自分の親が "毒親"だと気づいた時 後半
「ご飯の時間は家族団欒の時間、食べなくてもいいから一緒に座りなさい。」
そう親に言われて育ってきた。
何かに没頭していても忙しくても必ず食事の時は、顔を出す。できるだけ家族で食事をする。という暗黙のルール
母が「ご飯よー」と呼んでくれる。
特別厳しい家庭というわけでは無い。
ごくごく普通の家庭。
四国の田舎の いたって普通の家庭で育った。
ただ、
食事を一緒にしなかった時やダイエットなど思春期には色々事情があるものだ。
まーそんなことで断った時には、
母の態度が急変。部屋の扉をしめて明らかにいつもと違う雰囲気になるのだ。
"無言の圧力"の始まり
今まで実家で暮らしていた頃、
休みの日でも朝9時になると必ず母親が私を呼ぶ。
「朝ごはんよー 」
なんて素敵な家庭だろうか。とおもうかもしれない。
だが、
起きないと"無言の圧力"が待っているのだ。
その後も何かと理由を付けて私を呼ぶ。「おきなさーい」「寝すぎは良くないわよー」「お客さん来るから手伝って」てな具合で。
私の心の声 (知らんがな。休みの日なのに寝かしてよ。疲れてるんだけど。)
それも無視して寝ようものなら、
母は、ものすごい音を立てて無言の圧力で私を起こしにかかる。
洗濯物をいつも以上にガシャガシャやってみたり、階段を100キロの重しでも担いでるかのような音を立てて上がる。
ドアをすごい勢いで締める。
わざわざ私に聞こえる大声で父親に告げ口をする。「あの子まだ起きて来ないのよ!なんとか言ってきて!」ってなことを。
その間いつも私の心臓がバクバクしていて、大きな音を出される度、ビクビク怯えていた。
そして意思の弱い私は自分の意思に反して母に従ってしまう。
これが私の日常だった。
ある時は、明らかに機嫌が悪く家に帰って来た母。
私怒ってます。
疲れてます。
ストレスMAXなんです。アピールが酷い。
こんな時は帰って来た時のドアを閉める音量ですぐに分かる。廊下を歩く足音も地響きがするほど凄まじい。
「あー疲れた。しんどい!」「お母さん疲れてんのよ!」と買い物袋をテーブルに豪快に投げ捨てる。
「食事の準備くらいしといてくれてもいいんじゃないの?」
「掃除ぐらい出来るでしょ?」
「何でこんな事も出来ないの?」
「疲れて帰って来てる時ぐらい手伝いなさい」
「ほんと何もしないねあんたは」
「こんな風に育てた覚えは無い」
毒を吐きながら食事の準備をする親。
これが当たり前の家庭だと思っていた子供は親を手伝わなければいけない。
母が怒る前になぜ自分はできなかったのか。自分がダメだったのか。母が怒っているのは自分のせいだ。私はわがままなダメな子だ。
母の毒を浴びながら母の気が晴れるならと少しでも怒りがおさまるならと手伝う。
でも手伝っても母の疲れがとれるわけでもなく、しかたなくやっている私に 「そんな態度なら手伝わなくていい!」とぶち切れられる事もある。
手伝え。って言ったのにどっちなんだ。と反抗してみる時もあったが、また母をキレさせるので黙ってその場からたち去る。
「ご飯よー」と不機嫌そうな声。
要らないというとまた無言の圧力。
そんな繰り返し。
それが私にとって当たり前のよくある日常だった。
今、「毒親」という言葉が出て来た事で私は被害者という立場でここに綴る。また、毒親予備軍の加害者にもなれる。ということも覚えておかなければならない。
文書にする事で今になって理不尽さがわかる。確かにわがままな子供だったかもしれない。どこにでもある一般的な親子げんか。そうとれるかもしれない。
ただ「毒親」という曖昧な定義の一部に自分の家庭が当てはまる。という事に気がついた。
そして、現に私の今抱えている問題は、異常な不安症。自分に自信が持てない。好きな事が分からない。
この「毒親」という言葉が生まれなければ気づくこともなかったのかもしれない。
このめまぐるしく変化する時代の中で、自分の好きを強みにしてそれが仕事になる。そんな時代。そんな時代に"自分の好きがわからない" これは大きな問題なのではないか。時代に取り残される。ついていけない。
下の世代と上の世代に挟まれた私たち世代。この世に生を受けて33年。
これからどうしていくべきなのだろうか。
時代の変化が激しい今、昔の考えのままではいけない。「毒親」という言葉は、時代に取り残されるよ。早く気づいて。というメッセージにもとれなくもない。
ほんとに考え方ひとつ。
気づけたことで、考え方をあらためななおすことが出来る。
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