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心理的安全性・父権性・男性性


 類は友を呼ぶとはよく言ったもので、変人をみてるとなぜか友達になれそうな気がするし、現に話はとても興味深い。けれどその親や取り巻きは定型発達で「この子はいったい何を言ってるのやらw」というような顔を大抵している。それが「普通」の反応何だろうと思うが、そうせず、共感的態度をとるのも精神療法の一環である。
 よく言われることだが、「障害」は本人の欠陥では無くて当人と社会の間の障害であるということ。どの患者もそれぞれ、社会との折り合いをつけていくことに尽力している。
 ビジネスの界隈で「心理的安全性」という言葉があって、「何をやってるんだお前は!ちゃんとしろ」というような男性性の強い父権的リーダーの下で動く組織よりも、各々が怯えず不安にならず何でもものを言えるような組織の方が結果として生産性が高くなるよ、という話である。「多様性を大事に!」とか「パワハラ、モラハラはやめよう!」という標語はそうした風潮の一つでもある。
 自分の進路や恋愛を考えたとき、その考えは大いに応用されると思っていて、その前に進化生物学の話をする必要があるのでする。動物的本能として優れた遺伝子を後世に残したいというのがあって、また一定数変わった遺伝子が含まれる集団が生き延びてきたという事実もあって、自然選択的に様々な規範が生まれその中でサピエンスはうごめいている。「人間は遺伝子を運ぶ乗り物に過ぎない」というミームの下で、自分が遺伝的に規定された能力を最大限発揮しつつ、それに見合う最大限の配偶者を獲得しつつ、自分の子供が遺伝的能力を最大限発揮出来るような「幸せな家庭」を運営することが、「自己愛」 feat.エーリッヒフロム に照らして、最も「満たされ」に近い。
 さて、自分の進路であるが、例として、「競争が激しいがそこで勝てば得られる肩書、報酬が大きい進路」と「競争はそこそこであるが、心理的安全性が高い進路」の二つがあったとして、私は迷いなく後者を選びたい。なぜなら、発達障害的人格を自覚しているから。繰り返すが、発達は社会との折り合いの話であって、自分の遺伝子という箱の中で最大限の能力を発揮することが、長期的視座に立ったとき、結果的に最も生物的な満たされに近い。だから、そこに注力しようというわけだ。
 サービス業に偏ったコミュニケーション能力偏重な市井に付き従うように、医者界隈もそうなっていくことが予想され、そんな中で競争し、ハイレベル集団の低カーストで心理的安全性が脅かされた状況で働くことは自分にとって相応しくないし、長期的視座に立てば、適した場所で適切な努力を積む方がポジティブな将来が見通せる。
 というのも自分が勝手に考えた推論ではなくて、1980年以降にフランス現代思想で盛んに議論になっている話であって(ドゥルーズガタリ・アンチオイディプス-資本主義と分裂病・要出典)、最近の「マイケルサンデル・実力も運のうち能力主義は正義か」もそうした話に続くものであって、それなりの裏付けは可能だ。
 恋愛市場も同様で、市場原理が機能する競争社会に乗っかることが正義では全然なくて、家庭内で心理的安全性が担保されることが重要で、そのためにはメスの心理的需要を満たす必要があって、それがS・男性性・父権性なのである。そう、父権性が否定される「生産性」の議論とは矛盾している。だから、時と場合(家庭内かそうでないか)に応じて発揮する男性性は調整できなければいけないのである。
 つまり、自分が今一番注力すべきは、男性性のコントロール能力を身に着けることに他ならない。そのために、試行を繰り返す不断の努力が求められる。


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