこの記事を書き始めることにしたくらいだ。


貴方は、今あげた2つの若さについてどう感じるだろうか?

肉体的に健康であり若くても、精神的に老いていては、その人を”健康である”とは言えない。私はそう思う。
勿論、逆も然りだ。


しかしこの話を聞いて、読者の中には、「肉体的に若いと精神的にも若い」という相関性的な関係性を見出した人もきっといるのではないだろうか。

そう考えた人は、勘が良い。

確かに、その考えの通りで、健康に関する数多くの研究でも、

肉体的な健康度合いと精神的な健康度合いには、強い相関性があることが証明されている。
まさに『健全な肉体には、健全な精神が宿る』ということだ。

ならどうしてわざわざ関係しているふたつを分けて書いたのか?

それは改めて、貴方に「健康について」と「貴方自身の精神性について」を考えてほしかったからである。

私達は、知らず知らずの内に社会という荒波に飲まれ、自分に正直に生きる事を諦めていく。
中には、自らの健康や正直な自分の思考や感情を率先して放棄し、自分に対し無責任を決め込む人が、どれだけ多いことか。


勿論、私もそんな無抵抗な人間の1人かもしれない。
しかし例えそうであっても、改めて自分が持つ若さや老いについて考えていきたい。

そして、その決意こそ、今の社会に必要なのではないかと私は思う。


○ 私達はなぜ、自らで「老い」を選ぶのか?

先ほどは、ここでの若さとは何か?について話した。
きっと、ここで使う”若さ”という言葉についての共通認識ができたはずだ。
(もしそうでないなら、私の言語知性が足りなかったのが原因だと思う。
その点は、申し訳ない。)

次に話したいのは、『老い』についてだ。

私達は、”有限の若さ”を持っている。
つまり、どれだけ優れた遺伝子を持っていたとしても、いつかは朽ち果てるということ。
しかも、現代社会には、その”有限の若さ”を無闇に消耗させ、奪おうとするサービスやモノで溢れている。

そのせいで、人間は本来150歳まで生きれるのにも関わらず、劣悪な食品、生活環境、人間本来の遺伝子にそぐわないサイクルで生きる為に、多大なストレスと共に生きている。
そのせいで、100歳まで生きることは、私達の世界では凄いとされている。

正直、私も150歳まで生きれるという見解に正直驚いたし懐疑的だった。
しかし、今の社会構造は、人間の遺伝子に刻まれたサイクルや生活環境から大きく逸脱していることは、確かであり、一眼でわかる。

