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02人は土から離れて生きていけない

雨が降っている。
梅雨の季節だが、デスクワークにはあまり関係がない。
状況はめまぐるしく変わっている。
連れて、自分の価値観が変わるのは当然のことで、立ち止まっていると根っこが生えてきそうで、また何か始めたくなる。その繰り返しが人生と言われればそうだと思う。

「人は土から離れて生きてはいけないのではないか」ということを、20代後半、品川でSEをやっていた頃に思っていた。
東京にも確かに植栽もあったし、土もあったが、それは必ず人が持ってきた、誰かが作為的に配置した緑だった。
文字通り不自然さを感じたわけだが、自分の思っている「土」と都会の「土」はどう違うのか。

地元の田舎に帰ってきて思うのは、本来の自然は、ただそこに在る。
草も木も葉も虫も動物も、もちろん人間も同じで、ただそこに在る。
本来は人も土も、なにもかも、同じなんだということに最近気が付き始めている。
そうすると、都会の土は、人があくまでも主体で、土も木も「景観のため」とか「人を癒すため」みたいに、利用物とされていることが不自然さの表れなのではないかと思う。
都会にいたときは全く気づけなかったけど、なぜか、子供が生まれ、生き物の神秘、生命のありがたみを感じると、人間も自然の一部、人も土も水も木もすべて同じだと、いう考えがとてもしっくりくるようになった。

これはスピリチュアルではなく、どちらかというと質的に同じというよりも、「在り方」が同じというほうが近いかもしれない。
思えば、自分も同じように「在り方」をどうしたいかを求めて、環境を変え、仕事を変え、生活を変えてきた気もする。
「どうあるべきか」を求めるのは窮屈だ。
そうではなく、自分がどうありたいか、どうあったら幸福かを求めていけば、すべてはうまくいくような予感がしている。

梅雨の季節、この雨も土を肥す。僕らもその恩恵にあずかろう。

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