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「終末トレインどこへいく?」感想

ガルパンの監督

水島努監督を意識したのは、やっぱり「ガールズ&パンツァー」です。
とにかく面白かった。「少女と戦車」というモチーフを斜めに構えて見たのですが、蓋を開けてみたら、ある意味「魁!男塾」みたいな話でした。
「理屈なんて関係ねー!」という萌えアニメの皮を被った少年マンガ要素にハマりました。

でも水島監督の次の作品(だと思う)「荒野のコトブキ飛行隊」見て、「?」になりました。面白くない。信じられないくらい面白くない。
次に、YouTube配信していたアニメ版「おおきく振りかぶって」を見て驚きました。
面白い。原作ファンが見ても面白い。
これで気づいたのですが、水島氏は、完全に良い話があって成り立つ演出家タイプの監督だと思いました。
ガルパンは、名脚本家、吉田玲子氏の話に水島監督の狂気がハマったから面白かったのではないでしょうか。
「おおきく振りかぶって」は、完全に原作準拠というスタイルで演出に力を注いだ結果、面白かったのです。

「わけわからん」の監督

「コトブキ飛行隊」見て思ったのですが、「わけわからん」が水島監督の目指している作家性なのではないかな?と。
これは先ほどの「理屈なんて関係ねー!」に通じます。
受け手が「理屈なんて関係ねー!」と思わなかったら「わけわからん」になるのだと考えています。
たぶん水島氏は、自身が演出家タイプの監督と分かっていて、作家性は後付けで考えたのか、そういうのが好きだったのかもしれません。

それが「終末トレイン」に繋がった

「終末トレイン」は、その「わけわからん」を煮詰めたような作品だと感じます。
少なくとも、「コトブキ飛行隊」よりは面白い。
たぶんコトブキはゲーム連動企画だっただろうと思うのです。資本側はガルパンの二番煎じ狙っていて、その制約があったのではないかな?と思います。
それがない分、トレインは断片的には独特のマニアックな演出とエピソードが面白いと感じます。
あくまで断片的なので、全体的にはわけわからないです。

「理屈なんて関係ねー!」を成立させる要因

前々から考えているのですが、「理屈なんて関係ねー!」を受け手に成立させる要因は、ひとえにキャラクターへの感情移入だと思います。
受け手がキャラクターに、「私の代わりにそうして欲しい」と願った時、「理屈なんて関係ねー!」が成立するのではないかと考えます。
でも、水島監督はキャラへの感情移入策を入れない、もしくは薄いのです。
だから「わけわからん」になるのです。たぶんそれは監督の意図として。

「理屈なんて関係ねー!」と「わけわからん」の違い

「終末トレイン」に欠けている要素

つまるところ、「終末トレイン」のわけわからなさって、「主人公のモチベーション」が受け手にとって「私の代わりにそうして欲しい」ではないからだと思います。
主人公のモチベーションの要素が薄いんです。アクティブなキャラクターだとしても、「気持ちはわからないわけではないけれど、そのために未知の世界の大冒険をする?いくら日常が退廃的と言っても」という感じです。主人公周りのサブキャラクターはさらに。
1話を割いてそのあたり描いてくれたら話は違ったかもしれませんが、主人公と、主人公が会いたい友人との関係性が、受け手の主人公への共感になるまで語られていないと感じます。
問題はそれがたぶん意図的だということです。
それでいいのか?というのはあるし、それはそれでそういう監督がいても良いとは思うのですが、ガルパンの成功を思い出すたびに、なにかもったいない気持ちになるのです。

以上、「終末トレインどこへいく?」の感想でした。

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