なので、150歳まで生きる事ができるという見解を加味した上で、人間の若さについて考察する余地は、大いにあるだろうと思った。

しかしながら、大半の人間は、このことについて全くの関心も持たず、
”老化”を自分自身で加速させている。

長時間労働や加工食品、スマホによる悪影響などなど

あげればキリがないし、みんな分かっていてもやめられないのが現状だ。
だから、私には今の人間の生き方が、自らで老いを選んでいるようにしか見えないのだ。


これを読んでいる貴方もできれば少し考えて見てほしい。

「なぜこうなってしまったのか?」


1つ目の理由は、今ある社会が、”私達の健康や長寿を望んでいないこと”にあるだろう。

なぜなら、今私たちが生きる社会は、資本主義が中心で、彼らが求めるものは己の利益だからだ。

つまりざっくり言えば、私達が健康的に長く生き、幸せな一生を遂げることに無関心ということだ。

私達は、その利益の為に、自分の若さというエネルギーを捧げて、自分の健康と若さを獲得するというサイクルの中で生きている。

この社会では、健康とお金はトレードオフの関係にあるというのが、現代社会の現実である。


そしてもう1つの理由は、

私達が「老化」という概念を社会的に認めてしまったこと”にある。

歳を重ねる毎に、体が言うこと聞かなくなることや肌が皺だらけになる事は、当たり前。
そう考えることは、おかしなことではないと多くに人が思っている。

しかし現代の最新の研究達を踏まえると、「老化は”治療できる病”」であると考えることができることがわかっている。

つまり、「老化は病気」という考えが徐々に広まりつつある現状では、私達は”老い”という概念を再認識する必要がある。

詳しく知りたいと思う人は、以下の本を読んでみると良いだろう。

個人的にも面白い実験や研究例が多く、自らの認知を変えてくれるかもしれない本なので、興味あれば読んでみてほしい。


さて、次の章では、”若さを作るとはどういうことか?” にフォーカスして話していく。



○ ”絶対的”な若さを作る、その方法はたったの3つだけ

若さには、「肉体的若さ」と「精神的若さ」があるということは前の章で話した。

そして、これからは、絶対的な若さを作っていく為に効果的な方法を3つあげていく。

そして、今から紹介する方法は、あなたの持つ絶対性を取り戻す方法でもある。
是非、あなたが実践することをイメージしながら、読み進めてくれると幸いに思う。


1、歩く

「人間は、動的な生物だ。決して植物のような静的な存在ではない。」

学校でも、職場でも、椅子に縛り付けられ、「ここにいろ!」と言われているように、今の社会は”人の持つ運動性”を押さえつけている。

極めて心身に不健康な現状をまずは再度自覚し、”物理的、かつ精神的な動性”を取り戻す訓練を積もう。

ちなみに、人間が肉体的運動性を失うことは、世界的に大きな損失を生んでいる事を貴方は知っているだろうか?

1人の人間が運動不足になることは、個人の健康を損ねる、気分が悪くなるなどという微々たる問題ではないということが、現代の研究から示されている。
詳しく知りたい方は、以下の記事を読むと良いだろう。

「肉体的運動性の低下=運動不足の状態」は、人間の持つ認知機能を大幅に低下させることは、周知の事実だと思うので、ここでは深く掘り下げるつもりはない。

もし気になるなら、私の書いた記事を読んでもらえると運動不足がもたらす弊害や悪影響の深刻さ、その影響の広大さを理解しれもらえるだろう。

<まとめ>
⭐️”毎日30分以上”の散歩をしよう。
(曇天の場合は、60分以上、外での散歩をしよう)

または、”週3回以上”の運動を心がけよう。
週120分以上の運動をしてもらうと運動による健康効果を最大限享受できるだろうから、意識して運動のスケジューリングをする事を勧める。


2、他人に親切をする

健康を作る上で大事なのは、運動だけではない。
「自分はストレスが多い状態ではない」と体や脳に理解させることも十分に重要だ。

他人に親切をする行為は、私達を健康にする効果が数多くあることが最近の研究でわかってきている。

<研究例>
“人間の長生きの仕組み”を研究しているアメリカ・カリフォルニア大学ロサンゼルス校で、健康に問題のない150人を対象に行った実験がされた。

対象者を次の3グループに分け、30日間、それぞれ次の行動をしてもらい、免疫力を測定する。
グループ①:1日3回、人に親切をする
グループ②:ゴミ拾いなどの社会貢献
グループ③:自分が嬉しいことをする(好きな物を食べるなど)

結果、、、
グループ①だけに、「体の中の炎症を抑える」変化が見られた。

⭐️体の中の炎症が長引くと、筋肉や血管にダメージ・ストレスを与え、その結果、筋力の衰えや動脈硬化、脳卒中、心筋梗塞などの様々な病気にになる可能性が高まるため、”体内の炎症が抑制されるという効果”は、私達の健康において非常に重要なことがわかる。

この実験を主導したスティーブ・コール教授によると、

「人類は、進化の過程で互いが助け合って生き残ってきた」という歴史が関係していると話した。

集団で狩りなどをしていた原始生活では、仲間との協調性を失い、孤独になること=死を意味していたことから、現在も『人とのつながり』が健康において重要となっている。

という考察がなされた。

他にも親切な行為は、プラスの感情にかかわる神経伝達物質「ドーパミン」や「セロトニン」が分泌させる効果があるとする研究もある。

さらに親切な行為は、“絆ホルモン”といわれる「オキシトシン」も分泌する効果がある。(オキシトシンは、人間同士や人間と動物の間で愛情・信頼を感じる時にも作られている。)

