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雁が音

いい人でいる必要はない。
砂漠で懺悔しながら
跪いたまま百マイル歩く必要もない。
ただあなたの体内にある柔らかい生き物に
愛しているものを愛させてあげればいい。
絶望については語ってほしい、あなたの。私のも語ってあげよう。
その間に世界は回り続ける。
その間に太陽や雨の透明な粒が
草原や深い木々、山や川の上を渡って
景色を横切っていく。
その間に雁が音が、澄み切った青空高く、
また家路をたどっている。
あなたがだれであっても、どんなに孤独でも、
世界はあなたの想像力次第、
雁が音のように、荒々しく刺激的にあなたに呼びかけている、
何度も何度も、生きとし生けるものの家族の中の
あなたの居場所を告げながら。

これは大好きな詩の一つ、メアリー・オリバーによる「Wild Geese」です。この詩を原文で読みたい方は、こちらからどうぞ
身の程知らずと思われるかもしれませんが、和訳してみました。

この詩は、絶望の中にいる人に呼びかけている声として解釈されることが多いようです。しかし「人間」そのものについての詩なのではないかと思います。

大半の文の主語は「あなた」です。しかしその「あなた」は一人ではない。途中で「私」というものが出てきます。「あなた」が絶望の話をしたら、「私」も絶望の話をする。鏡みたいに。
「あなた」と「私」が話している間に、世界は回り続ける。そして常に「あなた」に呼びかけている。

the world offers itself to your imagination,
calls to you like the wild geese, harsh and exciting -

人間は想像力によって世界が動かせます。
自然界の中でそれができるのは人間という生き物だけです。それが使命であり、才能であり、衝動でもあります。
大変な使命かもしれないが、これは「あなた」にしか果たせません。これほど刺激的でわくわくするものはほかにあるか? と言わんばかりの言葉です。

ここで注意すべきなのは、「wild geese」の鳴き声であること。
鶏でも鶯でも烏の鳴き声でもなく、「野生の雁」です。
「雁」だけでよかったのに、「ワイルド」という言葉がわざわざ付いているのも偶然ではないはずです。これこそが「衝動」の部分を表しているように思えます。

日本では『万葉集』の時代から「雁が音」として親しまれている野生の雁は、遠くへ行く衝動とそのための能力を持っている鳥です。
そんな雁が音の鳴き声は、私たち人間の中にもあります。聞こえるかどうかは別として、自然界の一部である「人間」に生まれた時から私たちの中にも響いています。
想像力や才能によって「世界を動かす」ことへの呼びかけです。このような活躍こそが人間の役割で、それによって自分の居場所を作っていきます。

面白いことにここで「calls to you」(あなたに呼びかけている)とういう言葉が使われていますが、同じ語源を持つ「calling」はまさに「才能」「使命」という意味だったりします。

人間が自分の使命を果たすのは、幸せとはちょっと違うかもしれません。
しかし幸せになるための必須条件ではありませんか?
自分でいられること、自分の才能を発揮して世界を動かすことができなければ、人間が幸せになれると思いますか?

人の幸せを決めつけるのも、「幸せ」を定義付けるのもとても乱暴なことです。詩人たちはそれをよく知っています。
だから「幸せ」とは何かを教える詩はありません。芸術というもの自体が解答や正解を提供するものではありません。しかし幸せに関する問いを促す詩はたくさんあります。

「Wild Geese」は幸せについての詩ではないが、幸せの大前提である「自然界の中の人間の居場所」に関するヒントがこの詩にあるのではないかと思います。

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