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デカダンスに関する政治学的考察

このアニメで描かれる特異な点はゲーミフィケーションされた世界において一独裁企業の下で従順なプレイヤーになることで秩序が保たれる構図である.搾取される下層階級(人類)は自分がゲームの一部に組み込まれていることにさえ気付かず,多様性はバグとして処理される.ある種の1国2制度的な統治機構に起こる様々な問題が興味深い.

 アニメにもSFにも何にも詳しくない素人の考察です.ご了承ください.※なおこの文章は4話までを観た段階で,観て世界観にある程度興味を持った方に向けて書いています.

 企業が管理するサイボーグ達も元は人間だったはずで限られた世界での人類生存のためにゲーム構造が作り上げられ快楽の赴くままに多くのユーザーが参画した.これは資本主義を代替した世界構造でありこのアニメはまさに”アフター資本主義”の世界を描いているというのがこの文章の論旨である.

 地球という社会的共通資本が破壊されたとき,生き残った1つの巨大企業の下で共産主義的社会に移行するのは非常に現実味がある.しかしこの支配構造に対して根源的な疑問をもつ人間とサイボーグが現れ人権思想が復興した時些細なほころびから世界が崩壊するというのが大方予想されるストーリー展開である.緻密で複雑で魅力に満ちた素晴らしい脚本と思う.

 もし今の中国がグローバル資本主義・Googleを受け入れていたら世界は将来こんな状態になるのかもしれない.環境破壊(現実にはウイルス等も含む人類共通の脅威)によって地球上のごく限られた範囲でしか人類が生存できなくなったとき社会変革が必然的に発生するのは現実社会でも同じであろう.ガドルについて詳細はまだ明らかではないが,企業側がある程度コントロールできる状況にあることも示唆された.貴重なエネルギー資源としての価値もあるため採取が自己目的化しており昨今よく聞く「危機と共生する生活様式」がみられる.トップ企業が人類生存の名の下に人類を支配構造に取り込み,分断し,一部の階級はゲーム的享楽に溺れ,かたや搾取される階層が共存する(いずれにしろ大多数は無自覚的であることに注意されたい).ここで重要なのは人類を情報の非対称性に基づき適切にコントロールし続ける限りこの構造を企業側が正当化できるということである.国家イデオロギーではなく資本主義の頂点を極めた一企業が人権思想の下で意図的に世界を2分し,民主と独裁を両立することで秩序を維持しその両社会が相互依存的になっている.

 人間の欲望を感化するゲーミフィケーションが資本主義を脱却しても世界的脅威に対抗するために結局必要になるという設定も極めて人間の本質を捉えているように思える.つまり人間の最も強い原動力となる単純快楽を秩序維持に組み込むことが自由の制限がやむを得ない極限状態での社会維持に最も合理的であるという仮説提示である.

 ナツメの原動力になるのが世界平和でなく自分を変えたいという個人的自我に基づくことが明らかになる4話の描写も重要である.どんな統治機構の下でも人間に自我が存在する限り動機が生まれそれをうまく組み込むことで秩序維持が可能になる.しかしその動機が仕組まれたものであったと部外者が認識したとき良心が揺らぐのもまた人間なのだ.

 グローバル資本主義&人権思想の行き着く先の世界に警鐘を鳴らしうる(この先のストーリー次第)先見性ある傑作アニメである.当人にとって無自覚的な支配,すなわち当人同士が幸せであればいいだろうという支配企業側の認識に倫理的な問題は無いのかという視点はアニメと直接かかわらないだろうが現実社会において重要であるように思う.昨今のアメリカ側の中国批判が人権思想に基づくのは理解ができるが果たして地球全体が自由民主資本主義の論理に取り込まれることに十分な持続可能性があるのか.そこに悲劇は生まれないのか.結局のところ2制度を維持することでしか人類は生き延びることができないのではないか.搾取する側に倫理的問題はないのか.そのとき個人の原動力となるのは自己実現なのか愛なのか.資本主義の行きつく先は退廃的”decadence”ではないのか.

 このアニメは考えるきっかけになる.今後の展開に目が離せない.

追記;デカダンス(フランス語: décadence)について

デカダンスという言葉について日本語の辞書によると

デカダンス【(フランス)décadence】 の解説
1 19世紀末、フランスを中心とした文芸上の一傾向。虚無的、退廃的、病的な唯美性を特色とする。ボードレールを先駆とし、ベルレーヌ・ランボーらに代表される。退廃派。                      2 虚無的、退廃的な風潮や生活態度。

となっているが他に詳しい内容が見当たらない.そこで英語版Wikipediaを参照し機械翻訳を修正したものを下記に示す.なおdecadenceは英語に転用され形容詞decadentとともに用いられている.

マルクス主義での使用
レーニン主義
ウラジミール・レーニンによれば、資本主義は最高の段階に達しており、社会の一般的な発展をもはや提供できないと考えられた。彼は経済活動の活力の低下と不健康な経済現象の成長を予測した。これは資本主義の社会的ニーズを提供する能力が徐々に減少していることを反映し、西側の社会主義革命の根拠の前提となった。政治的には、第一次世界大戦は先進資本主義国の退廃的な"decadent"性質をレーニンに証明した。資本主義は、それが前進するよりも自らの以前の業績を破壊する段階に達していることを証明した。

レーニンで表される退廃の考えに直接反対した考えの一つにホセ・オルテガにおける大衆の反逆(1930)がある。彼は、「大衆」は物質的な進歩の概念を持ち、科学的な進歩はそれが期待されていた範囲まで深く教え込まれていると主張した。彼はまた、現代の進歩はローマ帝国の真の退廃とは反対であると主張した。

左共産主義
デカデンスは現代の左共産主義理論の重要な側面だ。レーニンのそれの使用と同様に、共産主義左派は、実際にはそもそもデカダンス理論から始まった共産主義インターナショナル自体に由来するが、マルクスメソッドの中心にもデカダンス理論をとらえている。これは共産党宣言、経済学批判要綱、資本論などの有名な作品で表れているが、最も重要なのは、『経済学批判』の序言である。

現代の左派共産主義理論は、レーニンが帝国主義の定義に誤りを犯したと認めている(ただし彼の誤りはどの程度重大であり、帝国主義に関する彼の研究がどの程度が有効であるかはグループによって異なる)。ローザ・ルクセンブルグもこの問題について基本的には正しいと擁護していて、つまりレーニンと似てはいるものの、資本主義を資本主義国家が誰もその一部になることに反対したり避けることもできない世界の新時代と受け入れている。一方、資本主義の退廃decadenceの理論的枠組みはグループによって異なるが、国際共産主義潮流のような左共産主義組織は、世界市場とその拡大に重点を置くルクセンブルグ主義の分析を基本にしているのに対し、ウラジミール・レーニン、ニコライ・ブハリン、そしてとりわけ重要なヘンリック・グロスマンとポール・マティックは独占と利益の低下率に重点を置いている。

ということで,デカダンスというタイトル自体がこうした文脈で用いられる用語であり,まさに退廃的な快楽に没落した社会形態(このアニメでは厳密に資本主義社会とも共産主義社会とも言い切れないため前述の文章では1国2制度的と表現した)においてみられる諸相がこのストーリーの本質であろう論拠となる.

なお筆者はオルテガの大衆の反逆はNHKの100分で名著で見聞きした程度であり,ローザ・ルクセンブルグも今回はじめて知った無知な初学者のためさらに深い考察は識者に譲りたい.それでも論考したくなる魅力に満ちたアニメであり今後も勉強しつつキャッチアップしていきたい.

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