オキシトシンは、動脈の内壁にある細胞をやわらかくする作用がある。

つまり、親切な行為を通してオキシトシンが分泌されると、
”血管が広がり、血流がよくなるため、血圧が下がり、心臓発作の予防” になるわけだ。
これは、心疾患が原因で死亡する人が多い現代において非常に有益な情報だと私は嬉しく思っている。

しかもこれらの効果は、必ず自分が親切な行為をしなければ享受できないわけではない。
なぜなら、”親切によって生まれたポジティブな感情は伝染する”からだ。

例え貴方が他人に親切にすることができなくても、特別心配する必要はない。
しかし、最大限親切の効果を享受したい場合や他人の親切を見る機会が少ない環境にいる場合は、親切な瞬間を待っていてはダメだ。
自ら行動し、親切がもたらす健康効果を手にする必要がある。
そしてその行為は、周囲にポジティブな影響を与える。
つまり、立派な社会への貢献と言える

親切がもたらす効果の説明は、もうこれ以上いらないだろう。

<まとめ>
⭐️自分も周囲もポジティブな気分になり、健康にもなる
社会的な繋がりも強固かつ、良質にできる可能性も高まる。

これらは、私達の根本的なストレス原因や不安の根源になり得る”対人関係の問題や職場での問題”を自己管理可能であるという可能性を示唆しているのではないだろうか?

詳しく親切の効果を知りたい人は、以下の本を読んでみると良いだろう。
非常にわかりやすくまとめてくれているので、読み易く、理解しやすいはずだ。



3、自分の変化に挑む

突然だが、貴方に質問をしたい。

貴方は最近、新しい事にチャレンジしただろうか?
もっと厳密に言えば、何かに”能動的”に挑戦し、失敗をしただろうか?


挑戦とは、変化を積極的に受容している態度だ
この態度は健康形成において、非常に重要な要素の1つであると私は声を大にして言いたい。

なぜなら変化を受容する態度を持っていなければ、若さや健康を作って行く上で必須になる生活習慣や食事、環境の変化に対応し適応することが難しいからだ。

事実、健康を管理し若さを作っていくのは、貴方自身が能動的に行動しなければ、1ミリも好転はしない。
私が毎日スクワットを100回しても、貴方の体脂肪率が変化しないように、能動的な態度を持ち、「変化をする=挑戦」をするということを意識しなくては長期的に観て、健康形成は失敗になってしまうだろう。

だからこそ、この態度は大事であり、それを自分に教育する必要が大いにあると私は考えている。

そしてその為に、私は「自分の変化に挑む」という方法を紹介した。
だが、この言葉を聞くと多くの人が大きな変化をイメージし、萎縮する。

私がここで表現する”変化に挑む”という行動は、本当に小さな変化を指している。
例えば、貴方がコンビニでいつもコーヒーを買っているとしたら、いつもとは違うコンビニでコーヒーを買うなどでも良い。

もっと小さな変化としては、「いつも意識しなかった事を意識してみる」という”意識・認知の変化”に挑むのも、変化を能動的に受容する態度作りに有効だろう。
ex)いつも何気なく通る道の風景や流れる人達を改めて意識してみる。

自分の日常を観察し、洞察し、改めて自分の感覚の感度を上げる訓練をすることで周囲の微妙な変化や”自分の小さな変化”を察知できるようになるだろう。
そうなれば、能動的に変化に挑む上で必要な小さな変化や成功体験に頻繁に気づけるようになり、より多くの努力や挑戦機会を自らで作っていく精神性を形成していくことの大きな助力にになる。


この『自分の変化に挑む』という態度や行動には、精神的若さを改善していく、形成していく上で、最も有効な手段だと私は考えている。

人は、認知的に楽をしたい生き物だからこそ、周囲を固定化しようとする。
脳もそれを望んでいるしそうすることでいざという時の危機に対応できるようにしている。
それが人間の進化の過程で手に入れた本能的機能でもある。

しかし、この本能は今を生きる私達にとっては、有害になっている。

特に今のようなコロナウイルスによって、世界規模で経済が悪化すれば、不安や恐怖ばかりが先行し、多くの人が現状維持という怠惰な受動的態度を正当化しようとする。

自分が何も行動しない理由に、これほど真っ当な理由(コロナウイルス)はないのかもしれない。

しかし、小さな変化や挑戦にすら、過度な警戒をして、現状を維持することに何が保証されている?

あるのは、変化がないという安心だけだ。
そしてそれは、別の視点から見れば、自分自身の退化だ。

つまり、『老い』だ。

そして最後に補足だが、変化に挑むという態度は、「ストレスを自分の成長に変える」という心構えでもある。

変化に挑むということは、ストレスへのマインドセットを変えるということでもあり、ストレスを成長に変えようとする勇気でもある。

ぜひ一度、自分のストレスマインドセットを省察し直し、ストレスにどのように自分が向き合っているか、自己把握する機会を設けると良いだろう。

この”ストレスマインドセット”について、詳しく知りたい人は、以下の本を読んでみることを勧める。


貴方のストレスマインドセットが、貴方の健康づくり、健康的な人生の形成にどれだけ影響を及ぼしているか?を知りたい人は、いますぐにこの本を読むべきだ。


<まとめ>
⭐️自分の変化に能動的に挑もう。
小さな変化で良いから、いつもとは違うことをしたり、好奇心がくすぐられる事を新しく始めよう。
変化を積極的に受容する態度は、貴方の肉体的健康を作っていく上で大いに役立つ土台となる。
そして、貴方の精神的な退化を予防することにもつながる。

⭐️自分のストレスマインドセットを省察しよう!

「ストレスに対してどのような考え方を持っているか?」
「貴方は全てのストレスを悪と捉えているか?」



○私達は自分の選択を自由に選ぶ事ができる

ここまでの長い文章に付き合ってくださった方には、ここで感謝を伝えたいと思う。
有難うございます。

今回の記事では、『自ら老いを選ぶ現代人』というテーマで、人の若さとは何か?老いとは何か?などを話しました。

抽象的なテーマであり、私自身の文章も拙いというのもあり、理解しづらい、または皆さんに伝わらない部分もあったかと思います。


なのでここでは、改めて私が今回の記事で伝えたかったメッセージを簡潔にまとめたいと思います。

今回の記事で私が皆さんに伝えたかったメッセージは大きく3つあります。

まず1つ目。

⭐️若さという概念には、「肉体的な若さ」と「精神的な若さ」という2つの指標があり、最新の研究では、「老い=病気」という考えが生まれだしている。

そして2つ目。

⭐️2つの若さの内、現代人は特に「精神的な若さ」を自ら放棄し、受動的な態度、つまり「精神的な”老い”」を選んでしまっているということ。
改めて、自分の人生、正直に生きているか?と自問する必要があるのではないか?

最後の3つ目。

⭐️自分の感覚や思考、周囲の環境などに対して、受動的な態度や意識では、心身共に老いて、退化していき、自分を健康にも、幸せにも到底できやしないということ。
『変化に挑む態度=ストレスと向き合い、成長に変えようとする勇気』を持とう。


以上、3つが今回の記事で読者の皆さんに届けたかった私の考えでした。

そしてこの3つのメッセージで共通していることが1つあります。

それは、『私達は自分の歩く方向を自分自身で選ぶ力がある』という点です。

つまり、私は今回の記事を通して、自らが選ぶ何気ない毎日の「選択」の重要性を改めて問いたくて、今回の記事を書こうと決めました。


正直、今回の記事を描きながら、自分でも若いことが良いのか、老いることが悪なのかは、わかっていませんでした。
むしろ、描き進めるほどに、こんがらがっていました。

所詮、私達がその時大事にしている価値観は、ただその時代を通して見た認知でしかないのかもしれません。

しかし、そうとも考えられるこそ、、、

私達は私達自身が後悔しないように、最善を尽くし、自分自身で自分の方向性を選ぶ力を最大限に行使する必要があるのではないでしょうか?

そして、、

急激な進化と変化が進むこの社会では、混沌が日常になっていて、その中で、私達はその混沌にも冷静に対応できるように、心身の若さを作っておく必要があるのではないでしょうか?


もし皆さんに意見や感想があれば、健康という概念について議論してみたいです。

今後の参考にもなるので、皆さんのリアクションお待ちしています。


それでは今回はこれで終わります。

今回も有難うございました。



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